6 満洲国首都新京

 かつて長春と呼ばれた中国東北部の中央に位置する都市は、満洲国建国以来、その首都としてめざましい発展を遂げていた。

 満洲国の門戸開放を内外に喧伝するという政治的な要因によって、フランス資本を導入して建設されたこの都市は、今や人口約八十六万人を抱えるまでに至っていたのである。

 この人口は、奉天、哈爾浜ハルビンに次ぐ満洲国第三位の人口であった。

 そして、首都建設に当たってとられた手法、すなわち農地をまず買収しそこに市街地を整備して再び売りに出すことで都市建設事業の継続的な財源を確保するという手法は、内地も含めた日本の勢力圏下では初めて実施された方式であった。この事業方式は内地に逆輸入され、臨海工業地帯の造成やニュータウンの建設に広く採用されることになる。

 都市中心部から放射状に伸びる幹線道路、そしてそれを縦横に繋ぐ環状・方形の道路は、フランスの首都パリを模している。そして、放射状の幹線道路の中心に位置する大同公園・安民公園は遊歩道で繋がっており、こうした都市の緑化計画はアメリカに倣ったものであった。

 また、こうして建設された新市街には全域水洗便所設置が実施され、衛生面にも気が配られている。当時、中国各地の都市では便所がまともに存在しておらず、人々は物陰で用を足すのが当たり前であったから、新京新市街の全域水洗便所設置は画期的な取り組みであった。

 下水道は汚水と雨水を分ける分流方式がとられており、これも内地にはほとんど存在しないものであった。合流式は確かに建設費用が安く済むのだが、特に降雨時には汚水と下水がまとめて放流されるので衛生面で問題があったのである。

 雨水処理のために建設された雨水調整池は普段は公園の池として活用されており、夏はボート遊び、冬はスケートリンクなど、市民たちの憩いの場として機能するように設計されてもいた。

 こうした意味でも満洲国は、その後の日本の発展のための壮大な実験場であったとも言えたのである。






 そうした発展著しい満洲国首都の駅に、大連を発した特急あじあ号が到着したのは、十七時半過ぎのことであった。

 赤レンガ造りの新京駅に降り立った満鉄副総裁・山崎元幹は、満鉄新京支店の社員から出迎えを受けながら、駅前の広場へと出る。

 すでに空には夜の帳が降りつつあるというのに、新京の街並みは街灯や窓から漏れる灯りによって煌々と輝いていた。


「やあ、山崎くん。久しぶりだね」


 一人の男が、駅前の広場で山崎を出迎えた。


義兄にいさん、ご無沙汰しております」


 山崎は、その人物に丁寧に挨拶した。

 山崎が義兄と呼んだこの人物は、荒井静雄という。枢密院副議長を務めた荒井賢太郎(一九三八年没)の長男で、山崎の妻・須磨すまの実兄であった。

 荒井静雄は今年の六月から満洲国宮内府次長を務めている。


「まあ、こんなところで立ち話も何だ。乗りたまえ」


 荒井がすでに駅前に回していた車に、二人して乗り込む。荒井の合図で、運転手が車を発進させる。


「どうだね? 新京もだいぶ発展してきただろう?」


「ええ、ここ数年での発展ぶりには、目を見張るものがあります」


 後ろへと流れていく新京市街地の光景を見ながら、山崎が応じた。

 車は、駅前広場から大同大街の大通りを進んでいる。城郭建築を思わせる帝冠様式の関東軍司令部、銀座の百貨店を彷彿とさせる三中井みなかい百貨店、均整の取れた東洋拓殖ビル、どれも重厚な建物が通りに面して建ち並び、新京の発展ぶりを窺わせた。

 この地区がかつては単なる荒れ地であったことなど、今では誰も想像がつかないだろう。

 それほどまでに、ここ十年で新京は発展を遂げていたのである。


「ただまあ、少し整いすぎているというのは感じます」


「確かに、それはあるかもしれんな」


 山崎の言葉に、荒井が苦笑を浮かべる。


「良くも悪くも、この都市は政治的であり過ぎる。大連の自由闊達な空気に馴染んでいる満鉄の社員にとっては、いささか窮屈な空間ではあろうな」


 国際港として発展してきた大連は、どこか西洋的な瀟洒で自由な雰囲気が街全体に存在していた。一方でこの新京は、何か見えない力が頭上にのし掛かっているような、どこか息苦しい雰囲気が漂っているように山崎は感じていたのだ。

 満洲国の成立によって国策会社としての使命を半ば終えたともいえる満鉄は、満洲における政治的影響力を低下させつつあった。関東軍が主導した在満機構改革の余波を受けた満鉄は、純然たる鉄道会社へと変革を余儀なくされていたのである。

 もちろん、それはそれで満鉄にとって良いことではあったのかもしれないが、満洲における満鉄の政治的地位は低下し、関東軍や関東憲兵隊など他の政治集団による圧迫を受けるようになっていた。

 そうした中で満鉄が守り抜いていたのは、その自由な文化であった。満鉄は満洲映画協会へと出資し李香蘭(山口淑子)などが活躍する土台を作り、そして満鉄社員たちが同人誌を作って満洲文学という新しい文学の潮流を作り上げていた。

 だからこそ、満鉄生え抜きの人間である山崎には、どうにも新京の雰囲気に馴染めないものを感じてしまっていたのだ。


「とはいえ、建国十周年が無事に過ぎたが依然としてこの国は発展の途上にある。まだまだこの国は政治が強力に牽引していかねばならない部分も多い。半世紀も経てば、あるいはこの都市の窮屈さも消えていくかもしれんな」


「半世紀、ですか」


 義兄の言葉を、山崎は繰り返す。


「そういえば、もう十年以上前……確か満洲事変の前でしたか……満洲日日新聞だかだかどこかの新聞社が“二十年後の満洲”という懸賞作文を募集していましたね」


「十年足らずでこれだけ満蒙情勢が激変したのだ。十年、二十年後のことを人間が正確に予測することなど不可能だろうよ」


「我々日本人がこの満蒙に地歩を築いてから、まだ半世紀も経っていませんからね。半世紀後……二十一世紀に突入する頃には、我が大日本帝国も満洲国もどうなっていることか」


 山崎は遙かな未来に思いを馳せながらも、やはり気に掛かるのは一年後、二年後の未来であった。満ソ国境情勢、日ソ関係を考えても、半世紀後の満洲国のことを夢想する気にはなれなかった。


「それで、山崎くん。君は新京にどの程度、滞在しているつもりだね?」


「まあ、二、三日でしょう。関東軍の方から、国内の鉄道敷設状況を説明出来る人間を寄越して欲しいと言われましたから」


「君も随分と出世したものだな」


 そう言って、荒井は軽く笑う。

 山崎だけでなく、荒井自身も一時期は満鉄の社員であった。静雄の父である賢太郎(山崎の義父)も、大蔵省主計局長時代に満洲経営委員会(一九〇六年に設置された、満鉄の前身ともいえる組織。ポーツマス条約で日本が手に入れた満洲権益をどう運用していくかを検討するための委員会)の一員として、満鉄が創設される以前から日本の満蒙政策の策定に関わっていた。

 荒井家は、義理の息子である山崎元幹も含めて、満洲の地に関わりの深い一族であると言えた。


「しかしまあ、関東軍からの突然の呼び出し。近頃の情勢を考えると、何となくきな臭いものを感じざるを得んな」


「はい、私も少し不穏なものを感じています」


「どうやら、十年ごとにこの地は動乱に巻き込まれる宿命にあるのかもしれんな」


 荒井の何気ない言葉は、山崎にはやけに意味深なものに聞こえた。

 一九〇四年の日露戦争、一九一一年の辛亥革命、一九一八年のシベリア出兵、一九二七年の張作霖爆殺事件、一九三一年の満洲事変。

 およそ十年間隔で、満蒙の地は大きな動乱や変革に見舞われている。

 そして、今は一九四三年。

 何やら因縁めいたものを、山崎は感じざるを得なかった。


「まあ、あまり我々が思い悩んだところで、国際情勢を動かせるわけでもない。山崎くんは山崎くんで、満鉄副総裁として出来ることをやりたまえ」


「そうですね」


 満鉄が国際情勢に関われる範囲など、所詮は狭いものでしかないことを、山崎は満鉄社員としての経験からよく判っていた。そして、だからこそのもどかしさや日本政府や軍部への不満というものもある。


「よし。辛気くさい話はここまでにして、今夜は呑んで旅の疲れを癒そうじゃないか」


 荒井は明るい声に切り替えて、そう言った。

 車が、とある料亭の前に停車する。車を降りた山崎と荒井はのれんをくぐり、店の中へと入っていった。

 満洲国の日系官吏などで賑わっている料亭。

 少なくとも、新京の人々は日常を謳歌しているようであった。だが、山崎はそうした日常がある日突然、変わってしまうことを何度も経験していた。

 張作霖爆殺事件、張学良の易幟えきし、満洲事変。

 だから彼は、この日常がこれからも続いていくことに、どうしても懐疑的にならざるを得なかった。

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