12 新米メイド見習い 前編

 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




「……見習い?」

「は、はいっ。本日からアストライアさま専属のメイド見習いとして働かせていただきます、フィノエルーラですっ。よろしくお願いします」

「……ということです、アストライア姫様」


 アストライアがシンと別れてから約一年半が経過した、そんなある日。アストライアに専属の見習いメイドーーフィノエルーラがやって来た。


 ブーゲンビリアのふんわりとした髪からは花の香りが漂う。フォレストグリーンの瞳からはフィノエルーラの初々しさが現れていた。


 黒と白のメイド服はフィノエルーラの可愛らしさが溢れつつも、主人よりも目立ち、華美にならないよう、工夫されている。


 何よりも目を引くのはフィノエルーラの頭部に存在する二つの鹿のつのかどは丸く、大きさは小さめだが、フィノエルーラの温厚な性格と、フィノエルーラが獣人族であることを示すのには十分だった。


「フィノエルーラ、ね。なんて呼べばいいかしら?」

「周りからはエルと呼ばれています」

「そう。なら、私もエルと呼んでもいいかしら?」

「もちろんです、アストライアさま」


 こうしてフィノエルーラはアストライアの専属のメイド見習いとなった。




 がーー


「ふぎゃっ」


 ある時は転び、


「わっ、わわっ」


 ある時は何かを落とし、


「あっ、ちょっ、まっ……(皿の割れる音)……ぎゃああぁぁっ!」


 ある時は何かを割った。


「…………大丈夫、エル?」

「は、はいっ! 大丈夫で」


 す、と言い終わる前にフィノエルーラの頭上から皿が一枚落ち、見事に当たった。


「いったぁ……!」

「あー……エル?」

「あっ、だ、大丈夫です、アストライアさま!」


 だが、何故かまたもフィノエルーラの頭上から皿が落ち、パリンという音が部屋に響く。次に部屋に訪れたのは静かなる沈黙。


「「…………」」


 お互いになんと言えば良いのか、わからなくなった結果がこれだった。


(この子……本当に大丈夫かしら?)


 度重なるフィノエルーラのやらかしを見ていると、アストライアは非常に不安な気持ちに駆られるのだった。




「フローラ」

「はい、なんでしょうか」


 そしてフィノエルーラがアストライアの専属のメイド見習いとなってから一週間が経った頃。


 痺れを切らしたアストライアは、フローラにフィノエルーラについて訊くことに決めた。


 メイド長であるフローラならば、何か知っている、または何か良い解決案があると考えたのだ。


「あの子……フィノエルーラは大丈夫かしら?」


 大丈夫……ではないのだが、他にどうやって訊けばいいのかわからず、アストライアはそう、フローラに訊いた。


 フローラは困った顔をしながらアストライアに言った。


「そうですねぇ……。フィノエルーラにはアストライア姫様に仕える前、他の貴族のメイド見習いとして働いていました」

「えっ、そうなの?」

「はい。歳はたしか、アストライア姫様と同じくらいだったと記憶しています」

「ふぅん……」


 つまり、フィノエルーラにもメイド経験があるということだ。


(前のお屋敷で何かやらかして、私のところに来たのかしら? だとしても、順番がおかしいわよね)


 魔界の中で一番高い階級、それが王族だ。上級貴族のところで失敗したから王族のところに仕えられるなど、有り得ない。


 普通なら、王族のところで失敗して上級貴族に仕えるという順番のはずである。


「フィノエルーラのメイドとしての実力はあります。フィノエルーラは今回のメイド選抜で一番の高成績を叩き出しましたから」

「以外ね」

「そう思われても無理はありません」


 フローラもフィノエルーラのメイドの仕事ぶりはアストライアと共に見てきた。選抜時と現在では、フィノエルーラの力はおかしいようだ。


「……何か変な魔法でも使われたの?」

「いえ、それはありえません」


 メイド選抜で問われるのは魔力や魔法ではなく、メイドとしての力だ。家事力や洞察力を必要とするため、魔法の技量は全く必要ない。


 そして次に大事なのは主人への態度と忠誠心だ。主人に認められ、主人を陰から支えることこそがメイドの目標である。


「……益々わからなくなったわ」


 だが、今の会話で得たこともあった。


「フローラ」

「なんでしょうか、アストライア姫様」

「あなた、何か隠してない?」

「……なんのことでしょう」

「とぼけるのはやめて」


 アストライアはフローラの主人として命令した。


「包み隠さず、あなたが今知っているフィノエルーラのことについて全て教えなさい。命令よ」

「……仰せのままに」


 その時の風格は、今の魔王の血を色濃く受け継いでいた。


 フローラは幼き主人に内心驚嘆すると同時に、フィノエルーラのことについて話した。




「エル、ちょっといいかしら?」

「はい、アストライアさま! ……あっ、わわっ!」


 アストライアは目を瞑る。大きな音がして「痛てて……」というフィノエルーラの声が聞こえると、ゆっくりと目を開けた。


「ごめんなさい、アストライアさま。ちょっとつまずいちゃって……えへへ」

「エルが無事ならそれでいいわ。……【治癒】」


 アストライアの【治癒】でフィノエルーラの傷が治った。


 フィノエルーラは「ありがとうございます」とお礼を言うと、アストライアは「どういたしまして」と言った。


「御用はなんでしょうか」

「あぁ、そろそろフローラがユーム(林檎のこと)のパイを作り終える頃だから、温かい飲み物が欲しくて」

「ユームのパイ!」


 ユームのパイは砂糖と煮詰めた物をパイ生地に包んで焼く、焼き菓子のことだ。寒い風が吹きつけるこの季節の代表的な焼き菓子である。


「お任せください、アストライア! ユームのパイに一番合う、最高の紅茶をご用意いたします!」

「ふふっ、ええ、お願い」


 フィノエルーラは軽やかな足取りで部屋を後にした。そんなフィノエルーラをアストライアは静かに見つめていた。




「いただきます」

「い、いただきます……」


 ユームのパイが二つ、フィノエルーラの用意した紅茶が二つ、テーブルに並べられる。アストライアがフィノエルーラも一緒に食べようと誘ったのだ。


「ほ、本当に良かったんですか、アストライアさま。私なんかがご一緒して」

「ええ。さ、食べましょう」


 アストライアは再び「いただきます」と言うと、ユームのパイを口に運ぶ。フィノエルーラもそんなアストライアを見て、覚悟を決めたのか、ユームのパイを食べる。


「……〜〜っ! 美味しいですアストライアさま!」

「ふふっ、そうね」


 フローラの作るユームのパイは絶品なのだ。そんなユームのパイに、フィノエルーラの淹れた紅茶がとてもよく合う。フィノエルーラの紅茶もとても美味しい。


 アストライアは紅茶も口に含むと、カップを静かに置き、美味しそうにユームのパイを食べるフィノエルーラに言う。


「エル」

「はい、アストライアさま」

「あなた、どうして本来の力を発揮しないの?」

「…………えっ……?」


 アストライアはフィノエルーラを見つめる。いつもの笑みに、確信が含まれている。フィノエルーラは少しの間、動かなくなった。


「……なんのことでしょうか」

「別にいいのよエル、隠さなくても。あなたがずっと故意に転んだり、何かを割ったりしていることは薄々気づいていたの」

「…………」


 最初から、フィノエルーラはおかしかった。


「あなたは選抜の際、一番な成績を収めたと聞いたわ。なのに私に仕えている時はそうとは思えないほどひどかった。でもメイド長であるフローラがそんな者を私のメイドにするとは思えない。なら、考えられるのは一つだけ」


 アストライアは息を吸ってから言った。


「あなたが故意に力を隠している」

「…………」


 フィノエルーラは黙ってアストライアを見つめている。アストライアは優美な笑みを浮かべる。


「無理にとは言わないけれど……」


 だがその笑みには逃げられようもない鋭い眼差しが含まれていた。


「どうして隠しているのか、教えてくれるかしら?」



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