第13話 アズールのお嫁さん

 サルビア家の朝は騒がしい。シアンは全員とおはようの挨拶をしなければならないし、父ゼニスの見送りもしなければならない。アズールとネイビーは自分たちと仕事をしないかと誘って来るし、それなら自分と勉強、とブルーは袖を引っ張る。スマルトが無理やり引き剥がして執務室に連れて来るのはいつものことだ。

 それが日常というものであり、その日常を問題なく送れることが、賢者にとったはありがたいことだった。

「アズール兄様とネイビー姉様は根気強いですね」

「諦めが悪いだけだ」

 今日の仕事は素材に関するものだった。紡績はどこでも通用する仕事だが、どこでも同じ素材が手に入るとは限らない。もちろんこの領地から輸出することも事業のひとつだが、その国の特有の素材を活用することも雇用に繋がる。雇用を生み出すのも事業の役割だと父は言っていた。こうしてシアンが頭を捻るのも、そういった点に貢献できるのかもしれない。

「うーん……。兄様、ここのところ、ネイビー姉様にご確認したほうがいいかもしれません」

「ん? ……ああ、そうだな。面倒だが行くか」

 こうしてアズールやネイビーの執務室に確認することは度々ある。自分だけで判断して物事を進めても碌なことがないことは賢者も知っていた。

 ネイビーの執務室に向かう途中、アガットが誰かを案内していた。リボンがモチーフの華やかな赤いドレスの女性で、どこか貴族の家の娘のように見える。

 女性がシアンとスマルトに気付いて視線を向けるので、シアンは咄嗟にスマルトの後ろに隠れた。女性が目を細めたためだ。その表情は怪訝で、しかしそれも一瞬で消して丁寧に辞儀をする。シアンの髪と瞳の色に対する差別的な視線に感じたのは、賢者には被害妄想とは思えなかった。

 女性はアガットの案内を受けて屋敷の奥へ向かって行く。

「どなたでしょう」

「さあな」

 スマルトは興味が薄いようで、さっさとネイビーの執務室へ歩き出した。女性は何か用件があってこの屋敷に来たはず。いまこの時点でその用件を知ることはできないだろう。

 だが――

「ああ。アズール兄様のお見合い相手よ」

 ネイビーがあっさりと答えた。仕事の確認を終えたあと、シアンはつい気になって訊いてみたのだ。

「アズール兄様は今年で二十一歳だし、そろそろ結婚相手を決めなければならないところなの」

 二十一歳はまだ家庭を持つには若く思えるが、貴族の家にとって嫡男の嫁となる女性は重要となる。条件の合う女性がなかなか見つからないことも考えると、若いうちから探すことは間違いではないだろう。

「良い方はいらっしゃらないのでしょうか」

「うーん……こう言っては申し訳ないけど、サルビア侯爵家の一員となる以上、優秀な女性であることは欠かせないわ。それと、シアンを受け入れるかどうか、ね」

 やはり、とシアンは心の中で呟く。先ほどの女性はシアンに対する偏見の目を持っているようだったが、そういった候補女性は多いだろう。先ほどの女性は隠すのが苦手だったようだが。

(シアンの存在は足枷でもあるのかのう……)

「シアンのせいということじゃないわ」

 心の中を読んだようにネイビーが言うので、シアンは顔を上げた。

「シアンを受け入れなければ、サルビア家からは認められない。辛い思いをするのはお嫁さんよ」

「だが」と、スマルト。「貴族の中でアルビノへの偏見は今も昔も強い。その理由は知っているか?」

「存じ上げません」

「貴族の血筋は髪や瞳の色に現れる。アルビノは身体の色素が薄く、血筋が弱体化していると考えられるんだ」

 なるほど、と賢者は心の中で呟く。差別や迫害が行われるのは、能力値の低い弱者だと認識されるためだ。自らの能力を誇示する貴族にとって、卑下する対象として恰好の標的となるのだろう。

「その点、お前の能力値はこの先、おそらく俺たちより高くなる。それを理解せず特性や外見だけでお前を判断するなら、この家ではやっていけないだろうな」

「僕の能力値を開示しているのですか?」

「まさか」スマルトは肩をすくめる。「爵位のある家の者の能力値を部外者に公開することはできない。見合い相手に開示するのは、能力値が俺たちと遜色ないということだけだ」

 ネイビーが優しくシアンの頭を撫でた。

「シアンに偏見の目を向けない良い女性がまだどこかにいるはすよ」

 それはつまり、これまでのアズールの見合い相手が全員、シアンに対する偏見の目を持っていたということだ。そういった先入観が根深いということである。

「お相手にとって、サルビア侯爵家の地位と血筋を得ることはかなりの利益があるはずよ。なんとしても取り入りたいんじゃないかしら」

「申し込みは山ほどあるだろうな。アズールの気に入る女性はいまだいないようだがな」

 アズールのシアンに対する愛情は過激とも言える。シアンを認めるかどうかが最も重要な分岐点となるだろう。これまで何度も見合いを繰り返しているということは、シアンに偏見を持つかどうかはすぐにわかるのかもしれない。

「スマルト兄様にはお見合いの申し込みはあるんですか?」

「あるさ。判断基準はアズールと同じだ。が、屋敷に招いて会ったことはないな」

「会ってみないと僕に偏見を持つかどうかわからないんじゃないですか?」

「オペラモーヴ家って」と、ネイビー。「実は諜報機関なの。調査員はいつでもどこにでもいるわ」

 それだけオペラモーヴ家も大きいということか、と賢者は考える。爵位はないようだが、サルビア侯爵家の隠密として幅広い活動を担っていることだろう。

「お見合い相手も調査するんですね」

「そうだな。サルビア侯爵家を守るにはそれくらい必要だ。地位、権力、血筋……王家に匹敵する可能性もあるからな」

「利用しようとする家もあるはずよ。この家が利用されるなんてヘマをするなんてあり得ないけどね」

「そうなれば、家から追い出さなければならない。そうやって実家に戻れば、家の恥になるだろうな」

 利益の大きい家に嫁入りした場合、そう簡単に離縁することはできないだろう。いくら暴力を振るわれようと、不当な扱いを受けようと、理不尽な目に遭ったとしても、実家に帰ることのできない女性がいるのはどこの世界でも同じことだ。

「そういうお嫁さんを生み出さないためにも、慎重な選出が必要になるの。失敗は許されないわ」

「大きな家となると大変ですね。こちらにお嫁入りするのは、どの家にとってもメリットが大きいですよね」

「そうね。まあ正直、うちにとって利益のある家はほとんどないわ。でも、家の存続は大事なことよ」

「王家にとっても重要な家だからな。王族からこちらに嫁いで来る可能性だってあるだろうな」

「姉様のご結婚相手はどうなるのですか?」

「婿養子を取る必要はあるでしょうね。私がどこかにお嫁入りしてもメリットがないもの」

 結婚をメリット・デメリットでしか考えていないのも珍しいだろう。しかし、それが血筋を守るための彼らの使命でもあるはずだ。

(大変な家に生まれ落ちてしまったのう。しかし、それぞれが自分の役割をしっかり自覚しておるのは素晴らしいことじゃ)

「他の家にとって」スマルトが言う。「この家との婚姻はメリットが余りあるくらいだから、なんとしても婚姻関係を結びたいものだろうな」

「中には同じように諜報機関を利用する家もあるでしょうけど、この家の情報統制は国家並み。万が一にも情報を漏らしてしまえば、家の崩壊に繋がる可能性もあるわ」

「難しい問題ですね。お相手側には大きな利益となりますが、サルビア家にとってはどうしても利益が目減りしますね」

「そうだな。少しでも良い血筋でなければ、こちらの血筋が弱まる可能性があるからな」

「どうしたって選出は厳しくなるわね。嫡男のお嫁さんとなれば尚更よ。下手は打てないもの」

 カージナルの魔法実習の授業で、賢者はシアンの中に眠る膨大な魔力を感じ取った。シアンは自分で魔力を研磨していないと考えると、ほとんど血筋によるものだ。それは数値にもよく現れている。そうでなくても一家の能力値はかなり高等なものだ。この血筋を守ることはサルビア侯爵家にとって大きな問題となるだろう。

「魅了の魔法が使われたりすることはないのですか?」

「あるぞ。だがサルビア家の者は耐性を持っているから、魅了系の魔法は一切効かない」

「むしろ、感知すれば即破談になるわ。そんな愚かな真似をする者はいない、と言いたいところだけどね」

 ネイビーの呆れた表情から、どんな手段を使ってでも、という家が存在していたことが明白だった。この魔法一家に魔法で対抗しようとしたのなら、それは確かに愚かと言えるだろう。

(しかし……シアンの婚姻はより大変じゃろうのお。ま、結婚せずに済むならそれに越したことはないがの)

 三男であるシアンの婚姻はさほど重要ではない。優秀な女性がいるならそれでも構わないだろうが、シアンが溺愛されているこの家では、嫁入りした娘は少々居辛さを感じるのではないかとも思う。できれば無縁でいたい、と賢者はそんなことを考えた。



   *  *  *



 仕事を終えてネイビーの執務室をあとにすると、ちょうどあの女性が応接間から出て行くところだった。それを見送るアズールは、どこか安堵した表情に見える。

「アズール兄様」

 駆け寄ったシアンに、アズールはパッと表情を明るくした。腰を屈めて抱き締めたのは、シアンが書類の束を手にしていたからだ。すべてぶちまけてしまえば拾うのは一苦労だ。

「シアン! 仕事は順調か?」

「はい。お見合いはもう終わったんですか?」

「ああ。残念ながら条件の合う女性ではなかったよ。申し訳ないことだけどね」

 それは廊下でシアンを見かけたときの表情を思い返せば当然のことだろう。スマルトも同じことを考えたはずだ。

「貴族には恋愛結婚はないのですか?」

「もちろんあるよ。気が合う相手がいるならそれに越したことはないからね」

 この家に利益のある婚姻はベルディグリ公爵家か王族のどちらかだけではないかと賢者は思う。母セレストが嫁入りして来たのもそういった関係だろう。

「けど、サルビア侯爵家には家のための婚姻であることが重要だ。特に僕は長男だし、厳しくなるのは仕方ないだろうね」

「いままで何回くらいお見合いされたんですか?」

「何回だろうね。申し込みは山ほどあるけど、実際に会ったのは十数回くらいかな」

「貴族の家は大変ですね」

「はは、なんか人の家みたいだな」

 いまでこそ他人事なシアンだが、いずれ他人事でなくなる可能性は大いにあり得る。できることならば回避したい。

「僕もいずれ結婚するのでしょうか」

「それはシアンの自由だよ。家のために結婚するだなんて考える必要はない。シアンが好いた相手がいるなら話は別だけどね」

 賢者は結婚にはあまり良い思い出がない。特に女性として生きていた頃は散々だった。その頃に凝り固まった認識によって積極的に結婚しようとは思えないが、こうして世話になっている以上、家のための結婚をするのもひとつの手段として考える必要があるだろう。何より、シアン自分の高い能力を引き継がせないのは勿体無いようにも思える。とは言え、シアンの嫁候補を選出するのは、ともすればアズールより難しいことかもしれない。いまは何も考えずにいたほうがいいだろう。




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