龍を怪物にしないで。

小述トオリ

1.プロローグ

 雨は、数日前から降り続いている。

 膝まで浸かる高さの水が、コンクリート製の地面を覆い隠した。

 普段水上タクシーとして使われているゴンドラは、橋に繋がれている。

 夏と秋の間で揺れる気温は、雨が降り始めてから肌寒く、秋が優勢。

 閉じたシャッターには、本日休業の知らせ。

 まるで、俺以外誰も生きていないみたいだ。

 電光掲示板に映し出された芸能人までもが、外には出るなと呼びかけている。

 エスニック柄で派手なレインコートを着て、こちらへ向かって手を振っているが、話している内容は至って真面目だ。

 大きく息を吐いた。気持ちがいい。今なら、誰かの目に怯えなくてもいい。

 大昔、人魚は陸へ上がり、鱗を失い、ヒトとなった。

 稀に、先祖返りでもしたのか、鱗を持つものが生まれる。例えば、俺のように。

 大抵は背中にだけ鱗が生えているから、龍と呼ばれている。

 俺が生まれるより前くらいまでは半魚人と呼ばれていたらしい。

 半魚人に差別的な意味が強く含まれているとして、伝説の生物の名前から龍が選ばれた。

 名前を変えようがそれほど効果は無かったようだが。馬鹿馬鹿しい。

 龍はヒトから怯えられている。ヒトには聴こえない音が聴こえるから。

 そして、美しい龍と目が合うと、ヒトは龍に惚れてしまうから。

 龍が痴漢された挙句に、その犯罪者が

「龍と目が合ったからだ」

 と話し、相手が無罪になるという裁判が話題になったのはつい最近の話だ。

 ちなみに、その被害者は龍専用のサングラスをかけており、勿論目が合った記憶も無いだとか。

 龍は仕事を選ぶだとか、社交性に欠けるだとか色々あるけれど、接客業を選ぶ龍が数少ない理由は、この話だけで十分だろう。

「君は、龍だね?」

 通りと通りの間、細い路地裏に一軒だけ、店がまだ開いていた。

 チケット店だ。買いに来る者などいないだろうに。

 店の奥にいるヒトの姿はブラインドに遮られていたが、その姿は逆光ながらよく見えた。

 ちなみに、今俺の姿を見れば、俺が龍であることは誰でも分かる。

 こんな薄暗い雨模様の中で真っ黒のサングラスをかけているのは、馬鹿か龍だけだ。

 普段は目立たないように、龍用のカラコンを着けているけれど、あれは高い。乱視用レンズの倍額するのだ。

「セルキーです。ニコロ・セルキー」

 名前を尋ねられていないことなど分かっていたが、龍と呼ばれ続けるのは嫌だった。

「これは失礼。それじゃあ、セルキーくん。幸運のチケットについて知ってるかい?」

「無いですね。俺みたいなのに売りつけようとしても、大した金持ってないですよ」

 今の俺は、黒いラッシュガードと水着兼用のショートパンツ姿だ。

 ポケットに小銭くらいは入れているが、財布を持っていると思う方がおかしい。

 そもそも、仕事内容の限られる龍は、高確率で貧乏だ。

 手元に金が無いのは本当だが、幸運のチケットは有名な噂話だった。

 チケットを手に入れた龍は、ヒトになれるのだとか、童話の人魚姫の如く泡になって消えるだとか。そんな噂が流れる程度には、高齢の龍が見かけられないのだ。

 実際のところは、どうなのか分からない。童顔であると龍ではないかと揶揄されるほど、龍の容姿は人と比べると特筆して幼い。そして、加齢に対して変化もしない。

 少なくとも、俺の容姿は十年間近く変わっていない。

 実年齢を告げると驚かれてしまうから、年齢を偽っているのだろうか。

 そもそも、龍の数自体が少ない。人口比率は千人あたり一人だと見たことがある。

 その他の意見として、龍は龍だけの居住地域に集まっているのだというものもある。

 幸運のチケットは、その入居者証のようなものだという可能性だ。

 もし本当にチケットが存在するのなら、泡になって消えるよりはよほど現実的な意見だと、俺は思う。

「安くしとくよ。出発が明日なんだけれど、急なキャンセルでね。勿体ないから誰かに渡したいのさ」

 提示されたのは、明日の昼に近くの港を出発する、豪華客船のチケットだった。

 この天候では出発できるのかも分からないから、たたき売りしているのだろう。

 見知らぬ誰かと相部屋になるそれの値段は、たった一杯のコーヒー分でしかなかった。二杯はギリギリ買えないくらい。

 いきなり降って湧いた話に、乗るかどうか。所持金は、足りた。

「……それ、一枚ください」

 騙されても気にならないような値段だと思ったから。

 こんな大雨の日に店を開けている店員が、温かい飲み物でも買えばいいと思えたから。

 この店員が、龍の噂について知っていたことが嬉しかったから。

 正当化する理由をいくつか頭の中で並べながら、俺はそのチケットを買った。

 青いチケットには白い装飾と、赤い木の実の絵が描かれている。

 チケットそのものが額縁に入れて飾ってありそうなほど、美しかった。


 アパートへ戻る頃には、久しぶりに雨脚が弱まっていた。

 視界の端では雲が途切れ、夕焼け色が覗いている。

 雨を避けて見られなかったスマホを取り出して、明かりを点けた。

 SNSで、俺の名前はニコ。

 一人で曲を作って歌っている、シンガーソングライターだ。

 年齢職業不明、イベントに出演することも無く、ただ曲というコンテンツを提供し続けている。

 ちなみに、学校を卒業する最後の学年だから、就職活動中で、職業は今のところ未定。

 龍はなかなか職にありつけないから、正直予想通りだ。

 龍を雇いたい人なんていない。龍に働く場所なんてほとんど提供されない。

 それでも、龍が龍だからという理由で生活を守られることは勿論ない。

 ホームレスか犯罪者の二択から選べということだろうか。そんなことを大真面目に思う。


『明日から旅行……かも。天気次第』

 チケットを、行き先や部屋番号が読み取れないように撮影し、投稿した。

 もしかしたら、これも後からチケットの噂のひとつに加えられるのかもしれない。

 晴れるといいねというコメントには同意しながら、行き先に関するものは全て誤魔化す。

 頑なにプライベートを隠すのは、龍だと知られると、碌なことが無いからだ。

 人魚伝説と混同しているのか、龍なら歌が上手くて当然と話す人も居るし、龍の歌を聴くと海へ連れて行かれ、溺れて死んでしまうと話す人もいる。

 歌どころか目を合わせたら洗脳されてしまうだとか、その内容は様々だ。

 近年の研究では、『人魚の歌』は鯨の歌と似ているという説が一般的だから猶更。

 鯨はヒトに聴こえない音で自らの位置を掴む。

 それと似ていて、人魚は、ヒトに聴こえない音で会話をしていたらしい。

 人魚同士の話を聞いたヒトが無意識に海へ向かい溺死した可能性もあるのではないかと。

 それを踏まえた上で、人魚に近い龍の歌を怖がる心情は、まあ分からなくもない。

 人魚や龍がヒトを溺死させるという噂は、火の無いところに立つ煙にしては多すぎた。

 理解はするが、納得は出来ないし、それによる不利益を被るのもさらさら御免だ。


 生まれた時代を、比較的幸運だとは思う。

 立ち向かうのに必要な労力と勇気は、それを隠し続けるほどではない。

 顔を隠したままでも、見てくれる人はいる。コンテンツを提供し続けられるのならの話だが。

 匿名は快適だ。俺の年齢も顔も知らない人が、コンテンツだけで評価してくれるから。


『撮影終わり! 休憩室!』

 ふと、一枚の動画が目に留まる。投稿主は公式マークつき、つまりある程度有名人なのだろう。

 笑顔で自撮りをしている。どこかで見たことのあるような顔だが、思い出せない。

 足が長い。それから、口が大きい。身長は二メートル近いだろうか。

 いかにも、人前に出ることを仕事にしていそうだという印象を受けた。

 仕草のせいだろうか。

 自信に満ちているし、撮られることと自分を魅せることに慣れているような。

 動画の中で、彼は笑顔を絶やすこと無く、緑色の目をきらきらと輝かせて踊っている。

 筋肉はしっかりとついているのか、動きにブレは無かった。

 視線の先にはメトロノームがあったが、歌いながら踊ろうとしているからだろうか、テンポがゆらゆらとずれている。

 それでも、見ていると頬が緩むような魅力がある。

 緑色の目と褐色の肌、派手な服。俺とは逆だと、思わず呟いた。

 電源を落とし、暗くなった画面に自分の目が映る。

 

 コンタクトを着けていない目は、明るい夜を思わせるような淡い紫色をしていた。


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