36話 勇者の替え玉として

 それから数日が経つ。

 絶え間なく戦闘が行われていた戦場は静かなもので、どちらの陣営もわずかな休息を楽しんでいる。

 六魔将が撃退されたこと。勇者が現われたこと。そういった要素が重なったからだろう。


 アリーヌはどこかへ一人で行ってしまい、マーシーは許してくれたラフマに連れて行かれ、クルトは詰め寄って来たレンカから逃げるため姿を消した。

 この場には、ローランとエリオットだけがいる。


 2人の前に、檻を載せた馬車が到着し、その中へとルウが入る。彼はこれから王都へ連れ戻され、そこで罪を問われるのだ。

 まだ絶対とは言えないが、命だけは救えたであろう弟に、ローランは言う。


「魔法の才がある。努力し、鍛えよ」


 先日の戦いで、ルウに足りなかったのは努力と経験、発想力などになる。もし、そういったものを少しでも補えていれば、ローランたちは成すすべなく負けていたであろうほどに、両者に差は開いていた。


 だから、もう二度と日の目は見られなかったとしても、そのことが支えになればとローランは考えていた。


 俯いていたルウが顔を上げる。だがなにかを言うわけではなく、ただ頷いた。

 ルウを移送する一団の1人に、ローランは軽い口調で言う。


「二度とこいつのために命を賭けるつもりはない。もし妙な行動を取ったら、すぐに首を刎ねてください」


 首まで差し出そうとしていたにも関わらず、あまりに容赦ない物言い。

 相手は唖然としていたが、1度目が与えられたこと事態があり得ないと分かっていたルウは、小さく笑っていた。


 ゆっくりと馬車が動き出す。

 それに合わせ、兄弟は短い別れの言葉を口にした。


「さらばだ、弟よ」

「さようなら、兄上」


 ローランは背を向け、ルウも目を瞑る。二度と会えぬだろうと、両者共に理解していた。



 その場を少し離れたところで、共に見送ってくれたエリオットが口を開く。


「なぜ助けたいと? 家族だからだ、と言われればそれまでなんですけどね」


 エリオットの問いに、ローランは答える。


「エリオット様の替え玉として旅立ち」

「敬語はやめてくれるかい? エリオットでいいからさ」

「……エリオットの替え玉として旅立ってから、色々と学ぶことが多かった。例えば今回の件に関しては、マーシーとの出会いが大きい。年長者として導かねばならなかった」


 自分より年下の守るべき存在。ローランは、そういった相手と正しく向き合ったからこそ、できる限りのことをするべきだと考え直せるようになっていた。

 それでも、もっと早く親身になっていれば、などという過去の話に意味は無い。今、ローランにできることは、もうなかった。


 話を聞いたエリオットは納得した様子で頷く。

 気づけば砦の中へ入っており、防壁の上で2人は足を止める。先には、誰も争っていない戦場が見えていた。

 見張りの兵は気を遣ったのだろう。話が聞こえない程度に離れていく。


 静寂の中、心地よい風を楽しんでいると、エリオットが手を差し出した。


「ローラン・ル・クローゼー。僕の仲間になってくれ」


 この提案に、ローランはただ驚く。勇者が仲間にすべき相手には、その印が現われる。例えば、アリーヌの手の痣のようにだ。

 ローランには、胸に刻まれた偽の聖痕しかない。神はローランを、勇者の仲間として選んでいなかった。


「悪いが……」

「僕には君が必要だ」

「俺には痣も……」

「そんなことはどうでもいい。僕は神よりも、自身の心を信じている」


 神に選ばれし勇者とは思えない発言に、ローランは目を瞬かせる。

 それからも色々言い訳を繕ったが受け入れてもらえない。エリオットという青年は、自分の心を信じ、要求を通そうとする我の強さがあった。


 埒が明かないことに気づいたのだろう。

 ローランは、正直に打ち明けることにした。


「旅をして分かったが、俺に勇者の仲間は荷が重すぎる。勇者の荷を少しでも軽くするのが、俺にはちょうどいいのさ」

「ローランが仲間になってくれれば、僕の荷はもっと軽くなるよ」

「……それに正直なところだが、この替え玉という役割が存外気に入っている。手放すのが惜しいと思うほどにな」


 心の底からそう思っていると、笑顔を浮かべながら伝えて来たローランを見て、さすがのエリオットも諦めたようだ。それ以上は仲間になれと要求して来なかった。


「ところで、アリーヌさんのことだけど」

「痣のことなら気づいている」


 長期間、隠し通せるものではない。当の昔にローランも気づいている。それを問い質さなかったのは、彼女が隠したいと思っていたからだ。

 アリーヌ・アルヌールは勇者エリオットと旅をするべきである。それが神の意思であり、正しい選択なのだから。


 しかし、ローランはふと笑った。


「悪いが、アリーヌは渡せない。彼女は、俺の仲間だ」

「なるほど、分かった」


 あっさりとエリオットは身を引く。そう答えるであろうことを察したかのような、物分かりの速さであった。

 逆に、こうなってしまえばローランのほうが居心地は悪い。

 伝えるつもりはなかったのだが、なぜ渡せないかをエリオットにだけ話すことにした。


「これは内緒にしてもらいたいのだが」

「うん、約束するよ」


 1度、ローランは深呼吸をする。

 気持ちを落ち着かせた後、その思いを告げた。


「負けたままではいられない。そういう性分でね」


 勝つまで誰にも話すつもりがなかったことを、ただ申し訳なさから打ち明ける。

 ローランは渋い顔をしていたが、エリオットは目を輝かせていた。


「なぜ勝ちたいんだい? そこには理由があるんじゃないかな?」

「ただの意地だ。他には何もない」

「なるほどね。そういうことにしておこうか」


 含みある言い方をされ、ローランは眉根を寄せる。

 しかし、問い質せばより厄介なことになる予感があり、口を噤んだ。


 アリーヌから、努力することを、ひた向きに進むことを学んだ。

 マーシーから、誰かを守りたいと思うことの大切さを学んだ。

 クルトから、その身を犠牲にしてでもやり遂げたいという意思の強さを学んだ。

 他の人たちからも、様々なことを学んだ。

 今のローランは、そういった出会いで成長をした。


 エリオットを正面から見て、ローランは言う。


「ありがとう、エリオット。君のお陰で、俺はこの世界で正しく生きている」


 初めて見せる、年相応な無邪気な笑顔。

 敷かれたレールを進む人生とは違い、自分の足で立っているという実感。

 勇者の替え玉という役割への感謝を、ローランは伝えたかった。


「礼を言うのは――」

「えええええええええええええええええ! ローラン! 今、すっごい笑顔見せてたよね!?」


 声の先にはアリーヌの姿。さらに後方へは、マーシーとラフマ、レンカの姿もあった。

 ローランは普段通りの表情へ戻り、淡々と答える。


「見間違いだ」

「おにいさん! とってもいい笑顔してたよね!?」

「まぁ、たまにはな」

「どうしていつもマーシーには認めるのに、わたしには認めないかな!」


 不服そうなアリーヌを無視し、ローランはマーシーへと手を差し出した。


「旅を続けたい。一緒に来てくれないか?」

「もちろん!」


 マーシーは笑顔でその手を握り返す。

 次はわたしかな? という顔をしているアリーヌに、ローランは腕を組みながら言う。


「痣のことは気づいているぞ」

「えっ!? いや、それは、別に……ねぇ?」

「今後、つまらない隠し事はやめてくれ。旅をしていく上で、問題は減らしていきたいからな」

「ご、ごめん。……あれ? それってつまり?」


 期待した目を向けて来るアリーヌへ、ローランは胸の中で舌打ちする。

 しかし、どうせなら期待に応えてやるかと悪戯心が沸き上がり、仰々しく片膝を着いた。


「アリーヌ・アルヌール」

「こ、これってもしかして? 一生に一度の?」

「俺には君が必要だ」

「は――」

「一緒に来てほしい。仲間として、なによりも友として」

「――い?」


 肩透かしを食らったのだろう。アリーヌはいじけた様子を見せる。

 だがローランは満足した様子で、階段近くから後頭部だけを見せている男に手を上げた。


「これからも頼む」


 酒瓶を上げて応えたクルトは、レンカが目を向けた瞬間逃げ出した。エルフの長であるときはそれに相応しき態度を取っていたが、生来はこういう性格なのだろう。

 それをローランが少し面白く思っていると、エリオットが聞いた。


「これからどこへ?」

「それを決めるのは俺じゃない。俺が進む先は、常に君の目指す場所だ」


 今までと変わらない。全ての問題を解決し、道を切り開くようなことはできない。

 ただ勇者一行が最悪の結果を選ばなくて済むように、少しだけ切っ掛けを作り、間に合わず救えなかったかもしれない人を救えるようにする旅路だ。


 エリオットは東を指さす。

 ならばそこだと、ローランは歩き始めた。

 アリーヌとマーシーが続く。隠れながら、クルトも着いて来ているだろう。

 

 ローランたちはゆっくりと、だが着実に進んでいく。

 4つの大陸を巡り、魔族との戦いは苛烈さを増していくが、それより多くの人々と出会い、助けられながら。

 まだ見えないこの先に、世界の平和があると信じて。



 これは勇者の替え玉であるローラン・ル・クローゼーが、「もう1人の勇者」として、後世に語り継がれし物語である。


 完

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