第4話
翌日、俺は警察から連絡を受けて、北警察署へと足を運んだ。昨日の年配の刑事が、また向かい合って座った。
「中西のこと、許してやったか?」
と、笑みを浮かべて聞いてくる。
「拉致、監禁のことですか?だから、それは違うって昨日から言ってるじゃないですか。中西さんのこと逮捕とかしたら、俺、訴えますよ」
年配の刑事が、はははっ、と声を上げて笑った。
「あれは、芝居だよ。君を家に連れ戻すように、中西に頼まれてアパートに行っただけだ。私情で警察を三人も動かすなんて、勝手な奴だよ、全く。中西には何の容疑もかかってないから、安心しろ」
「…どういうことですか?」
「どうしても、君を守りたかったって言ってたぞ。だから、兄貴が現行犯逮捕になるように、わざわざ仕向けたんだろ。昔っからあいつは他人のことに関して、必死になりすぎるんだ」
そんな。じゃあ、俺は、中西さんの罠にまんまとひっかかって、騙されてたってこと?
「そんな、ひどい。俺がどれだけ中西さんの心配したと思って…」
「まあ、そうムキになるな。中西も、本気で悩んでたんだぞ。俺に相談に来た時の顔ったら、なかったなぁ。いつも冷静な中西が、めずらしく深刻な顔してたからな。本当に中西に大事にされてるんだな」
大事にされてる?俺が…?
「中西さんが、元警察官て本当なんですか?」
「本当だよ。いろいろ事情があって、辞めちまったけどな。頭もキレるし、勘もいいし、警察の柔道大会で毎回優勝するくらい強かったし、才能あったから、もったいないって止めたけど、あいつは変なところで頑固だからな…」
確かに。調理法や味付けとかも、どんなに「変えたら?」って言っても、聞かなかったもんな…。
「あの…辞めた理由を聞いてもいいですか…?」
俺が言うと、北山さんが少し頭を低くして小さな声で話し始めた。
「俺が話したって言うなよ…?昔、中西が同期の奴と二人して、強盗犯を捕まえたことがあってな。そいつが出所してすぐに、その同期の方を襲ったんだ。まあ、逆恨みってやつだ。幸い、五針ほど縫ったケガで、命に別状はなかったけど、やっぱり怖くなったんだろ。同期の方が警察を辞めてな。その時に、中西に言ったんだ。『襲われてケガをしたのが、俺じゃなくて、お前だったら良かったのに』って。かなりショックを受けて、それに責任を感じて、中西も辞めた…って感じだな」
そんなことがあったなんて。俺にはいつも笑顔で接してくれて、暗い顔なんて一度も見せたことなんてなかったのに…。
「もし中西さんが逆の立場だったら、きっと『ケガをしたのが僕で良かった』って言うと思います」
中西さんには、そういう優しさがあるから。
俺が言うと、北山さんも、
「俺もそう思うよ。中西は、そういう奴だ。警察を辞めたせいで、結局、結婚の話もダメになって…。あの時は、本当に見てられなかったよ」
「…中西さん、結婚の予定があったんですか?」
チクリと、胸が痛む。
「ああ。警察の事務の子でな。長く付き合ってたけど、無職になるから、って…。向こうの親にも反対されて、そのまま別れることになって」
「今、その人とは?」
そこが、一番気になるところだった。
「向こうはとっくに別の人と結婚して、ここも辞めたよ。…ずいぶんと話が横に反れたな。本題に入ろうか」
その言葉に、ものすごく安堵している自分がいた。
そして、事情徴収が始まったのだった。
事情徴収が終わって家に帰ると、めずらしく母がいた。
「お帰り。お昼まだでしょ?何か食べたいものある?」
「学校、行かなくていいの?」
いつもは夜も遅く、土日も部活の指導で家にいることなんてほとんどなかったのに、久しぶりに家にいる母の姿に、かなり驚いてしまった。
「今日は休みをもらったの。母さん、これから早く帰らせてもらうように学校に頼んだら、一人、講師の先生が補助で来てくれることになって…」
「そう」
母なりに、いろいろ考えてくれたんだな…と思うと、少し嬉しくなった。
「卯月ね、しばらく入院することになりそうなの。私が追い詰めたのかもしれないわね。教師になれ、なんて強要して。卯月の気持ちなんて考えたことなくて、こんなことになって初めて後悔したけど、もう遅いわよね。大学受験に失敗した時に、もっと向き合ってあげれば良かった。竜樹にまで辛い思いさせてしまって…」
母の声は、必死で涙を堪えていたのか、震えていた。
「母さんだけのせいじゃないよ…」
俺はキッチンの椅子に腰かけた。
「…オムライスでいい?」
「うん。あ、俺も手伝う。母さんに料理を教えてほしくて」
「めずらしいわね」
母さんが、少し笑顔になった。
「中西さんの作ってくれるご飯が、本当に不味くてさ。美味しい料理を作って、食べさせてあげたいんだ」
中西さんの名前を出した瞬間、母さんの顔が一気に曇ったのが分かった。
「…竜樹、そのことなんだけど…」
俺は、夕方の六時半頃に中西さんのアパートに着くように家を出て、途中でコンビニに寄り、缶コーヒーを買った。アパートに着くと、鍵は開いたままで、中西さんが笑顔で迎え入れてくれた。
「中西さんの嘘つき。俺のこと騙して。どんなに心配したと思ってるんだよ」
言いながら部屋に上がると、缶コーヒーをテーブルの上に置き、リビングの床に座った。
「北山さんから聞いたの?あの人、昔っからお喋りだからなぁ…」
「警察を私情で三人も動かすなんて…」
「北山さんには、貸しがあったからね。君が親戚のおじさんだって言ってた、うちの課長、先週逮捕されたよ」
「え!?何で?」
「横領の疑いがあったんだ。あと、男の買春。援交するのに、お金を使い込んでたみたいで」
中西さんの言葉に、一瞬ドキッとし、動揺してしまう。
「その課長と僕が同じ会社だって知った北山さんが、僕に急に連絡してきたかと思ったら、素行を調べて証拠を見つけといてくれ、って。ひどい話だろ?まあ、会社のパソコンを見たら、すぐに証拠は掴めたけどね。帳簿も援交の約束もパソコンのゴミ箱に全部残ってて。削除まですることを忘れてたのか、知らなかったのか…。そのデータを全てメールで北山さんに送ったんだ」
俺の体が硬直した。それじゃ、俺とのやり取りも全部バレてるんじゃ…?動悸がして、胸が急に苦しくなった。
「君とのやり取りは、復元できないように全て削除しておいたよ、松山ケンイチ君。証拠隠滅で、本当はそういうことしちゃダメなんだけど。だいたい、親戚のおじさんと会うのに偽名を使ってる時点で、おかしいな、とは思ってたけどね」
サラリと中西さんが言う。ただ、口調は少し怒っているかのように、きつく感じた。
「そっか。俺もそこまで頭が回んなかったな…。とっくに気付いてたんだね。あの時、どうしても家に帰りたくなくて、お金が欲しかったから…。でも、実際は会えなかったんだから、良くない?」
「良くない!あの日、僕じゃなくて課長が行ってたら、どうするつもりだったんだ!」
やっぱり怒ってる。こんな風に感情的になっている中西さんを俺は初めて見た。
「ごめんなさい」
言いながら俯く俺の手に、中西さんの手が重なった。
「君は、いつも僕に心配をかけてばかりで、本当に放っておけない…」
温かい、手のぬくもり。初めて指先を握ってくれた時も、こんな感覚だった。胸がときめいて、弾けるような感覚。俺は、恥ずかしさで俯いたまま、中西さんに尋ねた。
「中西さんは、俺が卯月から暴力を振るわれていたこと、どうして分かったの?話したことなかったのに」
「どうして…って、初めて会った日に、家に送ったあと電話が来て、傷がひどくなってたから。きっと、家族の誰かなんだろうな、って思ってた」
「そっか…。ずっと知らないふりしてくれてたんだ」
「言いたくなさそうだったからね。でも、結局、強行手段に出てしまったけど。騙すような真似して、本当にごめん」
俺は首を横に振った。
「助けてくれて、ありがとう」
俺が言うと、中西さんが重ねていた手に力を込めて嬉しそうに微笑む。その中西さんの笑顔に、胸がトクンと跳ねた。
「今日、母さんから、しばらく中西さんに会ったらいけないって言われて…。電話やLINEもダメだって言われたんだ。卯月とのことがあってから、成績がものすごく下がってて、受験が終わるまでは、学校が終わってから家に帰って勉強するように、って。母さんが勉強を見てくれるって言うんだ。今まで放っておいた分の時間を取り戻したいから、って」
俺が言うと、中西さんは重ねていた手を離し、
「そっか。分かったよ」
と、返事をした。
あっさりと納得する中西さんに対して、ひどく悲しい気持ちになった。
「中西さんは、寂しくないの?俺は嫌だ。ずっと中西さんと一緒にいたい。離れたくない」
もう、しばらく会えなくなるなら、今日は言いたいことを言おうと覚悟してここに来た。拒否されてもいい。自分の気持ちだけは伝えたかった。
「受験が終われば、会ってもいいんだろ?」
「え…?あ、うん。進路が決まったら、もう、好きにしていいって」
「じゃあ、我慢するよ。竜樹君の進路が決まるまで待ってる」
「でも、半年も先の話だよ?俺は毎日だって会いたいし、ずっと中西さんのそばにいたい」
言いながら、泣いてしまいそうになる…。
「あんまりかわいいこと言うなよ…」
腕を引き寄せられ、ギュッと抱き締められる。中西さんの男らしさが、一瞬だけ垣間見えたような気がした。
「ずっと我慢してきたのに…」
中西さんの優しくて低い声が、耳元に響く。
「…もう我慢しないでよ。俺、中西さんのこと…」
中西さんの背中に手を回す。俺を抱き締める中西さんの腕に力がこもった。
「コーヒー買ってきたんだ。今日は眠らせないように…と思って。それに、俺、十八歳になったから、もう未成年じゃない。だから…」
合図をするかのように、中西さんの背中に回した腕に、力を入れた。
「…確信犯だね…」
抱き締める腕が緩み、向かい合うと、中西さんの右手が俺の頬を包み込んだ。ゆっくりと、唇が重なる。優しくて、甘くて、お互いの想いを確かめ合うような、長いキスだった。それだけで、俺の感情は一気に高ぶった。
「どうしてこんなに君に惹かれるのか分からないよ」
「俺だって…」
どうしてこんなに、中西さんじゃなきゃダメなのか、分からない。好きって気持ちは、これ以上大きくならないと思っていたのに、中西さんと触れ合うだけで、もっともっと、大きく膨らむ。
「好き…。中西さん…」
「竜樹…」
中西さんが眼鏡を取って、机の上に置く。その男前な素顔に思わず見惚れてしまう。
「ちょっ…!」
急にお姫様抱っこをされ、思わず声を上げてしまった。
「ベッドに行こう。大事にしたいんだ」
「…うん」
俺は、中西さんにしがみつき、真っ赤になった。
「こんな華奢な体、壊してしまいそうだ…」
中西さんは、とても丁寧に俺を扱ってくれた。お互いの鼓動が全身に伝わって、好きな人と体を重ねる心地よさが、たまらなく幸せだった。
「初めて会った時、首筋にいくつもキスマークがあったから、恋人がいて、そいつに暴力を振るわれているのかと思ったんだ」
中西さんが、俺を抱き締めながら、耳元で話す。
「竜樹君が、あまりにも綺麗だったから、初対面なのに、何か、それがすごく許せなくて、いろいろ世話をやきたくなってしまって…。だから、電話をもらえた時、本当に嬉しかった。今、こうして竜樹君が僕の腕の中にいることが、信じられないよ」
「うそ…。そんな素振り、全然見せてなかったのに」
俺は嬉しくなって、中西さんの顔を両手で挟み、
「ずっと、俺の片想いかと思ってた」
そう言って、中西さんの唇にキスをした。
「いい大人が、11歳も年下の男の子相手に本気になるなんて、恥ずかしいだろ?」
照れてる。かわいい。
「中西さん、絶対に警察の仕事に向いてると思うよ。中西さんみたいな人がいたら、きっと多くの人が救われると思う。俺みたいに」
俺が言うと、中西さんは困ったように微笑んだ。
「竜樹君は、将来の夢とかあるの?」
「俺、幼稚園の教諭になりたいんだ。何か、高校の授業で実習に行った時に、子供の純粋さや可愛さにハマっちゃって。今は幼児心理学とか発達障害のこととか、専門的に学ぶことも多いし、大変な仕事って分かってるんだけど、諦めきれなくて…」
「そっか。いい夢だね。竜樹君ならきっと子供たちや保護者からも人気が出るよ」
俺は嬉しくなって、中西さんの胸に顔を寄せる。
「…中西さん、俺、もう一回したい」
そして、ねだる。
中西さんが、俺をギュッと抱き締めた。
「竜樹君て、意外と積極的なんだね。寝てる僕にキスしたり、さ…」
驚いて、バッと胸から離れる。
「おっ、起きてたの?」
「寝室の扉が開く音で目が覚めてたんだけど、寝たふりしてた」
「ひどい」
「僕的にはラッキーだったかな。すごく嬉しかった」
言いながら、額に柔らかいキスをされる。
「中西さんには、かなわないなぁ…」
俺はもう一度、快楽を味わうために、中西さんの首に手を回した。
「受験が終わったら連絡するね」
「絶対だよ?」
俺は笑った。
「うん!絶対!」
そして、俺たちは、先ほどよりも激しく愛し合ったのだった。
「荷物、これで全部?忘れ物ない?」
「うん。大丈夫」
「じゃあ、行こうか」
翌朝、中西さんに手伝ってもらいながら、俺の自宅へと向かう。歩いてもそんなに距離はないけれど、荷物のこともあり、中西さんが車を出してくれた。
「そういえば、竜樹君の通ってる高校ってどこなの?」
「中南高校」
「え!?名門校じゃないか!」
中西さんが、かなり驚いた様子で僕を見た。
「ずっと勉強、勉強ばっかりで楽しくないけどね。中西さんといる方がずっと楽しい」
運転する中西さんの左手は、ずっと俺の右手を握ってくれていた。
「志望する大学に入れるといいね」
「うん。頑張る」
どうしよう。もうすぐ家に着いてしまう。
「俺、中西さんに会ってから、毎日が本当に楽しくて幸せで…。なのに、どうして…」
そこまで言って、言葉に詰まる。
「僕もだよ。竜樹君と出会ってから、平凡で同じ時間をただ過ごしていた毎日が、百八十度変わった。すごく幸せで、楽しかった」
車が家の前に止まる。嫌だ。車から降りたくない。そんな俺の気持ちも知らずに、中西さんが、車から降りて、先に荷物を玄関へと運んでくれる。そして、助手席のドアが開く。
「竜樹君」
名前を呼ばれるけど、俯いたまま、顔を上げられずにいた。涙が、一つ、また一つと零れる。
「ほら、泣かない!半年なんて、あっという間だよ」
「でも…」
「今は、学業に専念して、大学に無事合格したら、また一緒に住もう」
中西さんの言葉に驚いて、思わず顔を上げた。
「いいの?」
「竜樹君さえ、嫌じゃなければ、だけどね」
「嫌なワケ…ないじゃん」
嬉しさに、顔が歪み、より涙が溢れた。
「だからさ、寂しいけど、二人で一緒に半年間を乗り越えよう」
そう言いながら、中西さんが笑う。
「うん!合格したら、すぐに中西さんに、直接報告しに行くから」
そして俺たちは、今までにないくらい、強く強く抱き締め合ったのだった。
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