#7 どっちも二十代

「僕、護符使って先に行こっか? 予約入れたの僕だし」

「ほな、頼んでもええ?」

「おっけー!」

「カラオケの後に、元気だな」

 護符による瞬間移動で消耗する体力は、その場所まで陸路が続いていると仮定して、走って行った場合とほぼ同じ。

 つまり、例えば何かを避けるために数歩分の瞬間移動をするのはコスパがいいけれど、別の国まで行くのは馬鹿だ。

 スタジオから徒歩三十分の距離にある焼肉店まで瞬間移動するのは、まあ、ギリギリ許容範囲内か。

「たまには魔術使わないと、腕が鈍るからねぇ」

「そう使おうと思わへんもんな、カーテン開ける時に杖振っとったのも、スマート家電になったわ」

「あ、レモンは杖なのか、そういえば」

「せやで。いつもはドラムスティックに見せかけて持ち歩いとる」

 本当に腕が落ちることを危惧しているのか、らんは机の前へ膝立ちになって、レシートの裏にボールペンで呪文を綴り始めた。

 どうやら、ツールの見た目にも、埃で服が汚れることにも頓着しないタイプらしい。


「和紙と筆ペンなら持ってるけど、使う?」

「うーん、もうすぐ出来るからいいや、ありがとう」

「ん」

 インスタント護符を切らした時の予備として、紙とペンは色々と持ち歩いている。

 極論、手のひらに指文字だって、そもそも空に書くことさえせず頭の中で組み立てたって、魔術の発動自体は可能なんだけど。

 可能不可能と、積極的にするしないはまた別の話だ。

 三桁と四桁の掛け算を、まあ暗算で出来なくはないけど、筆算の方が安心するし、電卓を使うと速いみたいな。

 暗算する時に、口に出した方がまだ間違えにくいのも似てるか。

えにしってさ、手紙を書く時に万年筆とか使う人?」

「まあ、そうかも……? 分からん、書いたことない。らんは?」

「使わなくなっちゃったなあ。百年くらい前は墨を磨ってたんだけどね、最近は便利になったもんだ」

「何歳だよお前」

「へへ、若く見えるって言われるよ。えにしの逆だね」

 らんの指先で、レシートだったそれがさらさらと白い灰に変わっていく。

 灰が車椅子の近くに落ちてようやく残り二人、特に紗鳥さとりが静かことに思い至った。

 なんで黙ってるんだ、そんなに嬉しそうな顔をして。


「あ、張り切り過ぎちゃった!」

 虚空に出現した門の奥から、焼肉のいい匂いが漂ってきた。

 門の向こう側は見えないけど、繋がってるのは確実だ。

「大人一名、子ども一名ってとこかな。えにし、一緒にどーお?」

 紗鳥さとり彼方者あっちものでも妖人およずれびとでも無いからそもそも門を通れない。

 レモンが彼方者あっちもの妖人およずれびとなら可能性はあるけど、らんの言った子ども一名が引っかかる。

「ネラ、らんと行きなよ。オレ、ちょうどいいからレモンと仕事の話しながら行くわ」

「……おっけい。俺って子ども一名に入る?」

「まぁ、手を繋いでいけば大丈夫でしょ」

 紗鳥さとりの言葉に背中を押され、らんから手を差し伸べられてようやく、車椅子のハンドルから手を離した。


 指先まであるアームカバー越しに、らんの手を握った。

 思考だけがその辺りに散らばっていた。

 表情の変化は感じなかったから、兄貴からそれとなく聞いてでもいるんだろう。

 人間ひとまの死と、彼方者あっちもの妖人およずれびとの死の間にはそれなりの差があって、彼方者あっちものの覚醒も、こういう瞬間移動も、その差の中で生じる話だ。

 スタジオに居た俺たちの体は門の中でバラバラになって、門の向こう側で再構築される。

 俺が生まれた時にも似た、体が組み立てられていく感覚。

 真っ先に崩れ、最後に構築される右腕は、他の部位より脆いのかもしれない。


「いらっしゃいませ。ご予約のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 らんが門を繋いだ場所は焼き肉屋の入り口そのものだったらしい。

 まるで暖簾を潜って入ったみたいな顔で入店した俺たちに、店員は顔色ひとつ変えていない。

 驚くような理由も特に無いんだろう。

 例えば、店員の頭に巻かれたバンダナから、猫みたいな形の耳がこちらを覗いている。

 羽の生えた皿が、バサバサと音を立ててその辺りを飛んでいた。

「五名で予約してます、馬酔木ませぼです」

 彼が取り出したのは馴染みのない見た目の身分証だった。

 俺や兄貴のものとは違うから、彼方者あっちもののそれじゃない。

 つまり彼は多分、妖人およずれびとだ。

 

 魔術適性の発現は、単純な仕組みで親から子に受け継がれる。

 両親の両方が適性のある状態、つまり彼方者あっちもの妖人およずれびとの場合は、子どもは生まれた時点で魔術への適性を得ている。

 どちらか片方が人間ひとまの場合、その時点で子も人間ひとまだ。

 つまり、適性の因子を持っているかどうかと、それが発現するかどうかには大きな壁があって、だから彼方者あっちものなんていう中途覚醒者がそれなりに居るんだろう。

 

 薄暗い個室は十人くらい座れそうなテーブル席で、車椅子用に手前部分の椅子がどかしてある。

「ねぇ、財布出すからちょっとこれ持ってて」

「はいよ」

 手渡された身分証の文字が、はっきりと目に映った。

 馬酔木藍水ませぼらんすい、妖狼三年七月七日生まれ。

 それが本名なんだとしたら、馬酔木濫あせびらんという活動名は匿名性を投げ捨てているようなものだ。

 読み方は違うけど、こんなに珍しい苗字をそのまま活動名に使うか普通。

「……妖狼っていつだよ」

 元号を見るのは久しぶりで、ついでにあまり馴染みが無い。

 だからぱっと出てこない、なんて話では収まらない二文字だった。

「あ、そりゃこっちの元号なんか馴染みないよねぇ。えーっとね、二百年前くらい」

「……ぱっと見はせいぜい二十代ってとこだけど。え? 妖人およずれびとってそんな見た目若々しい?」

 俺の見た目で三歳も大概だけど、コイツの見た目で二百歳も大概だ。


「いや、これは僕が特殊。本来は二百歳って妖人およずれびとでもそろそろ天命なんだけど……」

「え、じゃあお前ジジイってこと?」

「どうなんだろう?」

 少なくともたった今首を傾げているコイツから、歳を食っているという雰囲気を感じたことはない。

「僕の家系って呪われててさあ、ほんとは成人すると泡になって消えるんだよね。あ、当時の妖人およずれびとの成人、四十歳ね」

「はいはい。それで?」

「死にたくないから十八歳で体の時間止めて、記憶をコストにしたんだよ」

「頭いいな」

 護符でも杖でも生身でも、魔力が枯渇すると魔術の発動は出来なくなる。

 ただ、そういうものが足りない時にでも、代償として血なんかをコストにすることが出来る。

 体力や気力とほとんど同じようなもので、寝たり食べたり休憩を取ったりすれば回復するのが魔力だけど、常に体の時間を止め続けるなら別のものをコストにした方が安全だろう。

「ただ、どれくらいの消費量になるかはかかってみるまで分かんなくて。一年あたり七日間分の記憶しか来年に持ち越せない代わりに、七日間分しか体も加齢しないようになった」

 ものすごくざっくりと、四年で一か月、五十年で一歳の加齢ってとこか。

 二百歳ってことは、呪文をかけたタイミングからは四歳も加齢していない。

 今、コイツの体が二十一歳として、四十歳になるまでは残り九百五十年。


「千年近く生きる予定ってことであってる?」

「計算早いね、正解」

「千歳が寿命の奴の二百歳か……」

 単純に考えようとした時、ゼロをひとつ消すと一般的な寿命に並ぶ。

 百歳生きる場合の二十歳はやっと煙草や酒が解禁される頃で、外見もそれと並んでいて、さらに持っている記憶、つまり経験の量さえも二十歳のそれと同程度でしかない。

「下手したら若いまであるのか。ややこしいなお互い」

 実年齢三歳の二十代と、実年齢二百歳の二十代がこうして面を合わせている訳だ。

えにしほどじゃないけどねぇ。そうだ、ここソフトドリンクのメニュー少ないけど、大丈夫?」

「ん、俺ザルだよ」

 外で飲むつもりはないけど、という本音は横に置いた。

 ほとんど、ただの意趣返しだ。

「ぇえ? 三歳なのに? ちょっとワルじゃない?」

「冗談、呑まないよ。ザルなのはマジだけど」

「飲んだことはあるんだ」

「事故でね。兄貴のコークハイを間違えて飲んだ」

 度数も別に低くないそれをコーラと間違えて一気飲みしたのは一歳になるかならないかの頃だ。

 その当時の俺に酒や煙草は二十歳からなんて知識は無かったし、チャイルドロックは俺に対して何の効果も無かった。

 それにチャイルドロックどころか、南京錠でも無意味だっただろう。

 右腕の鉱石を好きな形に変えることが出来るから、鍵穴に腕を押し当てればどんな物理錠でも開けられてしまう。

 

「あ! 期間限定で桃のフロートあるって! 甘いの好きでしょ、これにしたら?」

「好きだけど。なんで知ってんの」

「え? あー……ネラのプロフィールがそうだから」

「そうなんだ。どっか配信で口滑らせたか」

 神波かんぱネラのプロフィールを覗けば、身長や血液型なんかの項目に混ざって好きな食べ物が羅列されている。

 焼肉だったら最初はタン派、大根のサラダが好き、デザートに黒蜜きなこアイスを頼むとか。

「えー、なにこれ詳しい」

 何年も活動していて話した内容の蓄積ならこうなりもするかという納得と、それならどうして俺の好みが反映されてるんだという疑念が半々。

 まるで、俺自身が何年も配信してたみたいじゃないか。


「あ、そうだ、スマホ出しついでに、連絡先交換しようよ」

「え? ネラの連絡先知らない?」

「そっちは知ってるよ、同期だもん! 僕が知りたいのはえにしの連絡先」

「あー……。一緒に旅行するしな、いいよ、はい」

「はぐれ者同士仲良くしようよ」

「やっぱ辞めとくか」

「冗談だって」

 コイツ、ひとこと多いんだよな、さっきから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る