ヘイアン公達の月交換視察~帝が天女を妃に迎えるまで~
ノエルアリ
第一章「天女中の凱旋」
第1話 三人の貴公子
月の都の王宮にて、地球からの交換視察団が王妃に謁見した。地球より月の都に訪れた視察団は三人で、その内の一人、
「――
「
三人の若者が、深々と王妃の前で立礼した。玉座に着く王妃の隣には二人の娘もいて、母である王妃によって紹介された。
「こちらにおりますのが、第一王女のスザリノ。そして、こちらが第二王女のルクナンにございます。どうぞお見知りおきを」
「ええ。こちらこそ宜しくお願い申し上げまする」
にっこりと若者の中心である朱鷺が笑った。それを、二階の物陰からそっと覗く一人の娘。その気配を察し、朱鷺が振り返った。はっと娘は物陰に隠れると、そのまま走り去っていった。その足音が、一階、玉座の間にいた彼らにも聞こえた。
「はて、今のは……?」
「貴方様方が気になさる相手ではございませんよ。これより後、歓迎の宴を催す予定になっておりますので、どうぞ皆様方はお召し替え頂き、準備が整うまでの間、ゆっくりとお過ごし下さいませ」
王妃の計らいにより、朱鷺ら地球よりの視察団は、それぞれ用意された自室へと通された。そこでようやく荷を降ろし、朱鷺は
「異境と言えば異境だが……」
そう呟いたところに、三条水影と春日安孫が訪れた。起き上がった朱鷺が立て膝をついた。
「御行儀が悪うございます」
「固いことを言うな、安孫。誰も見てはおらぬであろう」
「左様な問題ではございませぬ!
「ああ分かった。要するに安孫は、この異境の地が恐ろしいのだな?」
「なっ、何を仰せになられるのです!
「もう良い。暑苦しいのだ、そなたは。のう? 水影」
「左様にございますなぁ。
「なっ! 貴殿は我が父を愚弄されるおつもりか!」
「愚弄などしておりませぬ。事実を申し上げたまでのこと」
扇子で口元を隠して笑う水影。
「されど、
「何を呑気なことを仰せになられます。斯様な異境の地にて、遊学など出来ますまい。装束一つとっても、我らとは通ずるものはございませぬゆえ」
そう言って、安孫は自室に用意されていた、召し替えようの装束を広げた。
「ほう。何とも奇天烈な装束ですなぁ。これを着て、宴に参加せよとの仰せでございましたが」
水影も自分の装束を広げ、朱鷺も枕元に用意されていたそれを手に取った。
「何やら、この装束の名と着方が書かれたものもあるが、何々、……これが、しやつで、こちらがすうつ……、すうつという名の装束らしいな」
「わざわざ仮名文字でご指南下さるとは、親切この上ございませぬなぁ?」
「どこが親切なものか! 見知らぬ装束を我らのみで召し替えさせるなど、とても歓迎の意とは捉えられませぬぞ! 我らはともかく、
「安孫」
「は」
ぺちっと朱鷺が扇子で安孫の鼻先を叩いた。
「っう!」
「良いか、この地に於いて、俺を主上などと呼ぶでないぞ? 俺はあくまでこの視察団の団長。由緒正しき雅な貴公子、
「は、はあ……」
思惑宜しく笑う朱鷺に、安孫は、ただただ従うまでだった。指南書に従って、三人が紺色のすうつに着替えていく。部屋には姿見も置かれ、全身を隈なく映した。頭上には冠を被り、青海波文様の首巻は固結びとなり、留め具を掛け違えながらも、朱鷺は上機嫌に笑った。
「
「左様に。朱鷺様は何を御召しになられても、女人が寄って
「水影殿! 集るなど、褒め言葉にはございませぬぞ!」
「良い、安孫。我が目的の遂行には、
はっとして振り返った。パタンと扉が閉まり、走り去る足音に、朱鷺が間髪入れずに追いかける。
「主上っ!」
「そなたらは
部屋を出て、朱鷺が先程まで中を覗いていた女人を追い掛ける。
「待たれよ!」
「いや! 追いかけてこないでっ……!」
その清らかな声に、ますます朱鷺は本気になった。柱が立ち並ぶ王宮内で女人を追い掛け、彼女が躓いたところを千載一遇の好機と捉えた――。
「――いや! 離してっ!」
自室に戻って来た朱鷺に抱えられ、女人がジタバタと暴れる。瑠璃色のふんわりとした髪が腰まで伸び、日焼けを知らない純白の肌で、二重瞼の大きな金瞳に、桜色の小さな唇をしている。
「良し、ではお望み通り、離して差し上げましょう」
さっと女人が朱鷺の首に手を回した。ふっと朱鷺が意地悪く笑う。
「離して欲しかったのでしょう? 可笑しいですねぇ、今は貴方の方が私にしがみ付いておられる?」
「アンタ、底意地が悪いんじゃないの!」
「嫌ですねぇ。落とされるのがお嫌であったのであらば、素直に降ろして下さいと仰れば良いものを。素直でない女人だ」
そう余裕の笑みを浮かべて、朱鷺は女人の足を床に降ろした。素早く逃げ去ろうとしたその肩を、ぐぐっと掴む。
「逃がしませぬぞ? いい加減観念なさい」
ぐっと喉の奥を鳴らした女人は、相手が若者三人である不利な状況に、大人しく言うことを聞いた。
「安孫、そなたは扉の前に立っておけ。この御方が
「ぎょ、御意」
どこか気の進まない安孫が、扉の前に立った。深く溜息を吐いて主を見つめる。朱鷺が椅子に腰かけた女人を、まじまじと見た。
「ほう、やはり天女は美しいな」
「天女?」
「月の都に住まう女人のことにございますよ。古来より、我らに天啓を授ける
扇で口元を隠す水影が説明した。
「天啓? 私達は神さまなんかじゃないわ」
女人の言葉に、朱鷺と水影は顔を見合わせた。年で言うと十五、六歳のうら若き女人は、王妃や王女が絹で
「これ? ああ、エプロンよ。私はメイドだから」
「えぷろん、めいど?」
「恐らくは、女中の類かと」
水影がさらっと説明する。
「ほう。女中とな?」
「じょちゅ? それって、召使いのこと?」
「そうだ。主の身支度を整えたり、食事や湯あみの世話をしたり、兎に角、下働きをしておるのだろう?」
「そう、ね……」
女中が顔を反らし、小さく唇を噛み締めた。
「はあ。女中か……繕うて損したわ。だが、そなたには、聞きとうことがたんとあるでな。まずは、我々を覗き見ておったことだ。
「知らないわ、そんなこと」
つん、とそっぽを向く女中に、にっこりと朱鷺が笑う。
「良いか? 俺が笑うておる内に素直に答えておれば、悪いようにはせん。だが、俺が真顔になれば、後悔するのはそなたぞ? これでも俺は寛大な貴公子であるからな。女中相手にも、最低限の礼儀は尽くしてやる。……目的は何ぞ? 監視のつもりか?」
「監視なんてしてないわ? 私はただ、地球から来た視察団がどんな男達か見たかっただけだし」
十の笑顔から、八の笑顔へと落ちた。
「では次に、この装束について。指南書通りに着てみたが、これはこれで良いのか? 相違しておる点や至らぬ点はあるか?」
女中から見て被ったままの帽子(冠)、掛け違いのボタン(留め具)、かた結びになっているネクタイ(首巻)、お粗末な彼らの格好にププッと笑った。
「やはり
「さあ? スーツに、そのヘンテコリンな帽子はいらないんじゃない?」
つん、とまたそっぽを向いた女中に、八の笑顔が五の微笑となる。
「ご指南頂き、痛み入る。何分、初めて目にする装束であったものでなぁ。では次に、王女についてだが、彼の姫らとお近づきになるには、
「それって、あの子達のカレシになりたいってこと? ふん、ムリよ。文明も技術も劣るアンタ達なんて、あの子達が相手にするワケないでしょ?」
五から三。
「私達から見たら地球人なんて、そこら辺のウサギとなんら変わらないんだから、ウサギは大人しく餅でもついてなさいよ」
三から無。――真顔。
「……水影」
「承知にございます」
水影が女中を羽交い絞めにした。
「ちょ、いや! 離して!」
「暴れるでない、女中め。わざわざ警告してやったものを。……言うたであろう? 俺が笑うておる内に素直に答えておれば、悪いようにはせんと」
「だから素直に答えてたじゃない!」
「どこが素直だ! つんつんしとったでないか!」
「このツンが月の世界じゃ、萌えポイントなんだから!」
「ええいっ、小賢しい女中ぞ! 俺に歯向こうた罰、存分に味わうが良い!」
そう言って、朱鷺は女中の脇腹を
「
「水影殿らしゅうないですぞ。主上も女中などと
「ふふ。左様にございますなぁ? 斯様な主上の御姿は、初めて拝見致しますれば、たかが女中が
「なっ! そ、それがし、天女はっ……」
「おやまあ、天下の春日八幡神も、天女は斬れぬと?」
ぐっと安孫が顔を反らした。
「肝が小そうございますなぁ? いい加減、腹を括っては
「は、はらはとうに括っておりますれば……! 得体の知れぬものは、斬らぬ性分というだけのこと……!」
そう言って安孫は、鼻息荒く主と女中に目を向けた。ちょうど朱鷺が、女中の顔をじっと見つめているところだった。
「あんまり見ないでよ!」
「顔を隠すでない。ほれ、良う見せてみよ。……ほう、
「だから私は神さまなんかじゃないわよ!」
手の甲で顔を隠す女中に、朱鷺がふっと笑う。
「神でなくとも、俺から見たらそなたは天女ぞ。その天女の女中――
「どうやったって、アンタには惚れないと思うけど?」
「世情は聞いておらぬ。それでは俺の目的が遂げられぬのだ」
「目的? そう言えば、姉様も目的があるって言ってたような……」
「姉様?」
「あっ、いや、独り言よっ」
そこに扉を叩く音がした。はっと慌てて女中が物陰に隠れた。水影が扉を開けると、そこには、絹の装束に身を包む女官が立礼していた。
「宴の用意が整いました。わたくしが皆様方を会場までご案内致しま、すううっ?」
「存じております、不出来なことなど。されど、ここは我を通させて頂きたく……!」
むきになった朱鷺は、女官の助言も聞かずに、そのままの格好で宴席へと向かった。その後ろ姿を、女中は胸に手を寄せながら見送った。
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