34(第二十三番 第三幕 第五場)

 夕刻。

 キャピュレット邸。

 灯される松明の列。

 赤い夕日の残光が差し込む広間。

 入ってくるジュリエットと悪魔。

 広間にいたキャピュレット、夫人、乳母らが、ジュリエットに近づいてくる。


キャピュレット

「おお、ジュリエット、乳母に聞いたぞ。神父のところに行っていたのだな。心は落ち着いたのか? ティボルトが死んで、さぞ苦しいだろう。我々の目も乾きそうもない。口にするのも堪え難いほどの憎しみが我々を襲い続けている。だが、立ち止まれば足元を掬われ、地獄の業火に堕ちていくのみ。進まねばならぬ」

ジュリエット

「進むとはどちらへ? 現世とて、すでに血で血を洗う争いの地獄ではありませんか。どこに逃げればいいと言うのでしょう?」

キャピュレット

「一人でいる時間は貴重だ。だが、重い。一人で背負うには重過ぎるのだ。歴史があらゆる英傑の手で紡がれているように、人生もまた一人では描けない。お前の深い悲しみを少しでも軽くしたい。そのために、人生の伴侶として、パリス伯爵の求婚を受けるのだ。見てくれも申し分ない、身元も申し分ない、お前に与えられないものは何一つない。」

ジュリエット

「……笑い声も出せません。私の人生は私のものです。誰にその半分を明け渡すかも、私の自由です。お父様の申し出を受けないと言ったら、私はどうなるのでしょう?」

夫人

「およし、冗談を申すのは! これはいくら願っても手に入らない貴重な申し出なのよ? 断る理由なんざないでしょう?」

ジュリエット

「そんな貴重さも、真の愛には勝らないでしょう」

キャピュレット

「お前は断ると言うのか?」

ジュリエット

「断ったら、どうなりますか?」

キャピュレット

「……私の申し出を、お前のためを想った申し出を、断るのか?」

ジュリエット

「どうなるのかだけ、知っておきたいだけです」

キャピュレット

「お前は全てを失うだろう。家も身分も羨望も奪われて、どこぞで野垂れ死ぬ犬畜生に成り下がる。そんな人生でいいのか? 俺はお前をそんな目に合わせたくはない」

ジュリエット

「ふふふ、それは結構なことですね」

夫人

「何がおかしいの? 気でも違ってしまったの? 可哀想なジュリエット」

ジュリエット

「いいえ、お母様、私の人生のありようが、お父様に握られていることを改めて知って、惨めな気持ちになっただけ。着ているこの服も、食べている食事も、全て私のものではないのだもの」

夫人

「そうよ、だから、あなたはパリス伯爵と結婚を、ね、お願いだから」

ジュリエット

「ええ、その結婚の申し出は受けようと思います」

乳母

「ジュリエット様! それは……」

悪魔

「ジュリエット! 正気か、君は!」

キャピュレット

「はは、ははは、そうか、受けてくれるか。それなら何も、我々を心配させるようなことを言わなくても良かっただろうに。お前は口が悪い。年寄りの心臓には酷く意地悪だよ。それでは早速、式の準備といこう」

ジュリエット

「でも、お父様、結婚にあたっては、ひとつお願いがあります」

キャピュレット

「なんだ?」

ジュリエット

「式を挙げるのは、明後日の正午にしていただけないでしょうか?」

キャピュレット

「何故だい?」

ジュリエット

「結婚はおめでたいことでしょうけど、ティボルトの喪にせめてもう一日服していたいのです」

キャピュレット

「そういうことなら、もちろん。それでは明後日の正午、婚姻の儀を執り行おう。さあ、準備に忙しくなるぞ」


 キャピュレット、夫人、広間を後にする。


乳母

「ジュリエット様、どうして結婚を承諾したんですか? あなたはもうすでに神の御前で誓いを立てているんですよ!」

ジュリエット

「それじゃあ私があの場で断ったとして、乳母はそれを支持してくれた? お父様やお母様の味方にはならなくて?」

乳母

「そんなことはありません! 私がどれだけジュリエット様の想いを汲んで、ロミオ様との婚姻に奔走したかご存知でしょう?」

ジュリエット

「ええ、本当にありがとう、もちろん分かっているわ。でも、父と母に、私が結婚をしたことを伝えても理解はしてくれなかったでしょう。それに相手はすでに亡くなっているんだもの。昨日の誓いは。通り雨のごとく綺麗さっぱり消えてなくなるわ」

乳母

「本当にそれでよろしいですか? 今ならまだ止められます。私からもご主人様にお話をします。どうかご自身の大事なお心を、無理に鉄の箱に納めないください」

ジュリエット

「(笑い声)鉄の箱、そうね、アイアンメイデン、鋼鉄の処女。まさに今の私を表すのにちょうどいい言葉。でも大丈夫、そんなに心配しないで。乳母もさぞ疲れているでしょう、もう休んでちょうだい」

乳母

「私は何があっても、例えこの口が、如何ともし難い暴力で脅され、パリス伯爵との結婚を勧めてしまったとしても、心だけは、どうか心だけはジュリエット様の味方です」

ジュリエット

「私もよ。パリス伯爵と結婚したって、私の心はロミオのもの。他の誰にもあげたりはしない。ありがとう、乳母、そしてこれからも何があっても、私を信じてほしいの」

乳母

「もちろんですとも。それでは、食堂でお待ちしております」


 乳母、広間から出ていく。


悪魔

「信じられない、君は何を考えているんだ? 重婚は重罪だぞ? 遡りのし過ぎで、ついに頭がおかしくなったのか? ロミオはもう死んでいるんだ。もう一度やり直せば良いだけだろう!」

ジュリエット

「別に私がどうしようと、私の勝手でしょう? あなたに何かを指示される筋合いはないわ。それとも本当にあなたは、ロミオと私の結婚を望んでいて?」

悪魔

「当初から私はそう言っていたはずだ」

ジュリエット

「悪魔なのに? どうして私も気付かなかったのかしら。悪魔がおいそれと愛を信じるはずもないのに」

悪魔

「何という態度だ! 私が神に進言しなければ、君はやり直しの機会を得られなかったんだぞ?」

ジュリエット

「ええ、その点に関しては感謝しかありません」

悪魔

「それならば、どうして遡らない?」

ジュリエット

「私には私の考えがあります。それに、私がロミオと結ばれなかったとして、あなたに困ることがあって?」

悪魔

「……ない。しかし、君ら人間の愛を信じている」

ジュリエット

「まあ、とんでもないご発言。でも、ありがとう。たとえ口から出まかせだとしてもお礼を申し上げます。さあ、食堂へ行って夕食にしましょう」


 ジュリエット、広間を出ていく。


悪魔

「なんて態度だ。俺が舞台を整えてやったというのに。もちろん、それは俺自身のためであったとは言え、彼女にも恩恵があったはずだ。人と人との関係とは、取引なのだから、契約の内容が互いに取って有益であればこそ、信頼が生まれるはずだろう?

 しかし、今の彼女の行動は意味が分からない。一体何が起こっている?

 確かにあれが、パリスのぼんぼんと結婚しようとも、俺には何ら問題はない。キャピュレット家とモンタギュー家の争いが止むことは、まずないだろうからな。ただ、俺が用意した舞台の上で、俺の預かり知らない筋書きが演じられるのは我慢がならない。何か、何か嫌なものを感じる。だが、悪魔のこの俺が、一体何を恐れるというのか」


 陽が沈み、広間が暗闇に包まれる。

 悪魔、広間をあとにする。

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