第87話 水影の想い人

 地球——ヘイアンの都、三条家の屋敷。

 暖冬続きだった都にも、ついに今年、初雪が降った。

「——おお! これが雪ってやつかぁ!」

 庭に積もった雪の上で、フォルダンが大きく天を仰ぐ。縁側に座るレイベスも、お茶をすすりながら、「綺麗なものですね~」と、地球の風物詩に興を感じている。

「ほら見て、これが雪うさぎというものらしいわ」

 カーヤが麒麟きりんと共に作った雪うさぎを、フォルダンとレイベスに見せる。

「おお! 可愛らしいですね。この赤目は、何の実ですか?」

 レイベスに訊ねられ、

「ああこれは、南天なんてんの実ですよ。月には無いものですかな?」と、麒麟が懐から赤い実を取り出し、それを手渡した。

「初めて見る植物です。この実も雪も、常に安定した気候にある月では、ヘイアンのような、四季の移ろいは感じられませんからね」

 レイベスが感慨深く言う。

「くしゅん!」

 くしゃみをしたカーヤに、「屋敷に入ろう」と麒麟が促す。

「ええ。風邪をひいては大変だわ」

 カーヤの体を労わる麒麟が、そっとその背中に触れる。カーヤもまた、自分の腹に手を寄せ、ゆっくりと屋敷の中へと入っていく。その光景に、「……ん?」とレイベスが訝しがる。

「多分、そういうことじゃねーの?」

 フォルダンが、レイベスの隣に座って言った。

「そういうこと、とは……?」

「え? ベスお前、分からねーの? 嘘だろ? お前も、都中の可愛い子ちゃん達から、言い寄られてる色男じゃん?」

「言い寄られている? 私がですか?」

「え? お前の日課である、朝の散歩。誰彼構わず愛嬌振り撒くせいで、都中の女の子たちがお前にメロメロなの、知ってるだろ?」

「そうなんですか?」

「うそ、やだ。怖いんだけど……」

「フォル? 私の何が怖いんですか?」

「ああもういいや。それに現実を知ったら、お前、荒れそうだし」

 どこまでもキョトンとするレイベスに、フォルダンが、冬の寒さではない悪寒を背中に感じる。ちょうどそこに、三条家の女中が一人、通りかかった。うら若き乙女である彼女をフォルダンが呼び止め、レイベスのうとさを嘆く。その背後では、実泰さねやすが弟——水影みなかげと、モニター越しに互いの国の情報交換を行っていた。

「——うか、月は左様な事態に陥っておったのか。されど、主上らに御怪我おけががなく、何よりであったな」 

「ええ。我らともに、無事にございまする、兄上」

「ああ。だが、余り無理をするでないぞ、水影」

「存じております。ところで兄上、その……三条家の家人かじんらは、息災でありましょうや?」

「ん? ああ、皆息災ぞ。何じゃ、家人を気にするなど、そなたらしゅうないな。如何どうかしたのか?」

「いえ、ちぃとばかり、気になったもので……」

「まあ、交換視察も、彼是かれこれ一年以上になるでな。家のことが気にかかるは、必然じゃのう。丁度、其処そこに女中がおるぞ。待っておれ、水影」

「じょちゅ……? 兄上、あのっ……」

 立ち上がりモニターから姿を消した実泰が、縁側でフォルダン達と話していた女中を呼びに行った。突然実泰に呼ばれ、モニターの前に座った女中が、目の前に映る水影に、「お久しゅうございます、水影さま」と胸に手を寄せ、挨拶した。その愛らしい表情に、「……息災で何より。……ゆう」と、水影が頬の熱を隠した。

「水影さまも、お元気そうで何よりでございます」

「……ん」

 水影が、モニターに映る女中——ゆうに、そっと手を伸ばす。

「ナニナニ? みなちゃん、ゆうちゃんのコトが好きなの?」

 突然画面に入ってきたフォルダンが、ゆうの隣から、水影を冷やかす。

「だんさまっ……」

 ばっと顔を赤らめたゆうに、「フォルダン殿、何を仰られるか!」と水影が、いつになく慌てふためく。

「水影がゆうを? ゆうはその昔、水影が何処いずこかから拾うてきた娘ぞ? そなたら、左様な関係であったのか?」

「い、いえっ……! そのような恐れ多いこと! ゆうは、水影さまに拾われた御恩を、一生かけてお返ししたい一心でございます! 水影さまはお優しいから、いつもゆうを気にかけてくださるだけでっ……」

 ぎゅっと胸に手を寄せる、その小さな手に、「ゆう……」と水影が、その昔を思い出す。“視えざる者”が恨みを抱く禁中が用意した身代わり――。水影が初めて“視えざる者”相手に勝利した、あの時の姫君から命を救われたわらべの少女——それが、ゆうである。帰る場所などとうにない童を、水影は『拾った』とだけ告げ、三条家の女中見習いとしたのである。その名も、水影が与えたものだった。

「なーんだ。それじゃ、ゆうちゃんはオレが貰ってもイイってことね」

「なっ! 良い訳あるかっ……!」

 水影らしくない物言いに、「水影? そなた、何やら色々と変わったのう?」と実泰が案じる。フォルダンに調子を崩され、立つ瀬がない水影が、頭を抱え、視線を逸らした。

「……っ、禁中並びに都が様子に、変わりはのうございまするか、兄上」

「今のところはのう。ただ、妖退治より帰還した満仲みつなか殿が姿を、近頃はとんと見かけのうなったな。あれもそなたと同じ、主上が瑞獣ずいじゅうゆえ、主上の留守居に不敬を働く御仁ごじんではなかろうが、あの気性じゃ。ちと心配ではあるのう」

「満仲殿がことは、どうでも良いのです。彼奴きゃつのせいで、此処ここ最近まで、安孫あそん殿がことばかり考えなくてはならなかったゆえに……」

「ああ、そなた、満仲殿より呪いを受けておったらしいのう? 大事ないか?」

「全力で安孫殿を一等愛し、全力での呪いを彼奴に返しましたゆえ、問題ありませぬ」

うか。やはり、安孫殿が不憫な目にうてたか……」

れにてようやっと、我が愛する……」と言いかけたところで、「ううん!」と、水影が大きな咳ばらいをした。

「水影? 大事ないか?」

「水影さま……?」

 ゆうが首をかしげる。何かを話したそうな水影の表情に気づき、実泰が立ち上がった。

其方そちらとの交信も残り僅かじゃ。あとは、ゆうと話すが良い」

「ほら、私達も行きますよ、フォル」

 レイベスも立ち上がり、水影の気持ちを汲む。

「なっ、お前、やっぱり分かってんじゃねーかよ! さっきまで、カマトトぶってやがったな!」

「すみません、君をおちょくるのが楽しくて、つい」

「くそやろー」

「ほうら、ゆう殿も、水影殿とお話したそうですし、行きますよ」

「ちぇー、分かったよ。んじゃーね、水ちゃん。あとは好いた者同士、イチャイチャしなよー」

 レイベスも立ち上がり、三人が別室へと移動していく。ようやく二人きりとなり、水影が改めて、「ゆう」とその名を呼んだ。

「はい、水影さま」

「月が交換視察団の方々に、その、なんだ……乱暴など、されておらぬか?」

「勿論にございます。見た目によらず、お優しい方々にございますよ」

「そうか。なら良かった。兄上がご様子は?」

「毎日お勤めに出られ、月の交換視察団の世話役としても、浄照じょうしょうさまに頼られていらっしゃるご様子。すっかり、屋敷籠やしきごもりではなくなられました」

「そうか。立ち直られて良かった」

「水影さまは……」

 頬を赤らめるゆうが、もじもじと視線を逸らす。

「ん? どうした?」

「その……かあや姫さまは、この世の方とは思えぬお美しい方。月には、そのような方々が、多くいらっしゃるのかと……」

 ゆうの言わんとしていることが伝わり、「絶世の天女ばかりよ」と、水影が意地悪く言う。思わず顔を上げた不安そうなゆうの表情に、水影が穏やかに笑った。 

「されど、案じることはない。ちきうでも月でも、私が一等愛しておるのは……」

 水影の手が、モニターに映るゆうに伸びていく。やっとその頬に触れ、本物ではない感触であっても、愛おしさが込み上げてくる。

「……ゆう、そなたが一等、愛らしい。どんな天女にも負けず劣らず、私が恋焦がれるのは、そなただけ」

 満仲から受けた呪いのせいで、一等愛する者が肝心な時に、真意とは裏腹な言葉を紡ぐことがないよう、必死になって安孫を想い、その心に素直になることが出来なかった水影が、ようやく想い人であるゆうを、心の底から愛することが出来る歓びに、思わず顔が綻ぶ。

「水影さま……! ゆうも一等、水影さまを――」

 そこで、交信が途絶えた。ザーザー音が鳴る中、「……また、そなたの気持ちを聞けなかった」と水影が、その目を伏せた。

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