第十四話 真相の輪郭

「え!? それどういうことだよ!?」


 展望台のベンチに並んで座っていた彼が、私の発言にこれ以上ない驚きの反応を見せた。


「言葉通りの意味です。私が被害者の共通点を訊くことを選んだのは、岩尾さんが教えてくれなかった方の犯行の共通点というのにおおよその予想がついたからなんです」


 岩尾が出した二択は犯行における共通点か被害者の共通点、そのどちらを教えてほしいかというものだった。そしてその二択には正解があった。少なくとも私はそう思っている。


「く、詳しく聞かせてくれ」


 彼が驚きからくる動揺を隠せないままその身を乗り出す。私は一度深呼吸し、人差し指を立てて口を開いた。


「考えてみると意外と単純なことなんです。まず第一に、瀬戸瑠海さんの方は殺人事件でしたが、寺嶋満月さんの方は行方不明事件です。もしここに共通する部分があるのだとすれば、その共通項というのは相当絞られてくると思うんです」


 私はあの時辿った思考を蘇らせながら逐次それを言葉にしていく。彼は私の話に食い入るように聞き耳を立てているが、まだピンとくるものはない様子だ。そこで私はクイズのヒントを追加するように二本目の指を立てた。


「第二に、岩尾さんは五十沢さんのプライベートについては根掘り葉掘り訊いてきたのに、犯行に関するようなことはほとんど質問してきませんでした」

「ん? それって単に俺たちが犯行について知っているわけがないと思ったからじゃないのか?」

「それもあるかもしれません。ただ、岩尾さんはたった一つだけ犯行に関わる内容の質問をしていたんです」


 彼の疑問に答えつつ、私はヒントの出し方を変えた。すると彼も私の言わんとしていることに気づいたようで、一段階声のトーンを上げてその答えを口にした。


「幽がいなくなった日付と時間か!」


 私はそれに大きく頷くと、彼の理解にさらに補足を加えていく。


「本来なら岩尾さんはもっと犯行について詳しく訊いてきてもよかったはずなんです。例えば、誘拐されたと思われる場所に心当たりはないかとか、行方不明になる前に五十沢さんのまわりで何か変わったことはなかったか、とかですね。でもそういう質問は何一つされなかった。つまり、それらの情報は岩尾さんにとってあまり重要ではなかったということです」


 今思えば、行方不明になった日時を聞き出した後に岩尾が見せた、まるで私たちとの会話がいつ中断されても一向に構わないというような言動も、この理屈の傍証になるかもしれなかった。あの場ではそこまで考え至らなかったが、仮説をさらに補強するその気づきは、私が最後に口にするその結論に小さな自信を添えてくれる。


「だから私は岩尾さんが言う犯行の共通点というのは時間に関することなんだろうと踏んで、あの時被害者の共通点の方を教えて欲しいと言ったんです」


 最後まで言い終えて、私はふと推理小説を読み漁っていたのも無駄ではなかったのかもしれないなと感じた。小説の中の探偵たちが弄する人間離れした洞察力が、ほんのちょっと気まぐれに私の中に遊びに来てくれたような、そんな妙な感覚があった。


「すっげぇな沙夜。そんなん俺じゃ絶対気づけなかったわ。ってか今回は沙夜に助けられっぱなしだったな……。俺一人じゃ頭に血が上って何も聞き出せなかっただろうし」


 彼の激情はいささか仕方がないものではあったが、彼が拳を振り上げたときは流石の私も肝を冷やした。しかしそのことで彼を責めるつもりは毛頭ない。悪いのはどう考えたって岩尾の方だ。


「それに『幽が恨まれるようなことをするわけがない』って言ってくれたの、すげー嬉しかった。マジでありがとう」


 そう言うと、彼は私に対して頭を下げた。初めて彼から向けられた感謝の意に、私は一瞬の驚きと喜びを覚える。しかし、次の瞬間生じた卑しい思念が私の視線を彼から逸らさせてしまった。


 感謝されることは間違いなく嬉しいことだった。だが、彼がその言葉に込めた思いは、きっと〝私〟に対してよりも五十沢幽に対しての比重が大きい。それがどうしても胸につっかえてしまって素直に喜べない〝私〟がいる。あまりに醜い葛藤だ。


「あぁごめん、話逸れちゃったな。時間的な共通点があるって話だったっけ」


 私の沈黙をどうとらえたのか、彼が顔を上げて話を本筋に戻そうとしたので、私もそれに乗っかるようにして余計な考えを振り払おうと努める。〝私〟個人の問題は今考えるべきことではないと自分を律し、推理に思考を集中させた。


「はい。でもわかったのはそこまでで、具体的にどんな共通点があるのかと言われると答えられないんですよね……」

「えっと、たしか寺嶋満月は去年の十二月下旬に行方不明になってて……瀬戸瑠海は二年前の一月上旬に殺されたんだっけ?」

「いえ、瀬戸さんの事件は発見されたのが二年前の一月で、実際に犯人が犯行に及んだのはもう少し前のはずです。瀬戸さんは三年前の十二月にはすでに行方がわからなくなっていたようなので、殺されたのもその時期だったという可能性があります」

「え、じゃぁ十二月っていうのが共通点ってことか?」


 彼の出した最も単純な帰結には既に私も辿り着いていた。確かに瀬戸瑠海の事件と寺嶋満月の事件の二つに限局すれば、そこになぜ十二月を選ぶ必要があるのかという大問題があるにせよ、その共通項を無視することはできないだろう。だが、そうではないのではないかという直感が私の中にはあった。


「それだけではないような気がします。あの時の岩尾さんの反応は五十沢さんの事件にも同じ共通点を見つけたような感じでした。だからその……もっと核心を突いた何かがある気がするんです」


 五十沢幽が行方不明になった日時を聞き出した後に岩尾が見せた言動が私はどうにもひっかかっていた。あの時岩尾が口にした「ほぉ」という一言は、明らかに何かを掴んだような反応だったし、その直後には手帳に何かを書き足してもいる。そこに何の理由もないということはないはずだ。


「そういやあの時岩尾のやつ学校祭のこと急に持ち出してきたよな。最初は俺も脅しなんだろうなと思ってたけど違ったみたいだし、あれって結局何だったんだ?」


 彼の言うように、岩尾はあの時スマホを見て今日私たちの学校で学校祭があることを突き止めたようだった。しかし、私が脅しに屈しない姿勢を見せようとしたときに岩尾が示したあの素っ気ない反応は、脅しのネタを探していたわけではないということを明確に示唆している。とすれば、岩尾はあの時学校祭があるという情報をあくまでついでに入手したに過ぎなかったのではないだろうか。そしてそんな情報をついでに入手できる検索ワードなど、一つに絞られるといっても過言ではない。


「岩尾さんは東高について調べていた……?」


 おそらく岩尾は五十沢幽が通っていた東高について調べていたのだろう。そしてそのときに偶然、今日東高で学校祭があることを知ったんだと考えればあの時の岩尾の言動にも合点がいった。


「時間的な共通点っていうのは学校に関係したことなのかも……?」


 もし岩尾が学校について調べていたという推測が正しいのであれば、時間的な共通点というのは学校に関することである可能性が非常に高い。しかし、そうなると大きな問題がここで首をもたげてくる。


「つってもなぁ……幽が襲われたのは夏だろ? 時期が違い過ぎないか?」


 彼の指摘するように、五十沢幽の事件と他二件の事件は時期的に離れすぎていた。片や夏、片や冬。学校に関することでこの二つの時期に共通する何かがあるとはとても思えなかった。


「模試みたいに定期的に開催される行事が関係しているとか、ですかね……」


 とはいっても、五十沢幽が襲われた七月二十日の東高は午前授業ということ以外には何も特別なことはなかったはずだ。加えて、午前授業であることを犯人が決行日にする理由が何一つない。寧ろ、帰宅が遅くなる日を選んだ方が好都合なはずだった。


 混迷していく思考の中、届きそうで届かない答えに対するもどかしさが徐々に私を焦らせていく。そもそも岩尾が一連の犯行に時間的な共通点を見出しているという私の仮説が間違っているのではないだろうか。たまたま揃ってしまった条件を私が都合のいいように解釈しただけではないのか。そんな疑心暗鬼に苛まれ始めていた時、彼のその言葉が私の迷いを吹き飛ばした。


「あ。もしかしてこれ、全部長期休暇の前なんじゃね?」


 まさに青天の霹靂だった。彼のその一言は完全に凝り固まっていた私の思考を一気に透徹とさせていく。


「幽の時はまさに夏休みの前日だったし、十二月下旬つったら冬休みに入る頃だろ?」


 犯人にとって夏休みや冬休みといった区別はほとんど意味をなさないだろう。であれば、彼の言うように長期休暇という括りで捉えたほうが自然だ。そう考えた時、三つの事件を包摂する大きな影が姿を現し始めた。


「きっとそれです」


 数学において二点の座標を通る関数は無数に考えられる。しかし与えられる座標が三点となると、複雑なものを除けばそれらを通る関数はある程度限られてくるようになる。少なくとも、その概形は予想ができるようになるものだ。


 瀬戸瑠海の殺人事件、寺嶋満月の行方不明事件、そしてそこに加えられた五十沢幽の殺人事件。私にはこれらの点を繋ぐ線がだんだんと見え始めていた。


 私は自分の体がいつの間にか震えていることに気がついた。その震えは今まで断片的に集めてきた情報が一つに収斂されることで見えてきた恐ろしい現実に対する恐怖から来るものだった。


「犯人は家庭環境の悪い生徒を選んで長期休暇直前に犯行に及んだ。そうすれば事件の発覚を遅らせることができて、証拠隠滅までの時間が稼げると踏んで――」


 全く無関係に見えた三つの事件に共通する犯人の行動パターン。その悪質な手口は私の想像する用意周到な犯人像とも見事に合致していた。


「おいおい、じゃぁまさかこれって――」


 連続殺人事件。


 その恐ろしい帰趨に私たちが辿り着いたとき、森の中を一陣の風が吹き抜け、木々たちをざわつかせた。



 

 次の日の朝、私は寝返りをうったときに体に感じた違和感で目が覚めた。枕もとのスマホを手探りで掴み、その画面を目の前にかざして時間を確認する。時刻はすでに九時近かった。


 とりあえず顔でも洗おうと思って体を起こした瞬間、脚裏の筋肉に痺れるような痛みが走り、思わず呻き声が漏れる。目覚めるときに感じた違和感の正体は紛れもなく筋肉痛だった。


 今日は学校祭二日目だが、慣れないことしかしなかった昨日の疲労がまだ残っているので、今更遅刻してまで行こうとは思えなかった。学校祭を一日休むのも二日休むのもそんなに大差はないだろうと都合のいい理屈をこねて、それに甘んじる。


 窓からリビングに差し込む朝日の前で私は大きく伸びをした。振り返ると、ダイニングテーブルの上に朝食が用意されているのが目に入る。土曜日以外母の朝は早いので、明日の振り替え休日も特に怪しまれることなく家にいることができそうだなと私は冴えない頭でぼんやりと考えた。


 ご飯に味噌汁、それに納豆と魚の缶詰というザ・日本の朝ごはんを食べ終えると、特にやることのない空白の時間が訪れる。すると、朝食を栄養へと還元しようとする消化器官の働きとは反対に、私の頭の中で消化不良を起こしていた思考がだんだんとその存在感を増していった。


 五十沢幽の事件が二年前から始まった連続殺人の新たな被害者だったという推理は、客観的に見ればあくまで「その可能性がある」という以上のもではなく、決定打に欠けているということは自覚していた。だから現状では一連の事件について警察に動いてもらうことはおろか、この件を世間の衆目の的にすることも不可能だと言わざるを得ない。そもそも、五十沢幽は行方不明になったのではなく殺人事件に巻き込まれたのだという事実も、未だに〝私〟の特異な運命によってのみ説明され得るという状況に変化がないのだからなおさらだ。


 しかしそう客観視する一方で、〝私〟の個人的な感触はそれほど悪いものではなかった。ここ数年の間に不幸な事情を抱えた女子生徒が同地域で三人も殺害ないしは行方不明になっているという事実、そしてそれらが全て学校の長期休暇前を狙って行われたものであるという可能性は、偶然の一致とだと無視できるようなものではない。〝私〟には犯人のその異常な計画性と殺害方法に見られる残虐性が一連の事件に一貫しているような気がしてならなかった。


 もっとも、他に手掛かりがないという事実がこの仮説への執着を助長している節はある。何かしらよすがを見つけないと以前のように無力感に襲われるような気がして、藁にも縋る思いでそれにしがみついているというのもあながち間違いではないだろう。それでも立ち止まって倒れるよりは、ほんの少しの可能性でも追いかけ続けていられる方がずっと気が楽だった。


「でも、これからどうすればいいんだろ?」


 私は机の上に残された母のメモを手で弄りながら独りごちる。すると、メモ用紙が私の手から逃れてひらひらとした軌跡を描きながら床に落ちた。それを拾い上げようとして、私はそのメモの内容が変わっていることに気づかされる。


――この裏面のメッセージに気づいたら台所の棚に隠してあるお菓子を食べてヨシ!


 私は母の茶目っ気に思わず苦笑した。メモを拾い上げ、それをゴミ箱に捨てるついでに私は台所の棚を探る。すると、棚の奥にレジ袋が置いてあるのが見つかったのでそれを取り出して中を見ると、そこには値引きシールが貼られたお菓子がたくさん入っていた。


「お母さん、またバイト先の売れ残り貰ってきたんだ」


 母に感謝しつつ、私はその中からアーモンドチョコが五粒ほど入った個包装を一つ取り出してリビングへと戻った。包装の端に設けられた切り欠きから袋を開け、中に入っている楕円形の茶色の粒を一つ口に放り込む。


「あまっ」


 カカオの苦みを圧倒する糖の甘味に舌鼓を打ちながら、私はその糖分を余すことなく活用してやろうと再び事件のことに思索を巡らせた。


 第一に、犯人が意図的に家庭環境の悪い人間を選定して犯行に及んでいるのだとして、犯人は一体どのようにして被害者の家庭事情を知ったのだろうか。


 それを知ることができる立場として真っ先に思いつくのは学校の教員だ。特にクラス担任などであれば、三者面談などで親と関わる機会もあるだろうし、ターゲットの選定にはもってこいだろう。しかし一連の事件は全て違う学校の生徒が被害者となっており、しかもその違いというのも中学校と高校という転勤では説明のつかないものも含んでいたので、この可能性は即座に否定された。


 しかし他の可能性を探るにしても、同様の理屈が重くのしかかってくる。寺嶋満月と五十沢幽は一応市内の高校に通う生徒として無理矢理括ることもできなくはないが、瀬戸瑠海の事件は隣の市の、しかも中学校で起きたことだ。あまりに接点がなさすぎる。中学生から高校生まで幅広い生徒の家庭事情を知ることができる人間なんて本当にいるのだろうか。


 いや、ここはもう少し問題を単純化すべきだろう。寺嶋満月と五十沢幽の事件の間は半年強の期間しか開いていないが、寺嶋満月と瀬戸瑠海の事件の間はまる二年もの期間が開いている。この二年という空白期間の間に犯人が異なる手法でターゲットを探し始めたという可能性も十分にあるはずだ。であれば、瀬戸瑠海の事件は一旦除外して考えてみてもいいかもしれない。そう考えなおして再び思索に耽る。


 しかし市内の高校生という共通点に絞って考えてみても、違う学校に在籍する生徒の家庭事情を細部まで知れるような都合のいい立場は何も思いつかなかった。


 私は難題に頭を抱えつつ、気晴らしにアーモンドチョコをさらに一つ頬張った。考えてもわからないようなことは一旦横に置いておき、ここはもっと違うアプローチを試していくべきなのかもしれない。


 例えば、三件の事件が全て同一犯による犯行だという仮定にたった場合、今年起きた事件と二年前の事件に大きな差異があることは一考の余地がある部分だろう。


 二年前の瀬戸瑠海の事件では犯人は凶行を隠すどころか、六年前の事件を彷彿とさせるような形で遺体を屋外に放置していた。しかし仮に寺嶋満月も同じ犯人の凶刃にかかっていたとする場合、その後の寺嶋満月と五十沢幽の二件の犯行では、殺害したことが公にならない配慮がなされていることになる。犯人が殺害の事実を隠すようになったのは何故なのだろうか。


 無論、瀬戸瑠海の事件が発覚した後、警察が動き出したために犯人が慎重にならざるを得なかったという事情はあっただろう。しかし寺嶋満月も同一犯の被害者であるのだとすれば、あまりに次の被害者である五十沢幽に手を下すまでの期間が短すぎやしないだろうか。それほど凶行に飢えている犯人が、二年もの間なりを潜めているなんてことがあるだろうか。


 もしかすると瀬戸瑠海の事件から寺嶋満月の事件までの二年間の間に、犯人がそうしなければならないような何らかの事情の変化があったのかもしれない。ひょっとすると立て続けに犯行に及ぶことができるような何らかの準備が整ってしまったという可能性もある。


 私はポケットからスマホを取り出して写真アプリを起動する。そしてアルバムと呼ぶにはいささか物騒すぎる内容の共有アルバムを開き、その中に納まっている地方紙の写真の中から空白の二年間――つまり、三年前の十二月下旬から去年の同時期までに発行された記事の写真をひとつずつ確認していった。


「あ」


 ほどなくして私はある記事に突き当たった。それは既に一度目を通していた記事だったが、そのときは全く眼中になかったある単語が目に飛び込んできたことに、私は刹那の硬直を余儀なくされる。


 瀬戸瑠海の遺体発見から二ヵ月後。〈虐待及びいじめ対策基本方針策定 殺人事件が関係か〉と題された記事の末尾にある一文。そこには私が最初に提起した問いに対する回答が記されていた。


――同地域のすべての学校にを常駐させることを条例に盛り込むことなどが検討される見通しです。


 私はアルバムの中にある記事に目を通す速度を一気に上げた。この記事の通りの条例改正が行われたかどうかをすぐに確認したかったからだ。


 しかし、殺人事件や行方不明事件についての記述があった記事ばかり収めていたアルバムの中には、その後の動向について詳しく書かれた記事を見つけることはできなかった。


 私はアルバムを閉じ、代わりにブラウザアプリを起動させる。地方自治体の例規集データベースを利用し、市の条例について検索をかける。すると、ある一つの条例がヒットした。


「虐待及びいじめから子どもを守る条例……制定は去年の二月――!」


 それはちょうど犯人の空白の二年間に位置しており、〈虐待及びいじめ対策基本方針〉が策定されてからおよそ一年後の出来事だった。しかもその条例の中には、市が直接カウンセラーを雇ったり、民間機関の協力を得たりしながら、学校にカウンセラーを常駐させる体制を整えるということが確かに盛り込まれていた。


 私は市が具体的にどのようにこれに取り組んでいるかを調べるため、市のホームページに飛んだ。カウンセラーの募集要項や、予算案などを記したPDFのダウンロードリンクが並ぶ中、私は〈カウンセラー運用に関するNPO法人IKOIへの業務委託について〉というファイルをダウンロードする。その内容によると、IKOIは六年前に発足したカウンセラーを含む百人弱で構成される非営利組織で、いじめや虐待、家庭内暴力やDVなどの相談を受け、問題の解決と被害者のストレス緩和を目的として活動しているとされていた。


 以上の動向をまとめると、つまりこういうことになる。瀬戸瑠海の事件を受けて〈家庭内暴力及びいじめ対策基本方針〉が策定され、市はそれに則って〈虐待及びいじめから子どもを守る条例〉を制定した。そして、その内容の実現のために多数のカウンセラーを抱えるIKOIに白羽の矢を立てたのだ。


 私はより詳しい情報を得るためにIKOIのホームページにアクセスする。すると、パステル調の淡い色味でデザインされたサイトが表示され、そこに描かれた手を繋ぐイラストに見覚えがあることに私は驚かされた。それは夏休み直前に配られる大量の配布物の中に紛れ込んでいた小さなカードに描かれていたイラストと同じだった。


 業務内容一覧を開くと、市からの業務委託についてというリンクが見つかったので私はすかさずそれを開いた。それによると、カウンセラー業務の取りまとめと運営はIKOIに一任されているらしく、市のカウンセラーも基本的にはIKOIの下に入る形で業務をすることになっていた。そして肝心の各学校に配置されるカウンセラーというのは定期的に入れ替えがされているらしく、何かしらの相談があった場合にのみ継続した対応ができるよう配属先が変わらないシステムになっているらしかった。


 これを知った私の頭の中にとんでもないアイデアが舞い降りた。もしこのカウンセラーの中に犯人がいたとしたら、学校をまたいで生徒の個人情報を聞き出すことができるかもしれない――と。それはあまりにもおぞましいことだが、現状では唯一妥当性のある回答であることも確かだった。


 私はサイトのカウンセラー一覧のページへ飛んでそれに目を通してみたが、どの顔を見ても特段ピンとくるものはなかった。もっとも、〝私〟は犯人の顔を見ていないので、ピンとくる方がおかしな話ではあるのだが。


 しかし、これで容疑者が絞られたかというとそういう訳でもなかった。仮にこの中に犯人がいたとしても、四十人以上いるカウンセラーの中から犯人を特定するのは相当困難なことだろう。


「こっからどうやって容疑者を絞っていけばいいの……?」


 私は深いため息をつき、頭に手を当てた。それから気まぐれにサイトのリンクから〈沿革〉を選んでタップする。特別意味もない行為だったが、そこにはある意外な事実が記されていた。


――私たちIKOIは以前市内で起きた残虐な殺人事件において、不幸にも遺体の第一発見者となってしまった子供たちのメンタルケアのために集まったカウンセラーで立ち上げた非営利組織です。


 IKOIが六年前に設立していることを考えると、その事件というのは小学生がその親によってバラバラにされ、学校の花壇に植えられていたというあの衝撃的な事件のことで間違いないだろう。であれば、組織発足から四年後にその事件の模倣とも思われるような瀬戸瑠海の殺害事件が起きてしまったのは、立ち上げメンバーたちにとってはとてもショックな出来事だったに違いない。


 そして、もし私の想像通りIKOIの中に獅子身中の虫がいるのだとしたら、それはとんでもなく皮肉な話だった。子どもを助けるために設立した組織が、犯人の恰好の餌場になってしまうなど、誰も想像したくはないだろう。


 しかし現状ではこのIKOIのカウンセラー以上に犯人にとって都合のいい立場は考えつかない。善意で設立された組織を疑うのは非常に申し訳ないのだが、私は今後の捜査の対象をIKOIに定めることに決め、彼にそれを伝えるべくスマホを手に取った。

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