第2話 お願いです、囮になってもらえませんか!?

 俺の降り立った新しい世界ウルディームガルドには見渡す限りの草原が広がっていた。

 それはまさに草。一面草の楽園。

 俺の生まれ育った故郷でも、さすがにコンビニや信号機はあったしここまでではなかった。

 それほどドがつくくらいに田舎の様相を呈している。

 建築物などはもってのほかで、ましてや人の気配すらもない。


 そんな中この世界におけるイレギュラーたる俺は、元凶たるイレギュラー・女神フェリスとの感動的でもなんでもない再会を果たしていた。


「なんでお前まで来ちゃったわけ? さっきいい感じに別れたのにあれはなんだったんだよ」


「ちょっとした手違いで……えへへっ」


 なんだろう、基本的に殺意しか湧かない。

 二度と拝みたくないテへペロってあるものなんだな。


「ま、仮にも神なんだし元に戻るのも簡単なんだろうけどさ。そのへんもう少し気をつけた方がいいぞ。じゃあ俺はこれで行くわ」


 と言ってフェリスとは正反対の当てもない方向へと歩き出そうとした。


「戻れないです」


「え?」


「戻れない」


「あー、それ女神ジョークってやつか。お前にしてはなかなかキマってんな?」


「女神、ジョーク言わない」


「え?」


「言わない」


 涙目のフェリスはぷるぷると、まるで生まれたての小鹿のように震えていた。


「どうすんだよこれから……」


「とりあえずはクレハさんについていけばなんとか、なるんじゃないかなって!」


「お前部下からポジティブ過ぎて怖いって言われない? いや待て。俺、戦闘能力皆無じゃねーかよ!」


【ステータス】

クレハ:レベル1

HP:10/10

MP:10/10

STR:10

AGI:4

VIT:3

INT:1

DEX:3


 フェリスに教わったステータスとやらを開くと、それはもう散々な数字が並んでいた。

 もはやそこらの一般現地人にも勝てないのではないだろうか。

 その中で『LRレジェンドレア:手から延々とお酒を出すことができる能力』の文字が虹色に輝いている。

 それを見ただけであのクソ親父の顔がチラついて忌々しい。


「なあ、フェリスは戦えたりしないのか? さすがに女神の力とか持ってるんじゃ?」


「私の世界ではないので、ここではそういったものは一切発揮できないのです……」


「それはまずいな。何がなんでも戦闘は全力で避けないと」


「あ。もしかして、酒だけにですか!?」


 私世紀の大発見しました、みたいな顔をしている。


「やかましいわ、この災厄級ポンコツ」


「ぽ、ぽんこつじゃないですしっ!」


「まあ、とりあえず街のような施設に行けば安全だろ。ここで何かに出くわす前に急ぐとするか」


「クレハさんは心配症ですね? そんなこと滅多に起こるわけありませんからぁ」


 それから五秒後のことだ。


「うおおおおおおおい、お前の存在絶対即オチ二コマだろ!!」


 斧を持った巨大な二足歩行の豚。

 見るからに凶悪と言わざるを得ない化け物が、巨体を揺らし俺達を追いかけてきている。

 こういうのってだいたい、初めて遭遇する魔物と言えばスライムとかの弱いやつって相場が決まってるんだ。

 これは明らかに転送場所をミスってるとしか思えない。


「クレハさん、そういえば天界うえで死ぬの大丈夫みたいなこと言ってましたよね!」


 ともに並んで逃げるフェリスが何か言い出した。


「こんな時になんだよ!」


「お願いです、囮になってもらえませんか!?」


「馬鹿は休み休み言えよ。俺にここでも死ねとでも? それとも何か奇策でもあるのか?」


「なんとかしてわたしだけでも助かりたぁあああい!」


「うわ、こいつゲスだ……。ゲスの女神。ゲ神様がみさまだ」


「変な名前つけないでくださいよ。ただ、クレハさんがわたしを庇ってくれればそういう流れになるというだけの話ですから。さあ、ひと思いにどうぞっ」


 フェリスはそれはそれはとてもいい笑顔で、鬼や悪魔など比ではないくらいの鬼畜な提案を放った。


「お前には人の心ってものがないのか!」


「わたしは人ではありませんからああああああっ!」


 突然強い力に引き寄せられ、


「おい馬鹿、服引っ張んじゃねえ!」


 その元凶を振り払った。


「きゃうん!」


 派手に顔面からすっ転んだ彼女に、豚がゆったりとした足取りで襲いかかろうとしている。

 能力のない俺には当然助けようがないし、そうしたところで諸共やられるのがオチだろう。

 悪いが諦めてくれと背を向けようとした。


 そのはずだったのだが、唐突に何かの場面が浮かび上がってくる。

 職場で身に覚えのない叱責を一方的に受ける男と、その様子を見て笑っているだけの周囲。

 男が彼らに助けを求めても、目を逸らされ当然誰も助けに入る様子はない。

 あの時から、あいつらとは違って俺だけは誰かの救いになりたいと思っていたはずだ。

 ――男はかつて俺だったものであり、そして今がその時のような気がしてならない。


 清々しいくらいにドジな女神に少しばかりの同情を覚え、大きく溜息を吐く。

 フェリスと化け物の間に割って入ると、足元の小石を投げつけそいつに対して正面を切った。


「こっちだクソ豚野朗が!」


 震える足とともに目元にぐっと力を入れて睨みつける。


「ううぅ……クレハ、さん?」


 フェリスは視線を上げて俺を見た。


「仕方がないから俺が時間を稼いでやるよ」


 正直自分でも驚いている。敵いっこないのはわかりきっている。

 それでも、もう吐いてしまった唾は飲み込めない。


「で、でもそんな」


「お前には帰るべき場所があるんだろ。待ってるやつらがいるんだろ。そのくらい考えなくてもわかれよ!」


「たた、助けをっ、呼んできます。だから待っていてください!」


 フェリスの声は遠くなっていく。

 優先順位を考えたらこうであるべきだ。

 ただ、あいつが完全に逃げ切るまで油断はできない。


「ったく、俺がそれまで持つわけないだろ」


 地を揺るがす大きな音が近づいてくる。

 ここで死んだらどうなるかだけは、あらかじめ聞いておけばよかったかもな。


 豚の振り上げる斧が頂点にまで達すると、日の光を浴びてキラリとその刀身が光った。

 十分に時間は稼げた。どう見たって俺の勝ちだ。

 この足の震えを抑える必要はもうない。

 ガタガタと硬く目を閉じる。


 だが、俺の体は一向に痛みを感じることはなかった。

 その代わりにガキンと金属のような鈍い音だけが聞こえた。


「どうやら無事のようね。そこのあなた、ここは危険だから離れていなさい」


 目を開けると赤色せきしょくツインテールの澄まし顔女が、手にした二振りの剣で攻撃を受け止めていた。

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