第106話 初々しい恋と絶望
元々眉目秀麗、歌や舞にも精通している
のちの鷲尾帝の妃選定のため、後宮は桐緒の上に仕える
「——今日も盛況であったのう!」
漫談を終えた時宮の後を、朔良式部が物陰に隠れながら追いかける。隠れ切れていない朔良式部を、歩きながらも時宮は気づいていた。
(な、なんぞ? あの女人は……)
さっと振り返った時宮に、「ぎゃっ」と驚いた朔良式部が物陰に隠れる。しかしながら、色々なものがはみ出ている。
「も、もし、そこが方、俺に何用が御有りか?」
意を決し、時宮が話しかける。「ひゃあ!」と気づかれたことに、朔良式部が驚嘆の声を上げた。心臓が高鳴り、爆発寸前の朔良式部が、こちらもまた、覚悟を決め、時宮の前に歩み出た。
「こ、これをっ……」
差し出された歌に、時宮もまた、ぼっと顔を赤らめた。初々しい二人の傍を通りかかった
「……早うくっつきなされよ」
ぎょっとした二人だったが、確かに互いの心臓の高鳴りを聞いた。それから何度も時宮と朔良式部は、互いの想いを伝え合った。そうして遂に、桐緒の上の目をかいくぐり、一夜を共にしたのである。
「——朔良は幸せです、時様」
時宮ではなく、時様と呼ばれることに、時宮自身、穏やかな心持ちになれた。
「俺も幸せぞ、朔良」
「いつか、貴方様のご時世になられますことを、朔良は心より願うております」
「そうだのう。俺も、帝になりたいが……」
後ろから朔良を抱き締める時宮の腕に、ぐっと力が入る。それを感じ取った朔良が、時宮の手を握る。
「桐緒様の権勢は、そう長くは続きませぬ。あの御方の死期も近いかと……」
帝の母后としての権勢も、病に伏せがちとなった昨今では、あまり脅威を感じなくなっていたのは確かだった。
「婆様もついに旅立たれるか」
「時様を苦しめるだけ苦しめたのです。あのような鬼婆など、地獄に堕ちれば良いのです」
「お、おお……。そなたも存外言うのう……」
「あら? お嫌いになりまして?」
振り返った朔良式部に、「いいや」と時宮が首を振る。
「良う言うてくれたと感謝する。そなたは真、芯の強い女人よ。そなたと堂々と愛し合える世となれるよう、俺も尽力せねばのう」
そう言って、再び朔良式部の唇に自信のそれを重ねた。
それから数日の後、本当に桐緒の上が亡くなった。最後まで自分を恨んでいたことを人伝に聞いた時宮に、朔良式部が隣でそっと寄り添う。どんなに確執があろうとも、祖母の死に、時宮は涙した。しかし、これで、堂々と朔良式部と愛し合える——。そう思っていた矢先のこと、水影から衝撃的なことを聞かされた。
「——時宮様、落ち着いてお聞きくださいませ。……朔良式部が、亡くなられました」
「……は? なにゆえか……?」
呆然とする時宮に、平伏する水影が続ける。
「……帝による、
「粛清? 朔良式部が何をしたと申すか! 粛清される
「桐緒の上様を、暗殺した罪にございます」
「あんさつ……?」
狼狽する時宮が、首を振りながら息を呑む。
「婆様は、病にて亡くなられたのだぞ! それが陰陽頭、不動院一益の見立てであろう!」
声を荒げる時宮に、「陰陽寮にて、死因が暗殺と、変更されたのでございます」と、冷静に答える水影に、ぐっと時宮が奥歯を噛み締める。
「陰陽師らは何をしておるっ……! 斯様な横暴が罷り通うて良いはずがなかろうっ……! 何者かが裏で手を引いておる、そうであろう、水影!」
「……左様にございまする。すべては帝による、策略かと」
「おのれ、幼子の分際でっ……」
怒りで気が狂いそうになるほど、時宮は頭に血が上っている。
「落ち着きくださいませ、時宮様! 怒りに御身を任せては、帝の思うつぼにございましょう!」
ちょうどその頃、陰陽寮では、
「——
「……そなたは知らんで良い。すべては、禁中に掬う闇のせいよ」
「またそれか。真、腐りきっておるのう、禁中も、我が陰陽寮もっ……」
「幼子であっても、帝は帝。あの
「……であらば、朔良式部が暗殺の疑惑を掛けられ、その場にて斬り捨てられたはっ……」
禁中が下した理不尽に、満仲の怒りが沸々と湧き上がる。
「
満仲の決意がなされたその日から、悲しみに暮れる時宮は、心の安定のために、次から次へと女人の下を訪れては、寂しい気持ちの穴埋めを行った。元々眉目秀麗だけあって、消沈する時宮を、女人らは誰一人拒まなかった。その時はまだ、時宮自身、鷲尾帝が何故朔良式部を粛清したのか分かっていなかった。すべては恋人を得た時宮への嫌がらせ。時宮の幸せを阻むためだと思っていた。ただ愛されたくて女人の下に訪れた、一夜限りの関係であれば、帝も手は出さないだろう。愛する朔良式部を失い、ぽっかり心が空いてしまった時宮は、その後の悲劇を考えもしなかったのである——。
鷲尾帝は、あらゆる手段を使って、時宮と契った女人を割り出した。そうして明るみに出た女人らを、悉く処刑したのである。すべては、自分と契った女人との間に子が授かることを恐れた、帝の粛清——。そうだと気づいたときには、幾人もの女人らが、すでに亡くなった後だった。
「……帝がおる限り、俺は誰も愛さぬ。愛される資格もない。
時宮十七の年。鷲尾帝による恐怖政治が、始まろうとしていた。
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