間に合わなかった彼の話
小述トオリ
だけど、君は待ってくれた。
友達の足には鱗が無いのだと、保健の授業で初めて知った。
それから俺はいつだって足に怪我をしていた。そういうことにして、いつも包帯を巻いていた。
水の中が大好きだった。プールの授業で誰よりも長く潜ってみせて、海では誰よりも遠くへ泳いだ。
人間の友達より、海にいる魚の方が同類の気がした。そう思った時から、魚が食べられなくなった。
「ゆっきー! アイス買ってさ、食べて帰ろうよ。今日、安い日だよ」
「登下校中の買い食いは禁止だろ」
「えー、頭カターイ」
校則なんてどうでもよかった。ただ、俺に買い食いをする金が無いだけ。
太もものほんの一部にしか無かった鱗は、俺が高校へ入学する頃には足全体へ広がっていた。
全身をローブで隠した人が、施設に俺のことを預けて行ったんだって。
その理由を、鱗の増え方で察してしまった。
どんどん離れていく。人から、友達から、恋人から。
『もし俺が魚になっても』
そんな一言は、冗談だって言えなかった。
嗚呼、空気に溺れそうだ。
「あ、起きた。自分の名前は言えるかな?」
頬に、凍らせたペットボトルが押し当てられていた。
「ゆきはる。……川上幸治」
「もうすぐ救急車も来るから、安心してね」
俺はアスファルトの上に転がっていて、俺と同い年くらいの、俺よりずっとしっかりしてそうな二人が、俺のことを心配そうに見ていた。
二人もそれぞれ、俺に向かって、山瀬若葉、清水葵、と名乗った。
どうやら、熱中症らしい。少しでも風を通すためにと、服のボタンは開けられていた。
足の鱗は、彼らに見えている。彼らがそれに驚いているようには見えない。
むしろ、俺が驚いた。
山瀬は、アスファルトに転がっていた俺にささやかな寝床を提供してくれたらしい。上半身はタンクトップだけになっている。
その両腕には、ぽつぽつと、俺と同じような鱗が生えていた。
「……お……同じ?」
「あはは、まあ、色々あってね」
「そういう集まりなんだ、救急車の人も。だから怖がることはないよ」
「そんなの、今まで聞いたこと無かった」
鱗の生えた人々が、化け物になる前に、人間に戻ろうとする集まり。
「治療はある程度若い人からで、抽選制なんだけどね」
間に合うかもしれない。一縷の望みをかけて、俺は抽選に申し込んだ。
歳が近い彼らより、自分の鱗がずっと、ずっと多いことには気づいていた。
「ゆっきー、焼き芋の屋台やってるよ!」
「ゆっきー、雪降ってるよ! 雪! ほら、名前と一緒」
「ゆっきー、通学路の桜、すごいよ!」
「だから、出て来てよ」
浴槽から、長時間出られなくなった。学校にも、しばらく行っていない。
脱衣所で鳴り続けるスマホを、浴槽からただ見ていた。
雨の日は調子がいいから、大雨になると浴槽から上がって、そこで一気に返信をした。
いつも喉が渇くようになって、海が恋しくなって、雨の日は海の近くまで行っては、飛び込みそうなところで足を止め、引き返していた。
そんなある日、当選の知らせが届いた。
人間と一緒に、船に乗って……。
「船になんか乗らなくても、海に入ればいいじゃないか」
鱗は、頭以外の全てに侵蝕していた。きっと、思考にも。
出発地点を見るだけ、そう自分に言って、港へ向かった。
雨が降り、水位が上がっているとニュースで流れていた。
通り道、人の姿はまばらだった。
数少ない通行人とのすれ違いざま、強めの風が吹いた。
通行人が風で零したのは、多分鱗だった。
お仲間だろうか。だとしたら、俺よりずっと、ずっと軽い。
水面から、何かが勢いよく顔を出す。水飛沫が、足元を濡らした。
「ゆっきー、一緒に泳ごうよ。気持ちいいよ」
彼女は変わり果てた姿と、変わらない笑顔で、俺に向かってピースサインを突き出した。
「うん。……ああ、でも、五分だけ待って」
「まだ待たせる気? あんまり人を待たせるような人はモテないよ」
「本命が待ってくれる人だったからいいんだよ」
「……あっそ」
「もしよかったら、どうですか」
レインコートをしっかりと被って、チケットを差し出す。
この通行人がチケットの意味を知っているとは限らない。
それでも、これだけ鱗が少ないのなら、あともう一回くらい後の抽選だって、なんとかなるかもしれないから。
これが貴方にとって、幸福の種になりますように。
間に合わなかった彼の話 小述トオリ @9nove_street
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