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序章 再会

序章1 臨時ニュース

 令和五年九月二十日 午前七時半。

 都内にあるテレビ局「ワンダーTV」の朝の情報番組『オキドキ!』のアシスタントとして出演していたアナウンサー・住吉潮香すみよししおかは、メインキャスターでタレントの小野寺友之おのでらともゆきとともに順調に進行を進めていた。

 今日は韓国の人気ダンスボーカルグループ「B・A・D」が来日公演のPRのためスタジオにやってきたこともあり、番組はいつも以上に盛り上がりを見せていた。潮香も「B・A・D」のファンであり、メンバーに実際にインタビューしたり、握手を交わしたりするうちに気分が高揚し、嬉しさのあまり思わず涙が溢れ出てしまった。

 メンバーがスタジオを去り、番組がCM入りした後も、潮香はしばらくその余韻に浸っていた。


「どうした、涙で目が真っ赤だぞ、潮香ちゃん。そのままにしておくと、CM明けに視聴者に心配されちゃうぞ」


 小野寺はジャケットからハンカチを取り出すと、潮香の目から頬の辺りをそっと拭った。


「す、すみません。でも、本当にすっごく嬉しくて。握手した手の感触が今もじんわりと残ってるんですよ」

「アハハハ、そういえば大ファンだって言ってたもんね。こんな体験、なかなか出来ないだろ? アナウンサーになって本当に良かったね、潮香ちゃん」

「はい! ここまで辛いことばかりで、一時は辞めることを真剣に考えたこともありましたが、今日はアナウンサーになって本当に良かったと実感しました」


 潮香は清々しい顔で、小野寺の問いかけに大きく頷いた。

 今日の番組は、残すところニュースと天気予報だけである。潮香は収録を終えて自宅に帰ったら、「B・A・D」の曲を聴きながら余韻にどっぷり浸ろうと画策していた。

 その時、スタジオの袖ではスタッフが何やらざわつき始めていた。どうやら報道部のスタッフが臨時ニュースの原稿を持ってきたようだ。

 CM明け直前、スタッフが慌てた様子で潮香の元へ駆け寄り、テーブルの上に数枚の原稿用紙を置いた。


「急ですみません。臨時ニュースが入っちゃいました。取り急ぎ、この原稿を読んで頂けますか?」


 息を切らしながら話すスタッフを前に、潮香はとまどいつつも「わかりました」とだけ言い、原稿に目を通した。


「え……?」


 潮香は思わず声を上げてしまった。

 その時、ディレクターからの「キュー!」の声が上がった。潮香は原稿を読み返し、スタッフに内容を確認する時間もないまま、渡された原稿を読み上げるしかなかった。


「まずは今入ったニュースをお伝えします。気象庁は先ほど、発達した秋雨前線の影響で東北地方に線状降水帯が発生したと発表しました。東北地方では一時間あたり五十ミリ、場所によっては百ミリ近い猛烈な雨が長時間降り続いております」


 潮香はここまではいつものように淡々と原稿を読み上げていた。しかし、その次の文に差し掛かったと同時に、原稿を持つ手が震えだした。


「アメダスによると……常山じょうざん市で、一時間七十五ミリの雨が降り……市内を流れる井水いみず川が氾濫したとの情報が……入っております」


 潮香はこみあげる感情を押さえながら、何とか原稿の全文を読み切った。しかし、読み終えた後、原稿を持っていた手のひらはじわりと汗ばみ、顔は上気していた。

 小野寺は心配そうに、潮香の様子を横目で見続けていた。

 すると、スタジオの袖からディレクターが「今日は時間が押してるので、次は天気コーナー!」と書いたボードを高々と掲げ、それを見た天気キャスターの相沢あいざわまどかが、いつものようににこやかな表情で天気実況を始めた。

 カメラがまどかを向いている間、小野寺は「どうしたの?」と、潮香の背中を両手で支えながら小声で問いかけた。


「な、何でも……ないです。多分、さっきの握手で、まだ気分がハイになってるのかもしれません」

「そうか……今日は、いつも冷静な潮香ちゃんらしくないな」


 すると、ディレクターは二人が小声でやり取りをしてるのが目についたらしく、睨みつけながら「これからエンディングだぞ!」と書いたボードを高く掲げた。


「あ、ご、ごめんなさい」


 小野寺は慌てて自分の立ち位置に戻った。潮香もようやく我に返り、何度もハンカチで顔や手を拭った後、大きく深呼吸して小野寺の隣に立った。


「さ、番組のエンディングです。さきほど、線状降水帯のニュースが入りましたが、こちらについては詳しい情報が入り次第、改めてお伝えします。住吉さん、今も興奮してますね。今日は眠れないんじゃないですか?」

「アハハハ、そうかもしれませんね。今日は家に帰ってからじっくり余韻に浸るつもりです」

「きっと一生の思い出になりますよね。それでは、また明日もこの時間にお目にかかりましょう!」


 二人はカメラに向かってにこやかに手を振った。しばらくするとBGMが止まり、

 ディレクターからの「お疲れさまでした!」という甲高い声がスタジオ中に響き渡った。その声を聞いた時、潮香は安堵とともに、焦りが沸々とこみ上げてきた。


「大丈夫か、住吉さん」


 小野寺が潮香の元に駆け寄った。


「途中から原稿を読む時の歯切れが悪かったし、何だか考え込んでるように見えたけど、本当に『B・A・D』に会って握手したことが原因なのか?」


 潮香は小野寺に心配をかけないよう沈黙を続けていたが、心配そうな顔でずっと自分を見つめ続ける小野寺の気持ちにほだされ、ようやく口を開いた。


「だって、線状降水帯の影響で川が氾濫した常山市って……私の実家のある町だから」

「え? 本当に?」

「はい。ちなみに氾濫した井水川の堤防を、昔自転車で良く走っていました」

「そうだったのか……」


 小野寺は視線を落としながら「ご両親に連絡を取った方がいいぞ」とだけ言うと、マネージャーと共にスタジオの袖に消えていった。


 スタジオ内のセット撤去を行うスタッフたちが行き交う中、潮香は自分が読んだ原稿を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしていた。

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