第9話 アジポントス王国某所にて(前)
西側の壁に並んだ窓から入る夕暮れの光が、会議室を赤く染めていた。
広い室内には、よく手入れされた石造りの机が南の壁に向かって並ぶ。
南壁の手前、プレゼンターが立つ壇から降りた位置に、魔術師の戒律(アライメント)【善】を表す白いローブをまとった壮年の男が立っていた。長い焦茶色の髪をオールバックにし、眼前の南壁を鋭く睨み据えている。
この男こそ、ボスエロス王国からエエン海を隔てて南、アジポントス王国の宰相たるエナドリアスであった。
壇上には紋様の彫られた台座があり、上に水晶の
エナドリアスは髑髏の頭頂に右手を置き、呪文を唱えた。髑髏の両眼から光がほとばしり、壁に大きな白い円を描く。やがてそこに映し出されたのは、使い魔が見たハラヘリウスとマタサブロスの激闘だった。
「北風三兄弟の一人、“風の”マタサブロス相手に貫禄勝ちか。……化物め」
エナドリアスは忌々しげに呟くと、髑髏から手を離した。ほとばしる光も、映像も全て消え失せる。
――念のため四人に連絡を入れておいてよかった。連中からの干渉を防ぐためにも、ハラヘリウスは一日でも早く仕留めねばなるまい。
そう考えたところで、エナドリアスは自嘲の笑いを漏らした。
「げに哀しきは小国、か。我らがハラヘリウスを仕留め、バルサミコスとプルコギウスを独立させたところで、連中がいずれ呑み込むだけ。我らの利益にはならん」
いや違うぞ、とエナドリアスは首を振り、手近な椅子を引っ張り出して腰掛けた。
「ハラヘリウスの死をボスエロス王国内に
ならば、そのためにはどう動けばいいか。エナドリアスは目を閉じ、考えを巡らせはじめた。
そのうちにも陽は沈みゆき、壁の色を赤から紺、そして黒へと変えていく。
室内が完全に闇に包まれると、エナドリアスは目を開いた。ローブの袖口から、拳大の水晶玉を取り出す。机に布を敷いて水晶玉を置き、手に魔力を込めて触れると、玉はぼんやりと光った。淡い光が、暗闇の中にエナドリアスの精悍な顔を浮かび上がらせる。
「我が切り札、エナドリアス四人衆よ。揃っているか?」
エナドリアスが声を発すると、最初に、穏やかで優しげな若い女性の声がした。
「ルリア・ゴルドー、ここに」
次いで、快活な若い娘の声がする。
「ラフィ・ドーガ、ここに!」
それから、剣呑な雰囲気を隠そうともしないハスキーな若い女性の声が。
「……エスター・モナ・ジーン、ここに」
最後に、深い知性を感じさせながらも油断ならなそうな女性の声がした。
「レド・ブールー(翼を授ける者の意)、ここに」
いずれも、わざわざ集まらなくとも会話ができるようにと、己の魔力を込めた水晶玉をエナドリアスが渡していたものだ。
まず、レドが会議の口火を切った。
「いかがでしたか。ハラヘリウスとやらは」
静かでありながら圧のある声に問われ、エナドリアスは肩をすくめた。
「想定以上だな。ランク:【特盛】の魔法戦士を一人でねじ伏せたと言えば、魔術師のレドとルリアにも解るだろう」
ヒューッ! とエスターが口笛を吹く音がした。ラフィが「何それ! すごぉい!」と興奮気味に叫ぶ。隣にいたら、きっと目を輝かせているところが見られただろう。
ルリアは困惑とも感嘆とも取れるため息を漏らし、レドは「ふぅん?」と興味深げに笑ったようだった。
「それで、私たちはどうすればよろしいのかしら?」
再びレドに問われ、エナドリアスは野生の獣のように笑った。
「私は油断も舐めプもせんぞ。四人で集まり、それから一斉にかかるのだ。仲間の魔術師、ハミー・デッターが一緒だろうと、お前たちには敵うまい。その間に私は、ボスエロス王国を
さあ、どうやって崩してやろうか。エナドリアスの思考は、既にそちらへ移っていた。そこにラフィの素っ頓狂な声が響く。
「ハミー・デッターって名前すごくない!? 何がはみ出てるんだろう!? ねえルリアちゃん! 何だろうね!?」
「えっ? えっと、あの……」
「うるせえぞお子ちゃま。大事な初登場ってことで大将が
いきなり振られて戸惑うルリアとは対照的に、エスターが一太刀で切り捨てた。
「エスターありがと……、って、それフォローになってなくね?」
「いんだよ、細けえことは。男がケツ穴の小せえこと言ってんじゃねーよ」
フォローになってないフォローに抗議しようとしたエナドリアスだったが、これもまたエスターに一太刀だった。そこにレドが追い打ちをかける。
「だいたい、貴方は態度が大きいんですよ。私で童貞捨てたくせに」
「平然とデタラメ言うのやめてくれる!? 知らない人が聞いたら信じちゃうでしょ!? 読者の皆さんとか!」
エナドリアスが悲鳴じみた声を上げた。ラフィの「どっ!?」という叫びが重なる。
「な、なあラフィ。まさか、君は信じてないよな?」
「ど、ど、ど○くえすりー?」
「そうそう。ⅠとⅡでゲーム業界に多大な影響を与え、Ⅲに至ってはサブカル業界にまで歴史的な影響を及ぼした神作中の神作……って違うわ! つーかその名前を出すな!
肩で大きく息をし、ぜえぜえとあえぐエナドリアスを見かねたか、これまで黙っていたルリアが助け船を出してくれた。
「あの、皆さん、その辺で……。宰相のライフがもう0になっちゃいますから」
「ルリア、ありがとう……。君が戻ってきたら、一杯奢るよ」
「あ、いえ、大丈夫です。私、生身の男性には興味ありませんので」
「別に下心で言ってんじゃねーから! つーか生身じゃない男って何!? 彫像!?」
「演劇とか小説とかじゃね? 知らんけど」
エスターの投げやり気味な声がした。エナドリアスには冷たく返したルリアが、無邪気な声で喜ぶ。
「そうですそうです! さすがエスターさん! あの、エスターさんは、モットホメロス(※)先生の『イーデヤンス(※)』と『ウルッセイア(※)』は読んだことありますか!? オオトロヤ戦争(※)を扱った叙事詩で、かっこいい男性キャラがいっぱい出てくるんです! 中でも私の推しはですね……」
「わかった。わかったから、オタ特有の早口はやめてくれ。大将、後は任せた」
明らかに引いた声のエスターから投げられ、エナドリアスは大きく息を吐いた。
「じゃあ、そうだな。今オニギリシア本土では、劇作家の武論楠(ぶろんくす)先生の新作が上演されているらしい。それの入場券を手に入れておこう」
「本当ですか!? 絶対ですよ! 約束ですからね!」
上機嫌になったルリアを可愛いなあと思いつつ、ほっと一息ついたエナドリアスを待っていたのはまたレドだった。
「ルリア、宰相を信じちゃダメよ。この人、大臣たちとの飲み会になるといつも、私たちのことを『英傑四天王(ええけつしてんのう)』って呼んでるんだから」
「だから根も葉もない
「まあ! 夜だからって、女子の前でパ○ティーとかいやらしい人! ちょっと貴方、欲求不満なんじゃなくて!?」
「オメーにだきゃ言われたくねーよ!! 何一つ伏せ字にする必要ねーだろ!!」
怒髪天を衝く勢いのエナドリアスは、「とにかく皆頼んだぞ!」と言い残して強制的に通信を切った。疲れがどっと出て、がっくりと頭を垂れる。
「あんのBBA、じゃねーや美熟女め……。セクハラで訴えたろかな。……む!?」
背後の暗闇に何者かの気配を感じ、エナドリアスは瞬時に立ち上がった。
「私が侵入に気付けなかっただと? <ト・ヤマワンホ・タールイカ>」
己の不手際に舌打ちをしつつも、振り向きざまに素早く印を組んで呪文を唱え、天井付近に青白い光球を作り出す。柔らかな魔法の光が照らし出したのは、黒い甲冑に身を包んだ不審者だった。
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