エピソード3 守るための力

第1話 冗談だけは一級品だな

「じゃあ皆、今日もよろしく頼むな」


 女神の溜息の開店から一月ほどが経った。

 営業開始前の軽いミーティングはすでに恒例のものとなっている。

 彼らに今更注意すべきことはないのだが、ただ自分の言動には責任を持つようにとだけは毎回のように言う。


「はい。スゥは今日も張り切って、やる気のなさを出していきたいと思います」


 客に対して、失礼な態度が目に余っていた彼女も多少は接客態度がよくなってきたように思う。

 どうも彼女なりに『蔑む目で見ると喜ぶ人物』と『そうしてはまずい人物』の見分けができるようになってきたらしい。

 変な特技を身に付けてしまったのは正直どうかと思っている。

 だが、需要と供給の間柄で成り立っているのならそれは許容範囲のうちなのかもしれない。


「いらっしゃいませ、女神の溜息へようこそ! お好きなお席へどうぞ!」


 営業を開始する夕方過ぎの時点で客はほぼ埋まるようになっていき、日によっては入店できない客が出るほどだ。

 アリスフィアが頻繁に出入りしていたり、アインズ達のギルド内での呼び込みもあったらしい。

 そのおかげかちらほらと冒険者と思しき姿も見られるようになった。


 そんな店内での会話に耳を傾けていると、彼らならではの心躍るような冒険譚が酒のさかなとなり場を賑わせていく。

 それを聞きながら、洗ったばかりのグラスを磨き上げるのが最近の日課になりつつあった。


「クレハ君、最近は特に楽しそうだね。何かいいことでも?」


 ジラルドがこちらに声を掛けてきた。

 彼は客として現れる時にはこうしてカウンター席の端に座る。


「そう見えるのか? 自分ではいつもと変わらないとは思うんだが」


「当ててみせようか。何か目標にしたいものを見つけた。あるいは新しいことを始めたいと思っている。そんなところかな?」


「前にも言ってた目と勘ってやつか? まったく、ジラルドには敵わないな」


「店の主からすれば安定がなにより一番。しかしながら、一人の人間としては現状維持だけでは物足りない。この二つは確かに相反する感情だけれど、クレハ君ならきっとうまく立ち回ることができるのではないかな」


 そう言って彼は店の様子を眺めながらグラスに口をつけた。

 彼も酒はよく飲む方だが毎回酔っているようには見えない。


「さすがにそれは俺を買い被りすぎだと思うぞ。とは言え、やるだけやってみたい気持ちはあるんだがな」


「結果を恐れず突き進むのか、あるいは引き返し留まるのか。果たして君にとっての正解はどちらなのかな? 僕はそれを静かに見届けようと思っているよ」


 そう言ってジラルドが店を後にした直後だった。


「おうおう邪魔するぜぇ! この店の一番偉い奴はどいつだ?」


 いかにもな悪人顔をした男が、扉を勢いよく開けて入ってきた。

 その様子に静まり返り小声で話し始める冒険者がいるあたり、こいつもその一員なのだろう。


「俺が店主ですが、何か御用でしょうか冒険者様?」


 給仕の二人をミツキに預け応対する。


「ほぉ、お前がそうなんだな。とりあえずこの店の酒をいますぐ全部寄越しな!」


「申し訳ありません。それは出来かねます」


「うるせえよ。さっさと出せ!」


「無理ですね。こちらのミルクならお出しできますが」


「はあ?」


 男は臭い息とともに威圧するような態度を取り始めた。

 それに対して俺は大げさに溜息を一つ吐いてやる。


「下手に出てれば調子に乗りやがって。はっきり言わなきゃわかんないのか? 他の客の迷惑になってるんだよ。百歩譲って酒が欲しいのなら交渉次第で応じる。だから今日のところは帰ってくれ」


「おうおう、酒場のマスターごときが生意気だな! 俺はお前の言うあいつらと同じお客様だろうがよ!」


「冗談だけは一級品だな。汚い足で踏み込んできた、ただのごろつきがまさか客を名乗れるとでも思ってるのか?」


 ここで屈してしまえばこの手合いはつけあがる。

 そうなればこの店は終わりだ。

 衆目の中男との睨み合いは続いた。


「騒がしいわね。あら、何か揉め事?」


 ギィと扉を開くと冒険者がこちらに歩み寄ってくる。


「アリスフィアか。お客様こいつがちょっとな」


「うげ、あんたランクAの……!?」


 男は彼女を見た瞬間から顔が青ざめていき、これまでの威勢が嘘のようになりを潜め始めた。


「誰だか知らないけれど、表へ出なさい。私が代わりに話をあげるわ」


 とてもではないが、アリスフィアからは言葉どおりに事情を伺うといったようなニュアンスを感じ取れない。

 どう止めたものかと思っていると、彼女は腰元の双剣に手を掛けた。


「じょ、冗談でさぁ! そうだそうだ、用事があったんだった俺としたことがよぉ!」


 逃げるようにして男が退場すると、周囲からは歓声が涌き数分前の賑やかさを取り戻していった。

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