第16話 半端者
――セツナ視点――
ギルに無視された。
新しい本でも買いに行こうと街に出ていた時だった。
たしかに目が合ったはずなのに、顔を逸らされてそのまま見なかったことにされたらしい。そのことに後から遅れて気が付いて、言い表せない不安が尖っていった。
なんでだろう?
わたし、なにか悪いことしたっけ……?
……ダメだ、わかんない……。
……そういえば、さっきギルの隣にいた人……。
遠くからでも雰囲気でわかった。
隙のないたたずまいに、やたらと存在感があった二対の双剣。
そしてギルを見ていたときの表情。
(ギルの弟子って、女の人だったんだ……)
あの流れるような金髪を思い出して、わたしはいよいよ恐れおののいた。
もういつ追い出されてもおかしくない。
ギルは優しい。
人に『擬態』してるだけの不自然なわたしのことをいまだに受け入れてくれる。
でも、もし誰か大切な人を……それこそあの金髪の女性みたいな良い相手を見つけたりしたら。
こんな出自すらもよく分かってないような怪しい娘のことなんて邪魔になるかもしれない。
それでなくても、わたしはそもそも人ですらないのだから。
「…………」
なんか、もやもやする。
頭のなかがごちゃごちゃになってきた、
午後から一緒に魔物退治に行く予定だったのに、どうしてか、行きたくない。
(ダメだ。
一度、街の外に出て考えよう)
門を抜けて歩き続け、森のさらに奥深く、どんよりとした薄暗い樹海に足を踏み入れる。
考え事をしながら進んだせいで、かつて自分がいた魔物のすみかに近くなってしまったけど……ここまで来ちゃったんだから仕方ないや。
『擬態』は……念のために維持しておこう。
まだ昼間だし、もしかしたら他の狩人がいるかもしれない。万が一見られたら大変だ。
「……はぁ……」
わたしは近くの木の根元に腰を下ろした。
聞こえてくるのは、鳥と虫の鳴き声だけ。
ときたま頬に触れる肌寒いそよ風を感じながら、汗でにじんだ自分の髪の毛をいじる。
まつげにむずがゆい銀色の前髪をねじりながら、ああ、そろそろ切らなきゃいけないかなと気だるく思った。
わたしは、人間としてはけっこう成長が早いほうだと思う。
包丁を使う料理を覚えた。
文字だって読めるようになった。
不自由な人の身体を維持したまま、弓矢さえ正確に放つこともできる。
なのに、心の奥底から不安をすくい取れない。
……ちゃんと考えれば分かる話。
人の世界に、魔物としての自分の居場所はどこにもなかった。
あるのは『人』の居場所だけ。
がんばって人間のフリをしつづけないと、きっとわたしは殺されてしまうだろう。
ばけものだから。
「……そっか……
人間に生まれ変わるって、死ぬまで人のフリしなきゃいけないってことだったんだ……」
――ぐちゃぐちゃになった頭で考えながら膝を抱えて座り込んでいた、その時だった。
「ッ、誰!?」
突然感じた、ただならぬ気配。
それも一体ではない。
明らかに複数で動く何者かが、わたし一人を取り囲むように近づいてくるのを察知して、急いで臨戦態勢を整えた。
武器はちゃんとある。『狩人たるもの常に自分の武器は持ち運ぶべし』というギルの教えで弓矢は装備してるのだ。
……けれど、相手はきっと何体もいる。
いざとなったらキメラの姿で――!
「驚かせてすみません、セツナ様」
やがて、茂みの奥から現れたのは一人の男。
魔物には見えない。
人だ。
……でも、おかしい。
こいつ以外の他のやつらの気配は、明らかに魔物のそれだった。
「……きみも人に擬態したキメラ……?
いいや、でも……きみだけは魔物の気配じゃない……」
「……」
「もしかして普通の人間?」
「……そうですね。
正真正銘、なんの特殊能力も持ってないただの人間です」
この、うっそうと生い茂った樹海にはとても似つかない、きちっとした服装を完璧に着こなしている男が無表情のままうつむいた。
「……なんで魔物といっしょにいるの?」
「たぶん、あなたと同じです」
やがて、人らしい感情を見せなかったその男は、ようやく両手を広げておどけるように笑って言った。
「自分の生まれた世界を好きになれなくてね。
悩みはしましたが……結局、裏切って魔物側につくことにしました」
わたしは、視線を横にずらす。
ここからじゃ見えにくいけど、一緒に近づいて来た魔物たちはこいつに付き従ってるみたいだ。
この、一人の人間に。
妙だ。
……警戒しなきゃ……。
顎を引いてつばを飲み込むと、その男は「さて」と声を改めた。
「セシュヴァラ様は、あなたの帰還を望んでおられます」
「……あいつが?」
セシュヴァラ。
忘れるわけがない。キメラの王さまの名前だ。
あの、意地悪な王さま。
一年前にギルの仲間を殺した張本人。
未熟なわたしに失望していたはずの魔物の王の姿を思い出しながら、わたしは強めの口調で言ってやった。
「今さら戻るつもりはないよ。
だいいち、戻ったってわたしの居場所なんかどこにもないでしょ」
「問題ありません。
魔物の世界は、力がすべて。
王が声を発すればその通りになります」
「……」
「ギル・リンドウとともに数多くの魔物を殺してきた件については、目をつむるそうです」
いっしゅん何のことを言ってるのか分からなかったが、すぐに理解した。
「……今まで一度も見られた覚えはないんだけどな」
「セシュヴァラ様はすべてを見通してございますので」
そうは言ってるが、ほんとうに見られた覚えはない。
人間の姿でいつもいるとはいえ、キメラの五感は鋭いのだ。
同族殺しを知られるような真似なんてした覚えがない。
そもそもギルに言われてわざわざ隠れながら弓矢で戦ってたのに。
――もしかして、あいつもヴィジョンでわたしの状況を視たのかな。
向こうのほうが未来予知の精度は高い。
願望が混じってしまうわたしの不完全なヴィジョンよりも、相手のほうが有利だ。
いや、それだけじゃない。
ヴィジョンの能力も、魔物としての自分も、人のフリをする自分も。
どれをとったって『本物』には勝てない。
視線が下がった。
どうして、わたしはこんなに中途半端なんだ……。
「今なら、まだ間に合いますよ」
「……なにが?」
「魔物の世界に戻ることです」
「……嫌だよ、そんなこと」
「……さすがにまだ決心がつきませんか。
仕方ありません、今日は出直すことにしましょう」
そのまま背を向けて立ち去ろうとしている連中の姿を見て、わたしはハッとした。
――このまま言われてばかりじゃいられない。
相手はキメラの王が遣わしてきた手下なんだ。
ギルのためにも、せめて情報を持ち帰らないと。
「その服装……。
街ではわりと偉い人が来てる服だよね。
もしかして役人?」
「あなたには関係のないことです」
「よく手入れされてるよね。魔物のすみかじゃそんなきれいには保てないよ。
……まだ、あの街に住んでるんだ」
ぴたりと男の足が止まった。
分かりやすい。
これでも、わたしだって人の世界で何か月も暮らしてきたんだ。
純粋な暴力ではない言葉の力だってそれなりに扱える。
「……セツナ様はまだ人の味方をしたがっているようですが……
そんなことはやめたほうが良い」
「なんでさ」
「無駄だからです。
キメラが人間と幸福に暮らすなど、不可能だ」
魔物を従え立ち去ろうとしていた役人の男は、ゆっくりと振り返った。
「たとえ言葉が通じたとしても絶望的に理解しあえない相手なんて腐るほどいる。
人同士でさえ難しいというのに、魔物と人なんて――根源的に分かり合えない」
「……」
「セツナ様。
あなたに人を幸せにすることはできない」
言い返せなかった。
自分の胸がとても重く感じて、わたしはうつむいた。
「まだ残りたいというならば、いましばらくあの街でもがいてみれば良い。
どうせすぐに気付くことになります。魔物が人と幸せになろうなんて無駄だとね。
……それでは、失礼いたします」
その役人の男は、多くの魔物たちの気配とともに姿を消していく。
張りつめていた空気は緩み、鳥と虫の鳴き声がしだいに聞こえるようになってきた。
肌寒い風が森の奥から流れてくるのを感じながら、わたしはひとりで呟いた。
「……そっちだって、人のくせに魔物といっしょにいるじゃんか……」
とぼとぼと森を出て街の門までたどり着くと、やがてすぐにギルがわたしを見つけてくれた。
どうやらお昼過ぎからずっと探してくれていたらしい。
心配そうに声をかけてきたギルに「大丈夫。ごめんね、約束やぶって」と言って、どうにかやり過ごした。
ギルは「こっちもすまなかった。久々に会った弟子がうるさくてな……」と言っていたけど、あまり聞いてあげられなかった。
魔物といた役人のことは伏せることにした。
余計な心配かけたくなかったし、話の流れでわたしが魔物だとギルにも知られてしまうかもしれないと思ったから。
ギルに気を遣われていることをひしひしと感じつつ、家に帰り。
いつもよりちょっと気まずいご飯の時間を過ごして。
そして整理できない気持ちのまま、わたしは眠りについた。
その日の夜に、新しいヴィジョンを見た。
――わたしとギルは、キメラの王さまであるセシュヴァラを打ち倒し、
街の英雄となっていた。
……そこに至るまでの過程が、次々と景色に移りこんでくる。
わたしはギルの弟子の人と直接会い、会話して、いろんな技術を盗んでいった。
人の社会での立ち回り方。
狩人としての戦い方。
そしてわたしが知らない昔のギルについてのこと……。
自分の正体を見事に隠し通しながら金髪の狩人を騙し続けて、わたしはどんどん強くなっていった。
キメラとしてではなく、一人の狩人として。
やがてわたしはその金髪の女の人さえ味方につけ、利用して、ギルと二人で魔物の巣窟に飛び込んで。
キメラの力を使うこともなく魔物たちを圧倒していく。
その勢いのままセシュヴァラを打ち倒したわたしは――
ギルにほんとうの姿を見せて言ったんだ。
「わたし、ほんとうはキメラなんだ」
ギルは言った。
「別に、それでもいいぞ」と。
街に戻って英雄となったわたしたちは一番大きな家に住み始める。
魔物としての姿をさらけ出してても、ギル以外には誰にも見られない家で。
そこでずっと、幸せに暮らしていく――。
未来では、わたしはもう演技する必要なんかなくなっていた。
……ヴィジョンを見終えて、わたしはゆっくりと上体を起こした。
……そうだよ。
わたしとギルで、セシュヴァラを倒しちゃえばいいんだ。
あの王さまさえ倒しちゃえば、この先の未来で魔物たちの大軍勢が街に現れることもない。
街の英雄になってすっごく大きな家を買うことができたら、人の姿を維持しなくてもいい環境が手に入る。
何より……。
「セシュヴァラを倒したあとなら、ギルにわたしの正体を教えても平気なんだ……」
ぜんぶ、解決する。
魔物といたあの役人も、セシュヴァラがいなくなればきっとなりを潜めるほかにない。
魔物の世界へ戻るかどうかで迷う必要もなくなる。
ギルの弟子の人だって、わたしの成長速度で一気に追い抜いちゃえば敵ですらない。
――ちゃんと動けば、ぜんぶが丸く収まる最高の未来がやってくる……!
そこで、わたしは顎に手をあてて考えた。
でも、このヴィジョンはギルには見せられないな。
わたしがキメラだってバレちゃうから。
今の時点で正体を明かしたら、せっかく築いた関係が壊れちゃうかもしれない。
ほんとうのことを言うのはセシュヴァラを倒したあとじゃなきゃダメだ。
ふふん、何が「あなたでは人を幸せにすることはできない」さ。
嫌なこと言う役人め。ぜったい目にもの見せてやる。
こうしちゃいられない。
わたしはさっそく、先に起きていたギルのところに近づいていった。
「ギル!」
「お、おはようセツナ。
昨日と違ってえらく上機嫌だな、どうした?」
「弟子の人に会わせてほしいな!」
「ぶっ……」
椅子に座ってコップを傾けていたギルが飲み物を吹き出した。
げほげほと苦しそうにせき込んでいたギルが、しばらくしてからゆっくりとこちらに顔を向けてくる。
「……それは、どうして?」
「えっと、いろいろ話がしてみたくて。
ほら! わたしあんまり他の人と接したことないでしょ?
同じ女の人なら気が合うかなーって」
我ながらなかなかに嘘がうまくなったと思う。
いい嘘をつくにはほんとうのことを混ぜるのがいいってどこかで聞いたけど、それが役に立ったみたいだ。
なぜか血の気が引いていくギルの姿はちょっと不思議だったけど、とにかくヴィジョンの通りの未来が来れば問題ないんだ。
その後「でも」「だって」とあの手この手で撤回を促してくるギルに詰め寄って一時間弱……。
「そんなに言うならわたしこの家、出てくから!
一週間でも、一か月でも戻ってこないんだからね!」
という、わたしからのウソの怒りがとどめになったらしい。
今までに見たことがないくらい苦しそうな顔で悩み始めたギルが、やがて降参を告げ、ついにわたしは約束を取り付けることに成功したのだった。
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