第3話 眠れぬ魔物は死を望むか 1

「はぁ、どうしたものか。」


 ホルダー・アッシュは目の前にいる魔物、鎧竜を見つめてため息をついた。


 アッシュが手に持ったナイフで鎧竜の皮膚を叩くと、カツンと低くて乾いた音が鳴った。


「こんなに硬くちゃ、俺じゃ手が出ないよ。」


 そう呟いてアッシュは空を見上げた。




 少し前


 アッシュは鎧竜の姿を探して山中に入り、ほどなくして鎧竜の痕跡を見つけることができていた。


 その痕跡を辿ると大きな影が見えてきて、大きな物音と動物の悲鳴が聞こえてくる。


 鎧竜だ。鎧竜が動物を襲っているようだ。


 アッシュはそれ以上は鎧竜に近づかなかった。アッシュの目的は鎧竜と相対することではない。


 アッシュの目的は比較的安全なところから、鎧竜に気づかれないようにして催眠魔法をかけることだ。


 しばらくすると、物音と動物の悲鳴が聞こえなくなった。それから巨大な何かが山中を動く気配がする。


 鎧竜が移動したのだろう。アッシュは静かに、音がしていた場所へ近づいて行った。


 そこには鹿の死体が横たわっていた。体中に傷がつけられており、ひどく痛めつけられたのだろうということがわかる。


 そして、その死体には食べられたような跡は見当たらなかった。


 つまり、鎧竜は食事のために鹿を襲ったのではなく、傷つけるためだけに鹿を襲ったのだ。


(噂通りのおそろしい魔物みたいだな。)


 この街に来て日が浅いアッシュは山に入る前に鎧竜の情報を集めていたが、そこで聞いた鎧竜の情報は恐ろしいものだった。


 なんでも、鎧竜は人を痛めつけて殺すことを生きがいにしているらしく、この街に限らず、他の街でも何人もの人が犠牲になっているというのだ。


 そして、この鹿の惨状から見るにその情報は確かだったらしい。


 賞金が欲しいのは確かだが、それだけではなく、人道的にも鎧竜をこのままにしてはいけないだろう。


 アッシュは鎧竜の去った跡を慎重に追っていった。そして鎧竜の姿はすぐに見つかった。


 鎧竜は木があまり生えていない山道を悠々と歩いていた。


 周りを警戒している様子はまったくない。自分に敵はいないと確信しているのだろう。


(その油断が命取りだ。)


 鎧竜が油断してくれているなら好都合だ。


 アッシュは鎧竜に近づきすぎないように気をつけながら鎧竜を追いかけ、そして、開けた場所に鎧竜がきたところでついに催眠魔法を使用した。


 それはとても静かな魔法だった。


 目に見えず、音もなくにおいもない。アッシュにだけわかる魔法の波がゆっくりと鎧竜に届く。


「?」


 催眠魔法に掛けられた鎧竜は魔法に掛けられた反応をすることもなく、頭を地面に下ろしてゆっくりと目を閉じていった。


「グウウウウ」という、寝息のような音を鎧竜が出し始めた。


 自分にしかわからない感覚で、鎧竜が深い眠りについたことがわかる。


 こうなれば弱い魔物でも強い魔物でも一緒だ。何をしても目覚めることはない。


 鎧竜に見つからないように身を潜めていたが、もうその必要はない。堂々と鎧竜のいる場所へ近づいていく。


(それにしても大きいな、それに寝てるのに雰囲気がこわい)


 至近距離まで近づくとかなりの威圧感がある。


 竜と言われるほどの大きな体に加えて、黒く重たい色を放つ硬質な皮膚、太刀のような鋭く大きな爪。


 もしも、ふとした拍子に鎧竜が前足を伸ばして自分の体に当たったとしたら、それだけでも重傷を負ってしまうだろう。


 完全に眠らせているのでそんなことはまずないが。


 鎧竜の全身をゆっくりと見てまわる。


 どこかにナイフが刺さるような場所があれば、そこから鎧竜に傷をつけることができるのだが。


 しかしながら、鎧竜の体は頭から足まで鎧のような皮膚でおおわれていた。どこにもナイフが刺さりそうな場所はない。


「これはまいったな。」


 アッシュは催眠魔法を使うことができたが、力は人並みほどしかないのである。


 このため、ナイフで傷をつけることのできない鎧竜に対して、アッシュにできることはなくなってしまったのであった。


(さて、どうしたものか。)


 このまま街まで帰ってしまおうか。どうせ今までも鎧竜は放置されていたのだし、俺がこのまま帰っても今の状況が変わらないというだけだ。



 もしくは、気の進まない方法を使って鎧竜を倒すか。


 アッシュは1つだけ、鎧竜を倒す方法を思いついていた。そして、それはアッシュにとって避けたい方法であった。


(とはいえ、鎧竜を放置しても人が犠牲になるだけなんだよなぁ。短期間で多くの人が犠牲になる方法をとるのがいいか。鎧竜を放置して長期間で人が犠牲になるのがいいか。)


 つまり、アッシュが悩んでいるのは鎧竜を倒すことは可能かもしれないが、それによって多くの犠牲が出ると思っているということだった。


 自分が人を殺すわけではないが、犠牲が生じることに責任の一部を感じざるを得ないのは避けたいことだ。


 とはいえ、このまま鎧竜を放置するのがいいとも思えない。





「はぁ~~~。」


(しかたがない、やるか。)


 長い時間を置いた後、同じく長いため息をついたアッシュは心を決めた。


(被害に合う人はゴメン。そのかわりに鎧竜は倒す。俺も賞金を諦める。将来犠牲になる人が減る。だから許してくれ。)


 心の中で犠牲になるであろう、誰かに対する謝罪の言葉を紡いだ。


 そして、アッシュは眠っている鎧竜に向けて魔法を使ったのだ。


 それは死ぬまで眠ることができなくなる魔法だった。

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