第48話 兎と杵

 月では鎧兵が朱鷺ときら四人を処刑台に括り付け、国民の前に晒した。エルヴァら反乱者は鎧兵に囲まれ、身動きが取れないでいる。テラスで四人と向き合うハクレイが、勝利の笑みを浮かべた。

「さて、どう足掻いても君達に勝ち目なんてないんだ。最初から、他所から来たウサギに望みを叶える力なんてなかったんだよ。君も可哀想にね、ルーアン元王女。地球人なんか信じたばかりに、王女に戻ろうと足掻いちゃって。その無意味な足掻きのせいで、大事な国民全員が、何にもない僻地に追放させられてしまうんだからね」

「何を言ってるの……?」

 ルーアンが唖然とした表情をハクレイに向けた。

「んー? 宰相自ら色々な場所に視察に行っていたのをお忘れかな? 月にはまだまだ未開の地がある。そこを視察してきて、分かったことがあるんだ。……枯れ果てたあの土地には、希望も夢も、生きていく術すらないことを。そして、あんな不毛な土地でも、生きていかねばならない人々がいることを……。だから、国民を総入れ替えするんだよ。国の現状に目を背けた国王。二面性があり、排他的な王妃。そんな王族は必要ない。僕の意見を受け入れず、反旗を翻した国民もいらない。ついでに、今でもまだ第一王女との結婚を夢見ている、不出来な息子もいらないかな」

 ぐっとセライが目を伏せた。

「代わりに、不毛の地で苦しんできた人々を、国民として受け入れるんだ。僕はね、彼らに何でも与えてあげたいんだよ。ルナフェスで王族が責務として国民に施しを与えるのではなく、僕はただ、純粋に彼らに施しを、幸福という名の贈り物をしたいんだ。そしたらきっと、彼らは僕を慕い、どこまでも付いてくることだろう。こんな風に反乱もせず、絶対の忠誠を誓い、鎧なんか着なくても、僕の盾になって死ぬことを誇りに思うはずさ」

 狂気なまでの主張に、反乱者と対峙する鎧兵が、ハクレイに反感の意を見せ始めた。四人を処刑する鎧兵にも、動揺が走る。

「……そんな国、ちっとも幸せなんかじゃないわ!」

 涙を浮かべて、ルーアンがハクレイに言い放った。

「どうしてかな? 僕以上に国民を想う男も、いないと思うけど?」

「そんなの、ただアンタの理想を押し付けているだけじゃない! ……幸福は誰かに与えられるものじゃない。自分の中で、それが幸福であると気づくものよ!」

 ルーアンは、母、ミーナが、ルナフェスで恵まれない子供らに歌を歌っていた姿を思い出した。パンやスープ以上に、その歌声は傷ついた彼らの心を癒し、その微笑みは、安らぎを与えた。それが幸福であると気づいた彼らは、やがて成長し、王妃と王女を守る衛兵となった。

「私達は、ただ責務として国民に施しを与えていた訳じゃないわ! 私達だって国民一人一人の幸福を願ってきたの! 貧しくても苦しくても、一生懸命に生きる国民が幸福を抱けるよう、王族として何が出来るのか考えてきたわ!」

 エルヴァの脳裏に、ルナフェスで幼いルーアンに、スープを手渡された時の記憶が蘇った。希望も生きる気力もない、のたれ死ぬだけの男に優しく笑う王女は、スープ以上のものを与えてくれた。

 体を縄で拘束される朱鷺が、ニッと笑った。

「天女中の申す通りにございましょう。貴殿の話は、正しく理想論。国とは、民とは、左様に単純明快ではありませぬ。民が望む物を与え、国が幸福に満ちようが、根が腐っておれば、それ以上の実りはございませぬでな。それに、与えるだけが、国造りをする者の務めではありませぬ。時に反乱する者から痛手を与えられるも、安穏たる国造りに於いては、必要不可欠にございましょう。宰相殿は、反乱する者の声に、耳を傾けられたことがお有りか?」

「そんなこと、あるはず――」

 その時、地上から反乱の声が上がった。方々ほうぼうから、「ルーアン王女万歳!」「ミーナ様を王妃に戻せ!」「カーヤ王女を月に戻せ!」と大声が上がり、国民からハクレイに対し、強固な抗議が向けられる。それには、ハクレイも顔を顰めた。

「国は、王のものでもなければ、為政者いせいしゃのものでもありませぬ。国は、そこに住まう民のもの。その民の声に耳を傾けることこそが、国の実りに繋がるのでございますよ」

 朱鷺の言葉を受け、地上の鎧兵が、次々と武器を捨てた。セライが目を瞑り、覚悟を決める。テラスの鎧兵も銃を捨てた。

「あやや。本当に国を覆しちゃった。兵をすべて失ったか。でもね、悪者の宰相から国を取り戻した英雄は、本来の目的を遂げず仕舞いに、命を落とすんだよ……!」

 懐から出したドベルト銃で、ハクレイが朱鷺の心臓目掛けて発砲した。

「腹黒っ……!」

 ルーアンの悲痛の叫びの直後、朱鷺の体を拘束していた縄が解けた。

「おお! 間一髪であったな!」

「え……?」

「万一の際の切り札となりましたなぁ?」

 水影みなかげの縄も解け、安孫あそんも自由の身となった。

「すべては、この為にあったのですぞ」

 ルーアンの肩に白兎が乗った。鋭利な前歯を剥き出しに、その体を拘束する縄を噛み千切る。三人と鎧兵が、ハクレイにドベルト銃を向けた。

「さあ、宰相殿。れにて終局。お覚悟召され」

「ふっ、仕方がないね」

 ハクレイは笑みを浮かべて、その場に銃を捨てた。

「……なんちゃって」

 形勢逆転にも、ハクレイは余裕の笑みを浮かべている。更なる企みに、安孫が「まさか……」と息を呑んだ。

「君には話したはずだよ? 安孫君。月が何故、地球の上にあるのかを」

「なりませぬ、宰相殿! お止め下され!」

如何いかがした、安孫」

 その時、凄まじい地響きと共に、ドームの向こう、地平線の先に見えていたピラミッドが、王宮の上空に天高く浮いた。そこにいるすべての者が上空を見上げ、呆気にとられている。

「何ぞ、あれは……?」

「……っ、月は、あちらが世を滅ぼす程の力を持っておるとのことにございます。恐らくは、宰相殿がその力を発動させたのかとっ……」

「なにっ……」

 驚愕する朱鷺に、ハクレイが嘲笑を向ける。

「君が期待した壮大な秘術を見せてあげるよ、朱鷺君。君達が帰る星は跡形もなく消え去る。この戦力の差は絶対なんだ。君達がどう足掻こうとも、一度発動させてしまえば、もう止まらない。本当の切り札とは、こういう時に使うものさ」

「やめて宰相……お願い。あっちにはカーヤ姉様も、フォルダンもレイベスもいるわ? こんなことで地球を滅ぼすなんて間違っている……!」

「間違い? 何故月の僻地に何もなくなってしまったのか知りもしない君が、それを言うのかい?」

「宰相……?」

 ぐっと堪える表情を見せたハクレイに、ルーアンが首を振る。

「大昔の月と地球の戦いのことを、いつまでも引きずっていては、前になんて進めないわ? 折角こうして国交が再開しようとしているのよ? お願い、宰相。今すぐあの兵器を止めて?」

「ふっ、あんな星が一つ消えたところで、この広大な宇宙では、埃すら舞わないよ。それ程ちっぽけな存在なんだ。地球も、地球に住む人々も」

 ハクレイが上空を見上げた。ピラミッドは頂点を地球のある方角に向け、そこから眩い光が膨張していく。

「さあ、審判の時だよ。あの光が、君達の星を滅ぼすんだ!」

 ハクレイが、膨張する光に手を伸ばした。追い込まれた窮地に、朱鷺がぐっと拳を握る。

「何か策があるはずぞ」

 朱鷺の隣で、水影が目を瞑った。文献に見た、望月と白兎を思い返す。白兎はグレイスヒル王家にとって特別な意味を成す生き物であり、この窮地を脱する手立てとして、ルーアンの肩に乗る白兎に、一縷いちるの望みを賭けた。

 水影は瞼を開けると、息さえせずに、ルーアンの名を呼んだ。王女の肩で鼻を引くつかせる白兎に目を向け、訊ねた。

「正統王家にとって、白兎とは、如何様いかような意味を持ちまする?」

「水影殿、斯様かような状況で何を……?」

 困惑する安孫を他所に、ルーアンは幼い日の記憶を遡った。それは庭園で、母ミーナが、飛び跳ねる白兎に目を向けて言った、言葉――。

『――グレイスヒル王家にとって、白ウサギは希望の証なの。昔から白ウサギを捕まえると、不吉な未来を、幸福へと変えてくれると言われているのよ』

「そうよ。白ウサギは、希望の証……」

 思い出した記憶に呼応するように、ルーアンの肩に乗っていた白兎が飛び跳ねた。そのままテラスを走り抜け、勢い良く王宮の最上階から地上へと落下した。

「兎殿……!」

 慌てて四人がその行方を追った。落下した白兎が空中で止まり、そのまま上空へと昇っていく。

「なんだ……?」

 予期せぬ展開に、ハクレイも眉を顰めた。地上の民衆も、避難しているスザリノらも、空中に浮いた白兎が徐々に大きくなっていく様子を、ただ呆然と見上げている。それはドームをすり抜け、やがてピラミッドと同じ大きさになると、目の前に巨大なきねを出現させた。それを振り上げ、光を膨張させていたピラミッドを打ち壊していく。それこそ――「兎が餅をついておるが如きよ」と、朱鷺が唖然と言い表した。

「まさか、こんなことが……!」

「ここまでです、父さん」

 突然のセライの声に、「仕方ないね」と、今度こそハクレイは観念した。セライは父に向けた銃と、厳しい表情を、ゆっくりと伏せた。

 地球を消滅させる程の威力を持ったピラミッド兵器は、光の粒となって、上空から消え去った。地球から月を見上げていた麒麟きりんには、それが兎が杵で餅をつく様に見えている。心表れる見事な望月に、麒麟は唇を交わしたカーヤを、そっと想った。

 国民から歓喜の声が上がる。地上のエルヴァら反乱者も民衆も、鎧兵は頭部を外し、素顔で喜んだ。

「ホントにやっちまうなんざ、こりゃー、梅干し商売も、あながち眉唾モンでもねえか」

 民衆の一人として戦っていた社長が、『地球産の万能薬』として持参していた梅干しの小壺を、笑って爪で弾いた。

 避難していたエトリアと二人の王女は、決着がついたことに、それ相応の覚悟を決めていた。宰相に加担していたとして、反乱者から追放の声が上がることは必至だった。そこに、現状を表すかのように、厳しい表情を浮かべるメイド長、シリアが姿を現した。何故か、手に持つ寸胴鍋には、温かいスープが入っている。背後には何十人ものメイドの姿があって、皆一様に、パンや果物といった食料を抱えている。

「シリア、これは……」

 状況が掴めないエトリアが、シリアに真意を訊ねた。厳しい表情のまま、シリアは言った。

「王族は何の為にあるのです? 今王族が国民に出来ることを、王妃様もお考え下さいませ」

 厳しくも正しい進言に、第一王妃であるエトリアは頷いた。二人の王女も、

「今私達が出来ることをしましょう!」

「ええ。きっとみんな、お腹が空いているはずですわ」と、シリアから寸胴鍋をもらい受けた。二人の娘の姿に、エトリアは、微笑みを浮かべて指示を出した。

「王宮にあるありったけの食材を使って、国民すべてを労いましょう。責務としての施しではなく、私達の気持ちを国民に伝えるのです」

 エトリアの言葉に頷いたシリアが、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。



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