第52話

「不思議に思わなかった? イリューアの魂が本体に戻った後、イリューアはどうやって本国まで戻るんだろう、って。誰もそこは気にしていない様子だったから聞かなかったけど、からくりが解っちゃえば、なあんだ、って感じだよね」

 ウユラはちょっといたずらっぽく笑って、それから少し、表情を曇らせた。

「クルはクルで、それはイリューア様のお役目でしょ、って。だから嫌だってゴネてるんだけど、イリューアも頑として譲らないんだ。イリューアの態度を見てると深い事情があるような気がするんだけど、何か聞いてない?」

 首を振る。聞いてない。何も。

「そっか──」

 ウユラはため息をついた。つられてあたしもため息をついていた。

「ずっと一緒にいたのにね」

 ウユラの呟きはあたしの胸に落ちた。ずっと一緒にいた──それは、ウユラ以上にあたしの方で。

「……ウユラ。あたし、イリューアに会いに行って来てもいい?」

 聞いたときには立ち上がっていた。ウユラがにっこりした。

「暗いけど大丈夫? ロシュアに送ってもらったら?」

「──そうする。ありがとう」

「どういたしまして」

 ウユラを残して部屋を飛び出す。ロシュアにお願いしてポートまで連れて行ってもらう。帰りは? 聞かれてあたしは「だいじょうぶ、どうにかする」と答えていた。ロシュアは心配そうな目を向けたけど、それ以上のことは言わずに立ち去った。ロシュアとイーシンが使っていたスタアシップを見上げて、右手でぎゅっと拳を作って胸に当てた。

 ──帰りなよ。オマエのいる場所は、ウユラの隣、だろ?──

 その声を聞いたのはいつ以来だろう。すごくすごく、久しぶりだ。

「あたしはアンタの番なんでしょイリューア。本心を聞かせてもらう権利くらいあるんじゃないの?」

 少しの間。入口が開いた。乗り込んだ。

 イリューアはスタアシップの、ドラゴンが休む部屋に居た。

 たぶんスタアシップ内にあったクッションやらなんやらのふかふかを全部集めて床に敷いて、その上に横たわっていた。ぷかぷかしてないイリューアを見たのは初めてだ。言葉もなく真っ直ぐに近くまで行って、その首辺りに触れた。手触りまでもが懐かしく感じる。

「ここでオマエから番の件を持ち出されるとはね」

「勝手に決めたのはそっちじゃん」

「座ったら? クッション、使いなよ」

 イリューアの言葉に従って、手を離すとその場に座った。しゅる、と尻尾が伸びてきて巻き付いた。イリューアの身体を背にもたれかかるような格好になっていた。

「大事な話は顔を見ないでする方がいいらしい」

 イリューアが言って笑った。笑うところか。イリューアは巻き付いた尻尾を解いて代わりに、その逞しい腕をあたしの身体に回してきた。

「ウユラじゃなくてオレを選ぶ?」

「はっ? まさかでしょ、ウユラ一択だし」

「だよなあ。番とか言うから期待しちゃったじゃん。残念」

 笑いながらのその言葉は、だけどちっとも残念そうには聞こえなかった。むしろ安心しているみたい。

「──はじまりのドラゴンの魂を呑み込んだだろ?」

 イリューアが話を始めた。うん、と頷きだけを返す。

「あれね──たぶんまだ、消えてなくて。たまーにオレの腹の中で暴れてる。もう随分小さくなってる感じはするんだけど、この身体──器への執着がすごくて、だから完全に消えてしまうまでには、それこそ気の遠くなるような長い時間が必要だろうなあ」

 どこかのんびりとしたその口調から、危機的な状況ではないんだろう、とは思った。

「ソレが暴れると目が回ったり腹がぐるぐるするんだけど、そのたびにオレ、アホみたいな暴言吐きまくるからさ。そんなのをオマエに聞かせたくなくて、オマエに埋めた結晶との繋がりを切ってた」

 ある意味であたしの想像は正しかった。それがはじまりのドラゴンの魂のせいだなんて考えもしなかった。

「埋めた結晶を取り出すことはできない。ドラゴンの秘事だし。本来はこれ、ドラゴンの魂同士を結びつけるものだから、オレとオマエの魂はもうずっと結びついたままで、それは前も言った通り。この先の遠いいつか──オレが貰い受ける」

 その言葉はとても強くて、イリューアの本気を悟る。

「何なら今からウユラじゃなくてオレを選んでもいいよ?」

 なんて偉そうな。

「だからそれはないって言ってる」

「解ってる。解ってて聞いてるから気にするな。それで、話を戻すけど。要するにオレはこのまま、はじまりのドラゴンの魂を腹で飼い慣らして生きていくことになる。はじまりのドラゴンとのことはまだ決着してないんだよな──オレにとっては。こんな状況で、オレがニンゲンを支えるような立場に立てると思うか? すべてはオレたち、はじまりのドラゴンの血を継いだドラゴンが不甲斐なかったばかりに、何の罪も責任もないニンゲンを、多く死なせてしまったんだから。クルナルディクはその点、非の打ち所がない完璧な存在だ。幸いオレの存在はごく一部にしか知られていないし、今の状況ならクルナルディクがその地位に収まったとしても揉めることもないだろう。既にもう何人かは、オレの提案を受け入れクルナルディクを推しているし。クルナルディクならきっと皆に慕われるだろう。かわいいし」

 クルがかわいい、という見解には完全に同意する。

「クルにはそれを、打ち明けた?」

「まだすべてを打ち明けられずにいる。打ち明けるべきだと、オマエは思う?」

「クルは賢いから。どうしてもクルにその責を負ってもらいたいなら、打ち明けるしかないでしょうね」

「やっぱそうだよなー」

 背中で、イリューアが大きく息をついたのを感じた。

「オマエにはオレの気持ちは解らないだろう。解ってほしいとも思ってない。だからずっと避けてたけど──、もっと早くこうしていればよかった。今夜会いに来てくれてマジで嬉しい。ありがとう」

 イリューアの身体に背を預けたままで高い天井を見上げていた。不意にお腹がぐにゃりと捻れるような感覚がした。

「だからしつこいクソ親父! さっさとくたばれ!」

 イリューアの怒鳴り声にびくっとした。お腹が捻れるような感覚はすぐに消えた。

「──はは。まあこういうこと。オマエもしんどいだろ? 意識は断ち切れるけど、身体の方の感覚を断ち切ろうと思ったら──」

 ──そういうことか。

「どうしたい、オマエは?」

 あたしにそれを委ねるつもりなんて──ないくせに。

「番にしたんじゃ、ないのかよ?」

「それはもう何をどうしたって覆らないよ? 唯一の例外は、オレの魂が消えるときだ。いずれオマエの魂が手に入ることには違いないんだから、オレはそれで構わない」

 イリューアの声は穏やかだ。もう全部決めたんだ。あたしのこころが穏やかじゃないのは、寂しいからか、哀しいからか。辛いからか。それともただ左手の結晶が勝手に騒いでいるだけか。

「恋じゃねーの?」

 イリューアが茶化す。恋。恋か。

「──恋なら恋でもいいや。できればアンタのことは覚えていたいけど──」

「オレ以外の誰にもオマエが見つけられないように、オマエの身体に影響が出ないように、前よりうんと強く封じるから──たぶん無理だな」

 あっけらかんとして、イリューアはあたしの身体に回した腕の力を抜いた。身体をぐるりと回すとその顔があたしの目の前に来た。

「左手をここに」

 イリューアの額の角が光っている。うんと小さい頃に見たのとおんなじ光だ。

「いつかの再会を待ってる。──────ウユラと、幸せに」

 世界は、真っ白に輝いた。



 イーシンが朝食の席で、昨夜空を真っ直ぐに横切る流星を目撃した、という話をした。めちゃくちゃきれいだったそうで。

「流星かあ。見てみたかったな」

 そう返したあたしに、クルが何かを言いたげな瞳を向けていた。

「どうしたの、クル?」

「うん。あのね。──大事な話が、あるんだけど」

 あたしだけじゃなくて、その場にいる全員に向かってクルが言った。

「僕、はじまりのドラゴンが担っていたお役目の一部を、継ごうと思って」

「おお……ついに決心してくれたか!」

 ロシュアが喜びの声を上げる。

「ウユラには、僕のサポーターとして、これからも一緒にいてほしい。でもって、レイは、ウユラの支えになってあげて?」

 あたしはウユラと視線を交わして頷き合った。

「僕にできるか解んないけど、できるだけのことは、やってみる。人語を解するドラゴンとして僕は、その役目を継いでいくべきなのかなって」

 かっこいいじゃんクル。

「へへ。護ってくれるものが──いるからね。だから、がんばる」

 クルが目を細めた。ウユラはそんなクルをぎゅっと抱き締めて、その後にあたしも、同じようにした。

「クルが偉いドラゴンになっちゃったら、こうして触れることも許されなくなっちゃう?」

 あたしの心配をクルは笑い飛ばす。

「何でも好きにしていいよ。偉くなっちゃう訳でもないし。できればレイは変わらずに──そのままの、レイでいて」

 何だかクルの言葉の裏に、深い意図が隠されているような感じがする。何だろう。助けを求めるようにウユラを見たけれど、ウユラは微笑むだけで何も言ってはくれなかった。左手で繰り返しクルの額を撫でていて、どうしてあたしは右利きなのに左手でクルを撫でているんだろう。生まれた小さな違和感はそれと意識したときには消えていた。

「──あれ?………………変なの」

 小さく呟いて笑ってから、クルの顔に頬擦りをする。左手の甲の中心が一瞬きらっと光った気がして目を凝らしてみたけれど、どうやらそれは気のせいだった。

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