19 お気に入りへの執着

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 一方その頃、アストライアは猛烈に機嫌が悪かった。


(どうしたらいいものかしら……)


 若くして魔王城のメイド長となり、今では魔王ライゼーテが寵愛する王女アストライアに仕えるフローラは自らの布団に引きこもる主人に困っていた。


 今日は魔界にいる全ての魔族が楽しみにしている剣術大会の日だ。もちろん主賓は魔王を筆頭とした魔界の重鎮が勢揃いしている。そのうちの一人として、アストライアも招待されていた。


 王女として生まれてきた故、このような行事には大抵参加するのが当たり前となっている。が、アストライアは「行かない。行きたくない」の一点張りで、頑なに拒否していた。


「アストライアさま……」


 アストライアに専属のメイド見習いとして配属されたフィノエルーラも困っている様子。


 最近は見習いから正式にメイドとして任命され、アストライアの専属メイドとなったフィノエルーラだったが、まだアストライアと出会ってから日も浅い。


 様々なアストライアの言動に対応する力をつけてもらわなければならないが、今回の場合ケースは熟練のメイドであるフローラでも難しい。


「フィノエルーラ」

「フローラ様……」

「今日はもう、仕事を終わりにしていいわ。あとは私が何とかするわ」

「ですが……」


 フィノエルーラは心配そうにアストライアに視線を向ける。そして、フローラに小さく耳打ちした。


「アストライアさまが行きたくないのは、おそらくですが前に入ってきたって言われている人間の男の子が関係していると思うんです」

「! フィノエルーラ、あなた……」


 まさか、アストライアがシンとの接触を禁じられているから、アストライアは行きたくないと言っているのだろうか。


「フローラ様」


 フィノエルーラは真剣な眼差しでフローラに言った。


「アストライアさまのことを一番よくわかっていらっしゃるのは、フローラ様のはずです」

「…………」


 たしかにアストライアは一度執着するとそれに固執する魔族だということを、フローラはよく知っていた。


(……姫様が四歳の時だったわね)


 フローラは四年前の出来事を思い出す。


『これ、なぁに……?』

『万華鏡でございます、姫様』

『まんげきょう?』


 アストライアは魔王ライゼーテからささやかな贈り物として万華鏡をもらった時のことだった。


『わああ……! きらきら!』


 筒を回す度に変わる模様に、アストライアは目を輝かせていた。


『まほう……?』

『いいえ。魔法でも何でもありません』

『すごい! フローラ、まんげきょうってすごいのね!』

『そうですね。フローラもすごいと思います』

『まんげきょう、すごい!』


 アストライアは大層気に入り、どんな時でも万華鏡を手放さずに持っていた。そしていつしか万華鏡のことばかり考えるようになってしまったのだった。


 食事もとらず、万華鏡ばかり見ているアストライアに、当然周りは気にし始めた。そして、痺れを切らした一人の侍女がある日、アストライアの万華鏡をとった。


『かえして!』

『いい加減にしてください! あなたは王女なのです! 少しは考えて行動してください!』

『かえして! かえして!』


 アストライアは必死に手を伸ばすが、大人と子供では身長が違い過ぎた。届くはずのないものに、アストライアは懸命に手を伸ばすが、触れることさえ叶わない。


 だからーー


『かえ、して……っ、かえして……! 〜〜っ【かえして】!!!』

『っ!?』


 アストライアは類い稀なる魔法の才能によって、まだ幼き年齢で成人魔族一人の動きを封じ、万華鏡を取り返したのだった。


 その侍女は四歳になったばかりの幼子のアストライアの力を恐れ、怖がり、次の日には侍女を辞めてしまった。


(有望な侍女だったのだけれど……)


 実際に体験した恐怖は、フローラでも計り知れない。


 四歳の時点での成人魔族の二倍以上の圧倒的な魔力。魔法の才能。頭脳明晰、言われればどんなことでもこなしてしまう天才肌。そして、魔王ライゼーテの愛娘ーー。


 グッと強く握れば、その細い腕など意図も簡単にあることすら可能な幼子。だが、内には研ぎ澄まされた刃が眠っており、「見た目に騙されてはいけない」という言葉に適した魔族だった。


 アストライアの万華鏡への執着は、それをきっかけにだんだんと薄れ、今では記憶の片隅にあるだけのただの物体でしか無くなった。


 だが、万華鏡での出来事でわかったこともある。


 アストライアが何かに執着をすれば、それに危害を加えたものは殺されてもおかしくない。


『シンは私のお気に入りなの』

『勝手に奪ったら、許さないから』


 言葉だけを見れば可愛らしいと思えるが、アストライアの強さと権力が付いているとなると脅しにも捉えられる。


(……今度はどうなってしまうのやら)


 だからこそ、アストライアに歯止めを掛けられるものーーフローラがアストライアの専属のメイドとなっていつも見張っているのだった。


「……フィノエルーラ」

「はい」

「仕事を終えたくないならそれでもいいわ。……でも、ならせめてこの部屋から下がりなさい」

「! ……わかりました。アストライアさまをお願いします」


 そう言うと、フィノエルーラは部屋を後にした。


 フローラは深呼吸をすると、アストライアに向き直った。


(ここから先は、私でも何が起こるかわからない。けどーー)


 フローラは、今生きている魔族の中で一番、アストライアのことを理解していた。


「アストライア姫様」

「…………」


 アストライアから返事はない。だが、「話していい」という肯定でもある。


「姫様が剣術大会の件に関わりたくないのはわかりました。そのように手配させていただきます」

「……そうしてちょうだい」

「ですが」


 フローラは条件をつけた。


「私以外には誰にもお伝えしないとお約束いたしますので、せめて理由は教えてください」

「…………どうせ、わかってるでしょ」

「わかりません。憶測にすぎませんから」

「変なところで謙虚になるのはやめてほしいのだけれど」

「それは申し訳ございませんでした」


 魔力での威圧やローズレッドの瞳で睨まれることで怯むようなフローラではない。これだけは、譲れないものなのだ。


「……私が前に、シンのことがお気に入りだって言ったの覚えてる?」

「はい。覚えていますよ」

「なら、それが答えよ」

「……私にもわかるように教えてください」

「だから、シンが私のお気に入りなのが答えだって言っているの」

「…………」


 フローラは猛烈に悩んでいた。アストライアの言葉の意味が全くわからないのだ。シンがアストライアのお気に入りなのは二年前から知っている。だが、それが剣術大会に関わりたくない理由になるのが理解できないのだ。


(……全くわからないわ)


 フローラは返答に困った。アストライアはそれを察したのか、もう少しヒントを出してくれた。


「……私が万華鏡を好きだったこと、覚えてる?」

「……はい。覚えています」

(それとこれに何の関係が……?)

「魔族は欲の塊だってよく言うじゃない? 私はそんな言葉の代表例だと思うの」


 おそらく、アストライアは自分の異常な執着を自覚しているのだ。


「だから……シンに会ったら、きっと私はなりふり構わず飛び出してしまうと思うの」

「…………」


 フローラは否定しない。むしろ、肯定の意見だ。


「私は、欲を抑えられないから……関わらないのが、一番いいと思って……。これで納得した?」


 最後は少し肯定しろとでも言うかのように威圧的だった。だが、そんなアストライアが愛らしいと思ってしまうフローラ。


「……よくわかりました。主催者の方には、体調が優れないため欠席すると伝えておきます」


 フローラは一礼をすると、フィノエルーラと同じように部屋を去ろうとした。だが、ドアを開け、一歩踏み出した時ーー


「……ありがと」

「!」


 フローラは思わず振り返る。だが、アストライアは布団にくるまっているため、姿が見えない。


 フローラの口元に笑みが浮かぶ。


(……これだから、姫様以外のメイドにはなりたくないのよね)


 すぐにもとの表情に戻ると、フローラは静かにドアを閉めた。



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