第107話 日輪に差す闇

 蝦夷えぞ討伐から帰還した春日安孫を、父、道久が宮中にて迎え入れる。戦にて大勝利を収めた安孫あそんの堂々とした凱旋に、「あれがそなたの幼馴染か」と時宮ときのみや水影みなかげに聞く。

「……はあ。無事帰還されましたな。名誉の討ち死にを望んでおったのに……」

 ぼそりと呟いた水影に、「まあ、あれは何があっても生きて帰ってこよう」と時宮が、父の前で嬉し泣きを見せる安孫を見て、そっと言った。


「——これが、主上が勅命ちょくめいか?」

 別室にて二人きり、晴政からみことのりを見せられた道久が、ごくりと固唾を呑む。

「そうじゃ。胸糞じゃろう?」

「胸糞どころの話ではなかろう! 何じゃ『美麗狩り』とは! 左様に美しいもの、麗しいものがお嫌いならば、ご覧にならなければ良いことだけぞ! それをこの国がすべての美男美女を捕らえ、処刑せよとは、この世を生き地獄にされるおつもりかっ!」

 憤りが治まらない道久に、「もあろうよ」と晴政が疲れた表情で頭を抱える。

「何じゃ、晴政。眠れておらぬのか?」

「……斯様かような馬鹿げた詔などあってはならぬと進言したのじゃが、聞く耳すら持たれぬ。我が命を懸けて、夜通し撤回の意向を示されるよう諫めたが、無理じゃった……」

「晴政……。御前おまえ一人でどうこうなる話ではあらぬじゃろう。何故なにゆえわしを呼ばなんだか」

「御前は既に、戦場におる嫡男殿の無事を夜通し祈願しておったであろう? これ以上、摂政殿に無理をさせるわけにはいかぬでな」

 茶化すように笑うも、「……すまぬ、晴政」と道久がこうべを垂れる。穏やかに晴政が笑う。

「無事嫡男殿が帰って来られて良かったのう、道久」

「ああ。蝦夷討伐にて討ち取った首級は、安孫が一等じゃった。座学からは逃げまどうておったくせに、戦となると、人が変わったようになるでな。まったく、もうちと三条家の水影殿を見習うてほしいのじゃがな」

「なあに。あれもあれで強情よ。わしのことを大いに憎んでおるでな。あの年で既に達観してお……ごほっ……」

 俄かに咳き込んだ晴政に、「無理をするでない、晴政」と道久がその背を摩る。掌についた血反吐を握り、晴政が、じっと前を見据える。

「……っ、大事ないっ……。されど、斯様な胸糞を、罷り通すわけには、いかぬな……」

「ああ。安孫も無事に帰って来たところじゃ。次なる帝を、我らがおる内に決めなくてはのう」

 道久もまた、鷲尾帝をその地位から引きずり下ろすため、腹の中に覚悟を決めた。そこに、突如として姿を現した鷲尾帝。二人に緊張が走る。平伏し、その言葉を待った。

「……我が詔を、我が手にて、発動させよう」

 恐れていた事態に、正義を貫きたい晴政が口を開く。

「帝が『美麗狩り』など許されませぬ。今一度、御考えを改められませ」

「三条」

「……は」

「そなたの子は、綺麗な顔立ちと聞く。真か?」

「なっ……にを、仰せにっ……」

「春日」

「……は」

「そなたの子も、武人として麗しかろう」

 帝の言わんとしていることを理解しているからこそ、「我が子は、粗暴にて」と否定する。

「……うぞぶくでない、春日。三条も良う聞くのじゃ。我が勅命『美麗狩り』を遂行せよ。帝直々の命じゃ。背けば、そなたらの子から、見せしめに処刑しようぞ」

 幼子からの脅しに屈するしかない、道久と晴政。断腸の思いで、「……御意」と呟いた。


「——そなたが春日安孫、道久が嫡男か」

 突然目の前に現れた公達に、思わず安孫は目を丸めた。

「さように、ございまするが……。貴殿は……?」

「俺か? 俺は時——」

「亡き夕鶴帝ゆうかくていが御継子——時宮様にございますよ、安孫殿」

 二人の間に割り込んだ水影に、「何処いずこられたのか、水影殿! もしや時宮様の背に御隠れになられておいでだったか。いやぁ、気付きませなんだ」

 悪気なく明るく笑う安孫に、水影がイラっとする。

「ほう? それは私が小さいと、そう仰せか?」

「いやいや、ははは。この感じ、懐かしゅうございますな」

「俺を差し置いて、二人で話すでない!」

 置いてけぼりの時宮が、不意に不機嫌オーラを放った。

「も、もうしわけございませぬ! 改めて、春日道久が嫡男、春日安孫にございまする。時宮様におかれましては、ご機嫌麗しく、……? 時宮様? あれ、夕鶴帝崩御の知らせは届いておったのですが、今は時宮様の御時世ではあらぬのですかな?」

「何を仰せか。今はわしの時世ですぞ」

「鷲……? ああ、鷲宮わしのみや様のことですかな。成程、夕鶴帝の跡を、弟君が継がれたのですな。いやぁ、面目次第もありませぬ。戦場いくさばにおっては、世間にとんと疎くなるものにございまして、すっかり時宮様が世と勘違いしておりました」

 はははと笑う安孫に悪気がないと分かっているからこそ、時宮も怒れない。ただ水影は、すべての想いを代弁するかのように、安孫の足を踏んづけた。

「いっ……水影殿、何をっ……」

うるそうございます。貴殿はもう何も喋られますな」

 顔に真っ黒な影を差して、水影が言う。

「よい、水影。それよりも、そなたも色男よのう、安孫。惚れ惚れするほどの美丈夫よ」

 鍛え上げられた筋骨隆々の体に触れながら、時宮が褒める。

「い、いやぁ! それがしなど、時宮様と比べるも恐れ多くございまするが、宮様こそ、都一、いやこの国一等の美丈夫にございまする」

 眩しいくらいの笑顔に、時宮も、すっかり安孫を気に入った。

「水影も綺麗な顔立ちをしておるし、我ら三人で、宮中耽美衆でも立ちあげるかのう」

「耽美とは、いささか気恥ずかしゅうございまする。それよりも——」

 水影の言葉を遮るように、「主上の御前じゃ! 皆の者、平伏せよ!」と禁中から言葉が上がった。さっとその場に平伏した時宮らの前に、颯爽と鷲尾帝が姿を現した。その背後に、道久と晴政が深刻な面持ちで立っている。

「父上……?」

 只ならぬ空気を感じ取った安孫と水影が、互いに視線を交差させる。その後、『美麗狩り』の詔を宣言した道久と晴政によって、人々は恐怖のどん底に突き落とされたのである。


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