ヘイアン公達の月交換視察~帝が天女を妃に迎えるまで~

ノエルアリ

天女中の凱旋

第1話 三人の貴公子

 月の都の王宮にて、異世界間における交換視察団が王妃に謁見した。地球より月の都に訪れた視察団は三人で、その内の一人、朱鷺ときと名乗る若者が王妃の前で恭しく立礼する。その装束は地球の小国――ヘイアンの都装束であった。三人の若者とも見目麗しいが、月の民に比べ、肌の色が黄味がかっている。

「――遠路遥々えんろはるばるよくお越し下さいました。この交換視察によって、月と地球、二つの世界の未来が明るくなることを願っております。我が月よりの視察団は今回、地球にてその風土や習わし、更には都外の暮らしまで津々浦々に学んで参ると意気込んでおりました。どうか皆様方も、この月での暮らしを余すことなく学ばれることを期待しております」

此度こたび、我ら三名がこの月の都にてその世情を学ぶは、御帝よりの勅命。私の背後に控えます三条水影さんじょうみなかげ春日安孫かすがあそん共に生涯の大命とし、此度のお役目に邁進したく存じ上げまする」

 三人の若者が深々と王妃の前で立礼した。玉座に着く王妃の隣には二人の娘もいて、母である王妃によって紹介された。

「こちらにおりますのが、第一王女のスザリノ。そして、こちらが第二王女のルクナンにございます。どうぞお見知りおきを」

「ええ。こちらこそ宜しくお願い申し上げまする」

 にっこりと若者の中心である朱鷺が笑った。それを二階の物陰からそっと覗く一人の娘。その気配を察し、朱鷺が振り返った。はっと娘は物陰に隠れると、そのまま走り去っていった。その足音が、一階、玉座の間にいた彼らにも聞こえた。

「はて、今のは……?」

「貴方様方が気になさる相手ではございませんよ。これより後、歓迎の宴を催す予定になっておりますので、どうぞ皆様方はお召し替え頂き、準備が整うまでの間、ゆっくりとお過ごし下さいませ」

 王妃の計らいにより、朱鷺ら地球よりの視察団はそれぞれ用意された自室へと通された。そこでようやく荷を降ろし、朱鷺は天蓋てんがい付きの寝所に寝転んだ。

「異境と言えば異境だが……」

 そう呟いたところに、三条水影と春日安孫が訪れた。起き上がった朱鷺が立て膝をついた。

「御行儀が悪うございます」

「固いことを言うな、安孫。誰も見てはおらぬであろう」

「左様な問題ではございませぬ! 斯様かような異境の地にて寛ぐなど命取りにございます。常に気を張っておらねば、何時いつ寝首を掻かれるやも知れませぬぞ!」

「ああ分かった。要するに安孫は、この異境の地が恐ろしいのだな?」

「なっ、何を仰せになられるのです! それがしは日の下一の武人、太政大臣、春日道久の嫡男、春日安孫に――」

「もう良い。暑苦しいのだ、そなたは。のう? 水影」

「左様にございますなぁ。御武家おぶけ様は心に余裕がないのが難点にございます。もうちと、ゆるりとことを考えねば、仏門に下る前にハゲてしまいまするぞ? 父君の如く」

「なっ! 貴殿は我が父を愚弄されるおつもりか!」

「愚弄などしておりませぬ。事実を申し上げたまでのこと」

 扇子で口元を隠して笑う水影。束帯そくたい青色袍あおいろのほうを纏い、とび色の髪に大きな黒目。名門貴族、三条家の次兄にして、その華奢な体付きとしなやかな所作は、舞の名手として名が知られた人物である。その水影に対抗心むき出しの安孫は、遠く皇家の流れを汲む武家の出で、浅緋あさひ色の闕腋袍けっていきのほうを纏い、強靭な体付きに黒髪の短髪。弓の名手であり、武骨者と揶揄される程、忠義に生きる男である。そんな正反対な二人を従え、今回の交換視察団を束ねる男――白い束帯に朱色の表袴、艶めく藤色の髪を冠に収め、眉目秀麗な顔立ちで扇子を肩にペチペチと打ち付けている。真の名は伏せられ、朱鷺というあざなを名乗った。

「されど、嵐山らんざんの竹が月の都まで伸びるとはな。驚異の伸縮であったが、どうせ迎えが来るまでこの地より離れられぬのだ。余すことなく遊学といこうではないか」

「何を呑気なことを仰せになられます。斯様な異境の地にて遊学など出来ますまい。装束一つとっても、我らとは通ずるものはございませぬゆえ」

 そう言って、安孫は自室に用意されていた、召し替えようの装束を広げた。

「ほう。何とも奇天烈な装束ですなぁ。これを着て宴に参加せよとの仰せでございましたが」

 水影も自分の装束を広げ、朱鷺も枕元に用意されていたそれを手に取った。

「何やら、この装束の名と着方が書かれたものもあるが、何々、……これが、しやつで、こちらがすうつ……、すうつという名の装束らしいな」

「わざわざ仮名文字でご指南下さるとは、親切この上ございませぬなぁ?」

「どこが親切なものか! 見知らぬ装束を我らのみで召し替えさせるなど、とても歓迎の意とは捉えられませぬぞ! 我らはともかく、主上しゅじょうに女中一人つかぬなど、完全に見下されておりまする!」

「安孫」

「は」

 ぺちっと朱鷺が扇子で安孫の鼻先を叩いた。

「っう!」

「良いか、この地に於いて、俺を主上などと呼ぶでないぞ? 俺はあくまでこの視察団の団長。由緒正しき雅な貴公子、都造みやこのつくりこ朱鷺ときだ。俺はこの地でやるべきことをやる為に来た。それはそなたらも良う存じておるな?」

「は、はあ……」

 思惑宜しく笑う朱鷺に、安孫はただただ従うまでだった。指南書に従って、三人が紺色のすうつに着替えていく。部屋には姿見も置かれ、全身を隈なく映した。頭上には冠を被り、青海波文様の首巻は固結びとなり、留め具を掛け違えながらも、朱鷺は上機嫌に笑った。

如何どうだ、水影。良う似合におうておろうが」

「左様に。朱鷺様は何を御召しになられても、女人が寄ってたかる花の如き御方にございますなぁ」

「水影殿! 集るなど、褒め言葉にはございませぬぞ!」

「良い、安孫。我が目的の遂行にはていの良い言葉ぞ。ふっ、麗しき天女らを、この手にて必ず――」

 はっとして振り返った。パタンと扉が閉まり、走り去る足音に、朱鷺が間髪入れずに追いかける。

「主上っ!」

「そなたらは此処ここで待て!」

 部屋を出て、朱鷺が先程まで中を覗いていた女人を追い掛ける。

「待たれよ!」

「いや! 追いかけてこないでっ……!」

 その清らかな声に、ますます朱鷺は本気になった。柱が立ち並ぶ王宮内で女人を追い掛け、彼女が躓いたところを千載一遇の好機と捉えた――。

「――いや! 離してっ!」

 自室に戻って来た朱鷺に抱えられ、女人がジタバタと暴れる。瑠璃色のふんわりとした髪が腰まで伸び、日焼けを知らない純白の肌で、二重瞼の大きな金瞳に桜色の小さな唇をしている。

「良し、ではお望み通り、離して差し上げましょう」

 さっと女人が朱鷺の首に手を回した。ふっと朱鷺が意地悪く笑う。

「離して欲しかったのでしょう? 可笑しいですねぇ、今は貴方の方が私にしがみ付いておられる?」

「アンタ、底意地が悪いんじゃないの!」

「嫌ですねぇ。落とされるのがお嫌であったのであらば、素直に降ろして下さいと仰れば良いものを。素直でない女人だ」

 そう余裕の笑みを浮かべて、朱鷺は女人の足を床に降ろした。素早く逃げ去ろうとしたその肩を、ぐぐっと掴む。

「逃がしませぬぞ? いい加減観念なさい」

 ぐっと喉の奥を鳴らした女人は、相手が若者三人である不利な状況に、大人しく言うことを聞いた。

「安孫、そなたは扉の前に立っておけ。この御方が何時いつまた逃げ出さんとも限らんでな」

「ぎょ、御意」

 どこか気の進まない安孫が扉の前に立った。深く溜息を吐いて主を見つめる。朱鷺が椅子に腰かけた女人をまじまじと見た。

「ほう、やはり天女は美しいな」

「天女?」

「月の都に住まう女人のことにございますよ。古来より、我らに天啓を授ける神代にございます」

 扇子で口元を隠す水影が説明した。

「天啓? 私達は神さまなんかじゃないわ」

 女人の言葉に、朱鷺と水影は顔を見合わせた。年で言うと十五、六歳のうら若き女人は、王妃や王女が絹でこしらえた装束であったのに対し、麻で出来たような簡易的なもので、白い布で胸元から膝までの前半身を覆っていた。それに興味を持った朱鷺が、「この可愛らしい白布で出来た、雲が如き装束は一体……?」とまじまじとその装束を見つめる。

「これ? ああ、エプロンよ。私はメイドだから」

「えぷろん、めいど?」

「恐らくは、女中の類かと」

 水影がさらっと説明する。

「ほう。女中とな?」

「じょちゅ? それって、召使いのこと?」

「そうだ。主の身支度を整えたり、食事や湯あみの世話をしたり、兎に角、下働きをしておるのだろう?」

「そう、ね……」

 女中が顔を反らし、小さく唇を噛み締めた。

「はあ。女中か……繕って損したわ。だが、そなたには聞きとうことがたんとあるでな。まずは、我々を覗き見ておったことだ。の視線、王妃に謁見した折に感じたものと同じであったが、彼の時もそなたが覗いておったのか?」

「知らないわ、そんなこと」

 つん、とそっぽを向く女中に、にっこりと朱鷺が笑う。

「良いか? 俺が笑っておる内に素直に答えておれば、悪いようにはせん。だが、俺が真顔になれば、後悔するのはそなたぞ? これでも俺は寛大な貴公子であるからな。女中相手にも、最低限の礼儀は尽くしてやる。……目的は何ぞ? 監視のつもりか?」

「監視なんてしてないわ? 私はただ、地球から来た視察団がどんな男達か見たかっただけだし」

 十の笑顔から、八の笑顔へと落ちた。

「では次に、この装束について。指南書通りに着てみたが、これはこれで良いのか? 相違しておる点や至らぬ点はあるか?」

 女中から見て被ったままの帽子(冠)、掛け違いのボタン(留め具)、かた結びになっているネクタイ(首巻)、お粗末な彼らの格好にププッと笑った。

「やはりちごうておるのか」

「さあ? スーツに、そのヘンテコリンな帽子はいらないんじゃない?」

 つん、とまたそっぽを向いた女中に、八の笑顔が五の微笑となる。

「ご指南頂き、痛み入る。何分、初めて目にする装束であったものでなぁ。では次に、王女についてだが、彼の姫らとお近づきになるには如何どうしたら良い? 如何したら懇ろな関係になれる?」

「それって、あの子達のカレシになりたいってこと? ふん、ムリよ。文明も技術も劣るアンタ達なんて、あの子達が相手にするワケないでしょ?」

 五から三。

「私達から見たら地球人なんてそこら辺のウサギとなんら変わらないんだから、ウサギは大人しく餅でもついてなさいよ」

 三から無。――真顔。

「……水影」

「承知にございます」

 水影が女中を羽交い絞めにした。

「ちょ、いや! 離して!」

「暴れるでない、女中め。わざわざ警告してやったものを。……言うたであろう? 俺が笑っておる内に素直に答えておれば、悪いようにはせんと」

「だから素直に答えてたじゃない!」

「どこが素直だ! つんつんしとったでないか!」

「このツンが月の世界じゃ萌えポイントなんだから!」

「ええいっ、小賢しい女中ぞ! 俺に歯向こうた罰、存分に味わうが良い!」

 そう言って、朱鷺は女中の脇腹をくすぐった。「ひゃあ! やだっ、くすぐったい、ひゃああああ!」と身を捻じ曲げて笑い転げる女中が、「わかったからぁ!」と降参した。女中を解放した水影が、やれやれと扉の前に立つ安孫の下へと向かった。

「些か戯れが過ぎましたなぁ」

「水影殿らしゅうないですぞ。主上も女中などと彼の様に御戯れになられて……無用心にも程がありましょう」

「ふふ。左様にございますなぁ? 斯様な主上の御姿は初めて拝見致しますれば、たかが女中が殿上人てんじょうびとであらせられる主上を彼の様に愚弄して。あちらが世であらば、八逆の罪にございましょう? 主上の護衛として、安孫殿が彼の者を斬って捨てれば良いのでは?」

「なっ! そ、それがし、天女はっ……」

「おやまあ、天下の春日八幡神も、天女は斬れぬと?」

 ぐっと安孫が顔を反らした。

「肝が小そうございますなぁ? いい加減、腹を括っては如何いかがです?」

「は、はらはとうに括っておりますれば……! 得体の知れぬものは、斬らぬ性分というだけのこと……!」

 そう言って安孫は、鼻息荒く主と女中に目を向けた。ちょうど朱鷺が女中の顔をじっと見つめているところだった。

「あんまり見ないでよ!」

「顔を隠すでない。ほれ、良う見せてみよ。……ほう、金瞳きんどうとは、ますます神仏の類に見えるのう」

「だから私は神さまなんかじゃないわよ!」

 手の甲で顔を隠す女中に、朱鷺がふっと笑う。

「神でなくとも、俺から見たらそなたは天女ぞ。その天女の女中――天女中てんじょちゅうに再度お訊ね致す。……宴にて王女らを落とすには、如何すれば良い?」

「どうやったって、アンタには惚れないと思うけど?」

「世情は聞いておらぬ。それでは俺の目的が遂げられぬのだ」

「目的? そう言えば、姉様も目的があるって言ってたような……」

「姉様?」

「あっ、いや、独り言よっ」

 そこに扉を叩く音がした。はっと慌てて女中が物陰に隠れた。水影が扉を開けると、そこに絹の装束に身を包む女官が立礼していた。

「宴の用意が整いました。わたくしが皆様方を会場までご案内致しま、すううっ?」

「存じております、不出来なことなど。されど、ここは我を通させて頂きたく……!」

 むきになった朱鷺は、女官の助言も聞かずにそのままの格好で宴席へと向かった。その後ろ姿を、女中は胸に手を寄せながら見送った。



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