第104話 ふてぶてしい公達

 臣籍となった時宮ときのみやは、特にすることもなく、一人で禁中を歩き回った。今までであれば、面白おかしく冗談を言っていた臣下が、何故だか急に余所余所しくなり、どこへ行っても、時宮の話に応える者はいなくなった。

「なんぞ、つまらぬのう」

 すべては、鷲尾わしお帝と桐緒の上の策略であることは分かっていたが、縁側で一人、石ころを蹴る時宮は、寂しい気持ちでいっぱいだった。当然、東宮とされた弟の鷹宮わしのみやとも疎遠となり、誰一人味方のいない状況に、やりきれない思いに苛まれる。だからと言って、鷲尾帝の御機嫌取りなど、死んでも嫌だった。そうして一年ほどの月日を禁中の縁側で過ごしていたある日、目の前を、一人の若い公達が通りかかった。

「……ん?」

 背が低く、幼い顔立ちであっても、すっと前を見据える横顔に、時宮が興味を示す。すぐにその公達を追いかけ、「待て待て」と、その袖を掴んだ。

「なっ……にをされまするっ……!」

 ばっと袖を引いた公達の顔を、時宮が「ほうほう」と隈なく見る。不機嫌な顔で、公達は顔を反らした。

「満足されましたかな?」

「否。もうちとそなたが顔を見ていたい」

 気色悪い発言に、公達はサブいぼが立つ思いでいた。

「そなた、綺麗な顔立ちをしておるのう。年は幾つぞ?」

「……十三にございます」

 不躾に答えた公達に、「ほうほう!」と、更なる興味がわく。

「十三とは、俺より三つしか違わぬのだな。されどその若さで禁中に仕えるとは。どこぞの公達ぞ? 貴族か? 武家か?」

「はあ。三条家は晴政が次兄、水影みなかげにございますれば、以後お見知りおきを」

 ほとんど投げやりに答えた水影。相手が時宮とはまだ気が付いていない。

「ほう! 晴政が息子か。そなたがの有名な相槌丸あいつちまるか!」

「相槌丸ではなく、水影にございます」

「どちらも同じぞ! そうか、道理で太々しいわけぞ。ははははは!」

 俄かに笑いだした時宮に、「貴殿は?」と苛立ちを募らせる水影が問う。

「俺か? 俺はー……」

 俄かに暗い表情を見せる時宮に、「……貴殿が情緒は、どうなられておいでか」と、冷静に水影がツッコむ。

「俺は……何者でもあらぬ。ただそこにある、石ころと変わらぬ男よ」

 自嘲気味に笑う時宮に、「はあ……」と訳が分からないといった様子で、水影が口にする。

「では、私はれにて」

 そう言ってそそくさと歩き出した水影に、「待て待て待て!」と、更に時宮が付きまとう。

「なっ……! 重うございますれば、その図体を離されませっ……」

 三歳差の体格さに苛立つも、同い年ですでに巨体である安孫あそんを思い出し、更に水影が不機嫌オーラを放つ。

「不愉快にございますれば、早うおどきあれっ!」

「つれぬことを申すな。この俺を諫めるなど、その不遜な態度も気に入ったのだ」

「勝手に気に入られますな! 私は忙しいのですぞ!」

「ならば俺もそなたが仕事を手伝おう!」

「結構にございます!」

 きっぱりと断りを入れた水影に、時宮のドキドキが止まらない。

「ならば共に悪戯でもして回ろうぞ!」

「阿呆かっ!」

 水影とのやりとりに、時宮が一種の興奮を覚える。抱き着き、「好きぞ~」と、完全に年下である水影になついた。

 クソでかい溜息を吐いた水影が、一度冷静さを取り戻すため、時宮と向き合った。

「ん? 如何どうした? まさか俺に惚れたか?」

「冗談は御顔だけにしてくだされ」

「なっ! 俺は眉目秀麗、完璧なるっ……」

 そこまで言って、時宮の気持ちがまた、沈んだ。

「俺はただの、石ころぞ……」

 またもや自分を石ころと卑下する時宮を、水影が無表情に見上げる。

「……何故なにゆえ、貴殿はそこまで己を蔑まされるのか?」

 水影の冷静な言葉に、時宮が暗い表情のまま、目を伏せる。

「俺は誰にも、相手にされぬでな。ゆえに、そこらに落ちておる石ころと同じぞ」

「左様ですか。……私には、幼き頃よりの間柄である巨漢がおりますが、私はその者のことを、常に無き者と視ております。されど、その者は自己主張が激しく、無視すらば、何故無視するのかと、喚き散らしまする。ゆえに、貴殿も左様に喚いてみては如何いかがですかな? さすれば、嫌でも周りの者らは、貴殿に構いましょうぞ。それこそ、道端の石ころの方が良く思えるほどに」

 思わず面喰った時宮だったが、「そうか。そなたの幼馴染は、左様な男か。是非ともうてみたいのう」と、感慨深く言った。

「あの者は今、蝦夷えぞ討伐に出ておりますゆえ、しばらくは戻らぬかと。下手をすらば、名誉の死も有り得ますぞ。まあ、あの者のこと。此度こたびも勝利を収めるのでありましょうが」

「左様か。左様な勇猛果敢な武将であらば、討ち死にすることもなかろう。の者の帰還を楽しみに待つとして……」

 時宮が、真っ直ぐに水影を見つめた。

「改めて名乗ろう。俺は亡き夕鶴帝ゆうかくていが継子、時宮。現帝の甥に当たる者ぞ」

「時宮……さま?」

 目を見開いて見上げてくる水影に、時宮が笑う。

「ははは! 今ならば、此処ここまでの非礼を許してやらんこともないぞ!」

 明るく言った時宮であったが、じっと一点を見つめる水影に、再び心がきしむ。

「……晴政が息子であらば、俺のことも聞き及んでおろう。時宮のことは無視するよう、左様に言われておるのだろう?」

 宮中に誰一人味方などいない時宮にとって、有能な臣下を傍に置きたい気持ちは強かった。しかしそれ以上に、友と呼べる間柄の人間を、その頃の時宮は、喉から手が出るほど欲していたのである。

 しかしそれは、叶うこともないのだろう——。時宮は、水影の表情を見て確信した。地面に視線を落としていた水影であったが、一呼吸置くと、時宮を見上げた。

「……私は、己が運命を悲観する御仁ごじんは、嫌いにございます」

「なんと……?」

「どのような悲惨な人生であろうとも、自らの手で運命を変えんとせぬ御仁とは、相容れませぬ。私はこの禁中にて、嫌と言うほどの闇を見ておりまする。されど……私は私の手にて、この運命を変えてみせまする。貴方様がはかりごとにて、御苦しい立場にあられることは存じております。万一、恨みつらみを残して亡くなられるようなことがあらば、貴方様は“視えざる者”ともなりましょう。さすれば、私は貴方様の身代わりとして、罪あらぬ者を殺さねばならなくなりまする。……貴殿は、左様な御仁になられますな。お強うなりなさいませ」

「水影……」

 年下の言葉に思わず感服した時宮だったが、不意に呼んだ名前に、急に気恥ずかしくなった。

「す、すまぬ。臣籍である俺が、三条家の公達の名を、気安く呼んでしもうた」

「別に何と呼ばれようが、構いませぬが……」

 宮家の公達が何を遠慮することがあろうか?と、水影が怪訝な表情を浮かべる。

「な、ならば、もう一度呼んでも構わぬか?」

「はあ。どうぞ」

「み、みなかげっ……」

 赤面するもどこか嬉しそうな時宮。禁中での権力闘争にほとほと嫌気がさしていた水影だったが、初めて穏やかな気持ちを抱いた。ほんの少し笑みを浮かべ、時宮に一礼する。

「私はれにて。また機会がございましたらば」と伝え、仕事に戻った。

 決して自分の非礼を詫びない、どんなに悲惨な運命だろうとも、自ら立ち向かい、変えようとする水影の強さに惹かれた時宮は、久しぶりに活力を取り戻した。見上げる青空に、うんっと掌を日輪に向ける。くるりと掌を返し、自らが欲するものを手に入れるため、ぐっと拳を握った。


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