#6 あいつには甘い

 俺の歌が終わった直後、次の曲のイントロが始まった。

 次に歌う人が消去法で確定した以上、俺が歌っている間に彼が次の曲を入れておくのはきっと自然なことなんだろう。

 幽霊が昔一緒に生きた人を懐かしむ歌を選ぶのだって、設定に合っている。

 おかしなことは一切無いはずなのに、存在しないはずの意図を見ようとしてしまう。

 忘れてくれとさよならを祈った俺の直後に、忘れてなんかやるもんか、だって君は目の前にいるからなんて。

 まるで、俺への返答みたいじゃないか。

 歌い終わった幽禍かすかへの賞賛に薄っぺらい同意を重ねたものの、笑えている自信は無かった。

 

 ひとり二曲で二周、約一時間。

 最後に一曲全員で歌って、配信は終わり。

 大勢で歌う明るい曲は、俺の普段演っている歌とは違って、もはや知らない言語によるコミュニケーションの概念に近しい。

 恐怖と興味が紙一重、やや恐怖の方が優勢。

 大勢で鍋をつつくのに抵抗があるとか、他人が舐めたソフトクリームを食べたくないとか、その辺りの感情に近い、薄っすらとした生理的な嫌悪感。

 パーソナルスペースに両腕を突っ込まれて、思い切り肩を揺さぶられている。

 俺が俺だからそうなのか、兄貴にもその傾向があって、元から俺たちはそうなのか。

 人と何かをするのは楽しいことだけど、傷つけそうで怖い。

 怖い怖いと息を詰めているから、ぐったりと疲れ果ててしまう。


「締める前に、宣伝する人おります?」

「ん、俺は無いよ」

「僕も個人のやつは無いよ。ネラは無いんじゃなくて分かんないんでしょ」

「まあ、そう」

 誰かの誕生日とか、グッズが販売中とか、各自色々あるはずだけど、俺は自分のそれも把握出来ていないし、俺が把握していないことが把握されている。

 それは演者だけじゃなくて視聴者も同じく。

 自分のことなのに、他人事みたいな話し方と振る舞いするのが神波かんぱネラだ。

「ほんなら、発表しましょか」

 黙り込んでいる幽禍かすかが焦っているように見えるのは、気のせいであって欲しかった。


「今日のメンバーで、旅ブログやりまっせ!」

 レモンの明るい声と同時、モニターへ宣伝用らしい見覚えの無いイラストが表示された。

 温泉街を浴衣で楽し気に歩く、俺たち四人の様子だ。

 意味が分からない。

 うっかり声を出さなかったことを、誉められたいくらいだ。

 スタッフの出したカンペには、丁寧に名前が振ってある。

 正直、文字の色合いでなんとなくは絞れるけど。

 例えばらんがピンク色なのは、馬酔木の花がピンクか白だからだろう。

「宿泊料金とかが幽禍かすかの奢りなので、最初の動画は幽禍かすかのチャンネルで公開予定です!」

「旅館からの配信は、俺、神波かんぱネラのチャンネルでやるかもしれません」

 コメント欄は驚いているのか随分と賑やかだ。

 正直、俺も視聴者に負けないくらいかそれ以上にびっくりしてるけど。

 詳細についてをレモンと幽禍かすかがすらすらと説明して、軽快な音楽と共に配信は閉じられた。


 で、旅ブログって何の話だ。

 兄貴が外に出て、誰かと話しながらカメラを回せるとは到底思えないし、車椅子の幽禍かすかだって居るのに。

 幽禍かすかの声がやけに低い位置から聞こえることになるのはまあ、ガワの身長が実際それくらいだからアリにするとして。

 ホテル代が幽禍かすかの奢りなら、発案者は幽禍かすかか。

「ネラ、用足したいから連れてって」

 その暫定発案者が、そんな言葉と共に手を振った。


「で、ここのスタジオのトイレをマジで使うん?」

「いや? えにしに用があるだけ。この辺でいいかな、トイレは予約した店で行くよ」

 トイレへ向かう途中で廊下を曲がり、人通りのほとんど無い行き止まりで車椅子を停めた。

 倉庫の代わりにでもなっているのか、使われていない椅子や机なんかが積まれている。

「やっぱり、そっちか」

 このスタジオに、多目的トイレは無い。

 つまり、彼がここのトイレで用を足そうとした場合、ドアの前辺りに車椅子を停めて、介助者が彼を支えてトイレに座らせる、辺りが想定される訳で。

 俺に平均的な成人男性と同程度の筋力はあるらしいし、別に不可能ではないけれど、積極的にやりたくはない。

「ちゃんと紙パンツ履いてるし」

「だろうと思ったけど、それは言わんでいい」

 俺のおむつが外れたのは去年だし、兄貴も元々、長時間配信や収録の時にそれをお守りとして使っていた。

 だから俺が一年前まで使っていたおむつと、今も彼が履いているだろう紙パンツは多分同じメーカーのものだ。


「で、俺に用があるんじゃないの?」

「あ、そうそう。下着の話はどうでもいいんだよ。旅行、えにしはどうしたい?」

 全権を委ねる聞き方に、思わず一瞬天を仰いでしまった。

「絶対来いとか、兄貴だけが行くとかじゃなくて、俺が参加するか保留の状態で発表したの? マジで言ってる?」

あまねが珍しく外出に乗り気だったから、邪魔したくなくて……」

「そうだ、お前は兄貴に甘いんだった」

 甘いというか、友情を通り越して傍目からはベタベタの共依存に見える。

 なんたって、兄貴が普段自分の声として使っているアプリの製作者はコイツ、伴紗鳥ばんさとりだ。

 美甘周みかもあまね伴紗鳥ばんさとりの足になり、伴紗鳥ばんさとり美甘周みかもあまねの声になる。

 

えにし、反応的に旅行のこと何も知らない? よね?」

「知らんね。目的地も何も聞いてない。俺が右腕を隠すのはもちろんだけど、お前大丈夫なん?」

「温泉街の、客室に介護ベッドがあって車椅子対応の貸切風呂がある旅館で二泊三日の予定だね、今のところ」

 紗鳥さとりはそう言いながら、スマホの画面を見せてくる。

 手厚いバリアフリーを謳う、旅館のサイトが表示されていた。

 料理は全部部屋に運ばれてくるし、温泉も自分たちだけの貸切。

 行き帰りは事務所の車だろうから、つまり、他の人との接点はそれなりに限られているんだろう。

「あ、だから出資者なのか」

「うん。オレの過ごしやすいところに、オレの金で連れてくならまあいいかなって」

「ちなみにだけど、俺が行かなかったら動画はどうなる?」

神波かんぱネラの喉が治りきってなかったことにして、神波かんぱネラだけアフレコで後付け」

「……行くよ、オフコラボ担当は俺だし。それだとレモンとの不仲説も残るだろ」

「お前はあいつに甘いから、そう言ってくれると思った」

 一体どこまでが計算内だったのか、別にいいけど。


「言い出しっぺは? 今日の主催?」

「うん。発案はレモンらしいよ。レモンとネラは不仲って言われ始めてたからね。ケアにちょうどいいと思ったのかな」

「ああ、さっきの配信でも茶化してたな、不仲説」

 むしろ、神波かんぱネラが二人で運用している上に兄貴が出不精で会食の類へほとんど参加しないから、神波かんぱネラの交友関係が狭く浅いのが実情だ。

 幼馴染で、今も兄貴とは同居している幽禍かすかが特別なだけ。


「特に中高生くらいのファン、なんか仲良しごっこを前提にするよな。個人事業主のことをどう思ってんだか。表に出てるものがすべてな訳無いし、演者同士が全員仲良い訳も無いだろ」

「まあまあ、まだ子どもだから、そういうのは分からないんでしょう。せいぜい十五、六歳くらいの子だよ?」

 心が二つに分かれていた。

 中高生は未熟な保護対象だと理解する感情が半分。

 それなら俺はどうなる、なんて皮肉が、もう半分。

「俺より十以上歳上だけど」

「そうだった。あれ、今って二歳? そろそろ三歳になった?」

「今日で三歳」

「あ、そうなんだ、おめでとう。……ん、今日?」

「うん、今日」

「えーっ、ほんま? 言ってや! お誕生日おめでとうさん」

 聞き覚えしかない、癖の強い関西弁が、後ろから手を振っていた。

「誕生日ケーキ、何味がいい?」

 店を予約したのはらんだったらしい。

「……チョコ」

「おっけい」

 これで、スタジオに居た演者は全員集合だ。

 

「二十三歳なんやったら、同い年やな」

「いや、三。レモンが二十歳上かな」

 一部の彼方者あっちものにしか支給されない身分証を、財布から取り出した。

「ん? ほんまや、三歳……。あまねとえにしって双子やんな?」

「俺がバニシングツインだから、二十年くらいは兄貴と文字通りの一心同体だったんだよね。出生届辺りは色々捏造したらしい」

 通常の出生工程とは程遠いから、無茶苦茶をやるしかなかった。

 書類上、俺の父親は兄貴だし、母親は不明ということになっている。

 ついでに、兄貴の親の記憶は不自然なくらい欠けている。

 俺が生まれるよりも前、両親が離婚したタイミングでお互いに連絡先が分からなくなったらしい。

 それだけでも円満な家庭からはかけ離れていたんだろうけど、俺が記憶として兄貴から受け継いでいない辺りも、まあ、その、なんだ。


「え、例えば役所の人は、あまねがシングルファザーだと思ってるってこと?」

「そうだな。前に区から届いた育児応援ナントカには、オムツとかベビーフードとか入ってた」

 書類上、三歳児の独居は成立しないから、兄貴と俺は同じ家に住んでいることになっている。

 つまり兄貴は戸籍上、幼児を養っている独身男性だ。

 だから何かしらの支援対象になったことまでは理解出来たが、突然ひとり暮らしの自宅に幼児用のオムツとベビーフードが届いた俺の身にもなって欲しい。

「え、じゃあ、ベビーフード食べたの? 美味しかった?」

「食ってない。開封せずに箱ごと児童養護施設に寄付した。食べるものは成人と同じだから。酒も飲むし」

 なんなら、体の造りが特殊だからなんだろうけど、俺は完全にザルだ。

「あ、飲めるんだ。飲み放題プランが無駄にならなさそうでよかったぁ」

「予約が無駄にならないように、そろそろ行こう?」

「まだ時間あるで?」

 紗鳥さとりは、きっと兄貴より先に店へ着いていたいんだろう。

 彼は兄貴には甘いから。

 店員と話せない兄貴がひとりで店に着いても、レジ前辺りでウロウロする不審者が生まれるだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る