第139話 月の王の戴冠式
戴冠式当日——。
この日初めて、新国王が国民の前にお披露目される。その子は、カーヤと地球の帝の子とされ、名君キーレ前国王の曾孫にあたる。三百年振りに正当グレイスヒル王家に王子が誕生したことも相まって、戴冠式は、国を挙げてのお祭り状態となっていた。
王宮の庭園や、町中のあちらこちらに出店が出て、紙吹雪や花びらが舞っている。月とヘイアンの王子誕生に、かつて一大ブームを巻き起こした、羽衣装束でお祝いする女性が多く王宮に訪れた。王宮の女官らも、それに乗じて羽衣装束に身を包む。その光景に、
新国王が赤ん坊のため、後見人となったイーガー王太子が、戴冠式でスピーチを行うこととなった。あらかじめ用意していたスピーチ原稿をセライが渡そうとして、それをイーガー王太子が断った。
「私は国王の後見人として、自分の言葉で国民に気持ちを伝えたい」
「イーガー殿下……」
「セライ、お前はハクレイを、偉大だと思うか?」
思いがけないセリフに一瞬言葉が詰まるも、セライは墓前に
「そうか。ならば、それを国民に伝えよう」
そう言って、イーガー王太子が席に着く。セライもまた、晴れやかな気持ちで、戴冠式の司会を務めた。
王宮前広場に、たくさんの国民が集まった。グレイスヒル王家や、各地の王族が集い、カーヤと共に姿を現した月の王——エマ国王に、国民は歓声を上げた。歓喜と幸福感が国中を包む中、戴冠式を見聞していた朱鷺や
「まさか月の王が、
戴冠式の様子を『
「左様にございまするな。麒麟も、
「流石は我が影ぞ。帰ったらば、いの一番に褒めてやらねばのう」
三人が麒麟を想い、そっと微笑んだ。
「——では、エマ新国王のご誕生を祝して、新宰相となられました、……シュレム議員より、お言葉をいただきます。シュレム議員、どうぞ」
「ふん。負け惜しみめ。シュレム宰相と呼べ、宰相とな」
シュレムが小言を言う。祝いの場であっても、セライは
「——私が必ず、この月を今よりも強固なものとすることをお約束しましょう! 我が月は偉大なのです! 地球よりも遥かに優れた技術でもって、いつの日か、必ず我が故郷を取り戻してみせましょう!」
「……月が偉大と申されたいのか、それとも地球に帰りたいと申されたいのか、
しらけた様子で、水影が顔を
「——つ、つづきまして、エマ国王の後見人に就任されました、イーガー王太子殿下のスピーチです。ではイーガー王太子殿下、よろしくお願いいたします」
セライの進行により、イーガー王太子がマイクの前に立った。国民がその言葉を待ち望んでいる。本来であれば、国王としてこの場に立つはずだったイーガー王太子は、大きく息を吸った。
「ふふ。あの寡黙な王太子が、何を話すか見物だな」
スピーチを終えたシュレムが、月暈院の議員に向けて、嘲笑を浮かべた。
イーガー王太子が国民に向け、話し始めた。
「少し前までは、私が国王として、みなさんに向かい、何を話すべきかと、考えておりました。しかし今日、幸運にも、グレイスヒル王家に王子が誕生したことにより、私は国王ではなく、国王の後見人として、この場に立つこととなったのです。私は、自分が国王の器にないことが分かっていながらも、次期国王として、どうあるべきかを考えてきました。それでも、国王とは何か、愛とは何か、その答えが見つかることはなく、前国王が辿られた運命が、自らにも降りかかるのではないかと、国王となる我が身を悲観していたのです。しかし、それは間違いであると気が付きました。国王となることで不幸になるのではなく、国王として、何が大切であるか気づけないからこそ、不幸になるのだと気が付いたのです。そして、それは何も国王だけではないのです。みなさんは、亡くなったハクレイ宰相が、何を大切にしていたかお分かりですか? 今、宰相の墓の前には、多くの花々が
イーガー王太子が、セライや、ハクレイの墓に花を手向けた人々に目を向けた。
「……ハクレイは、決して悪の宰相ではない。国民の幸せを願い、守りたかったのだと」
イーガー王太子の言葉を、誰もが聞き込んでいる。セライが胸に手を寄せ、ハクレイの名誉回復を掲げるイーガー王太子の心意気に、感謝を示した。
「私はエマ新国王の後見人として、国王と同じように、国民の幸せを願います。それが実現するように、一歩一歩進んでいきたいと思っています。やがてエマ国王も、多くのことに迷い、
イーガー王太子が、安孫に目を向けた。
「大切なものは、人生の中にあります。大切なものを見つけ、守るのが、人の生きる道です。国王も、国王の後見人も、宰相も、国民も、それから地球に住む人々も、大切なものはみな同じです。それに気づけた今、私は国王の後見人として、国王が歩まれる道を、必ず守ってみせます。もう二度と、国王の志を途中で終わらせるようなことはさせない。国王を守り、国民を守り、今日生きる幸せを明日に繋げる。ハクレイ宰相がそれを理想と掲げたように、私もそれを大切なものとして、人生を歩んでいきたい。どれだけ罵られようが、どれだけ憎悪を向けられようが、たった一人の息子を愛し、守ったハクレイ宰相は、偉大です。私はそう、信じています」
熱く語ったイーガー王太子のスピーチであったが、国民は沈黙した。それでも、旧スラム街から戴冠式に駆け付けた人々からは、歓声が上がった。それが波のように伝わり、やがて観衆全体から歓喜の声が上がる。
「エマ新国王万歳!」
「イーガー王太子万歳!」
「ハクレイ宰相ありがとー!」
観衆の歓喜に包まれ、ルーアンやスザリノ、ルクナン、エトリアは、エマを抱くカーヤの下に集った。国民の祝福を受けた戴冠式に、グレイスヒル王家は幸福感に包まれ、観衆に向けて手を振る。司会を務めるセライもまた、ハクレイの名誉回復に涙ぐんだ。
「——っち。イーガーめ、余計なマネをしおって!」
まだ戴冠式の途中だと言うのに、苛立つシュレムが席を立つ。ハクレイへの感謝が飛び交う中、忌々しく式場を後にした。月暈院の控室へと戻る途中、黒いフードを被る一人の男とすれ違った。その瞬間、シュレムが立ち止まる。恐る恐る、その男に振り返った。
「……お前は、まさかっ……」
「ああ。お前達の死神が帰って来たぜ? カーヤ殿下が地球から戻ったんだ。分かってただろ~?」
シュレムに振り返った男が、フードの中から、ニッと笑う。男はフォルダンで、その頬には返り血が飛んでいた。
「くそっ、私がこんなところでっ……」
「さっさと死ねよ、くそやろう」
すれ違いざま、瞬時にシュレムの心臓に致命傷を与えたフォルダンが、目にも止まらぬ早業で、暗器をポケットにしまう。
「いったい、だれが、わたし、をっ……」
その場に崩れ落ちたシュレムに、フォルダンが冷徹な眼差しを向ける。
「何があっても依頼人の名を口にしないのが、
フォルダンがシュレムの最期を見届けた後、戴冠式で司会を務めるセライに目を向けた。
「あとは頑張れよ、セライ宰相」
戴冠式の裏で実行された、シュレムの暗殺。その全貌が、国民に知らされることはなかった。新国王誕生の歓喜を前に、シュレムは、突発的な事故により亡くなったと報道されたのだ。それにより、セライが改めて月暈院からの指名を受けることとなり、エマ国王の後見人であるイーガー王太子の信認の下、正式に宰相に就任する運びとなったのである。
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