【GL】白い罠

祐里

差し伸べられた手、絡め取られた心


「先週の『生まれ変わったら男と女どちらになりたいか』ってアンケートに、変な回答をした生徒が一人いたぞ」


 中学三年生の高野美鶴たかのみつるの教室では、いつものように朝のホームルームが始まっていた。


「えー、『生まれ変わっても女になって女の子と恋をしたい』。こりゃ大問題だな」


 担任の男性教師がおどけたように言うと、教室内にくすくすと笑いが起きる。


「保健の先生に見せたら、思春期には一時的にそういう感情を持つことがあると言っていたから、ま、今のうちだけだろうが」


 美鶴はストーブから遠い席に座っているため、膝丈のスカートから入る隙間風が冷たくて足が冷えてしまう。早く日が差す時間帯にならないかなと、教師から窓の外へ視線を移す。


「冬休みが終わって受験を控えた大事な時期に入った。体調を崩さないよう気を付けること。ではホームルーム終わり」


 教師がホームルームの終了を言い渡し、教室を出て行く。美鶴が短く息をつくと、前の席の高橋千尋たかはしちひろのきれいな顔がくるりと後ろを向いた。


「あれ、私なんだ」


「ん?」


「あのアンケートの回答書いたの」


「さっきの? え、でも……」


 突然の秘密の告白に戸惑い、美鶴の言葉がしどろもどろになる。本当は「そんなこと私に言っていいの?」と言いたいのに。


「美鶴ちゃんならいいの」


 あたふたしている美鶴の心を読んだかのように、千尋がにかっと笑って前を向いた。それからすぐに国語の教師が入室し、一時間目の授業が始まる。


 秘密をこっそり告げられるほど、美鶴と千尋は仲良くない。いつだったか「美鶴ちゃんって呼んでいい?」と言われ、下の名前で呼び合うようになったけど……と考えていると、国語の教科書を出すのを忘れていたことを、教師に指摘されてしまった。


 美鶴は慌てて教科書を出して机の上に広げ、黒板に視線を注いだ。



 ◇◇



「高野さん、今日ゴミ当番だよね」


「あ、うん」


「今日のゴミ二つあるから、一緒に行こう」


 掃除の時間に同じクラスの清水陽太しみずようたが話しかけてきて、一緒にゴミ捨てに行くことになった。ゴミ箱の中身は重くなさそうだと思っていたが、何故か多くはないゴミが袋に二つに分けて入れられている。美鶴は少々疑問を持ったが、素直に「ありがとう」と言い、ゴミ袋をそれぞれ一つずつ持って廊下を歩き始めた。


「ね、美鶴って呼んでいい?」


「えっ……、あ、うん」


「俺のことも陽太って呼んで」


 にこやかに言われると拒否できず、美鶴は緊張しながらも言われるがまま「よ、うた、くん……?」と言葉にした。それを聞いた清水が、満足げにうなずく。


「美鶴はあまり男子と話さないよな」


「う、うん」


「もっと話せばいいのに」


「……そうだね」


 大人しい性格の美鶴は、男子女子関係なく、誰かと大笑いしたり話し込んだりすることがほとんどない。休み時間も、自席で静かに本を読んでいるタイプの女子生徒だ。


 「男子と」だけじゃないんだけど、などと思っているからか、やはり会話は弾まない。重い空気をまといながらゴミ捨て場に到着し、ゴミを所定の場所へ投入する。


「美鶴、こっちこっち」


 あとは教室に戻るだけという段になって、清水がゴミ捨て場の裏を覗き込みながら、おいでおいでと手を動かし始めた。


「どうしたの?」


「いいから、こっち。あ、そっとね」


 静かに近付き清水の指差す方を見てみると、体育館裏で男子生徒と女子生徒がキスをしている場面が見えた。こんな場所で……という驚きで、美鶴は大きく目を見開く。


「すげえ。学校なのにな」


「うん……」


 場にそぐわない愛の確かめ方をしている二人から視線を外し、美鶴が踵を返そうとすると清水が「俺らもやろう」と言い出した。


「……何を?」


「キス」


「え……、そ、そんなことより、早く戻ろう」


 美鶴は校舎入口へと続く通路の方へ歩き出そうとするが、清水がじりじりと近付いて来る。その安っぽい笑顔が怖くて、うまく足を動かすことができない。


「や、やだっ」


「したことないだろ? ちょうどいいじゃん、練習に」


 どちらかというと小柄で運動神経がいいわけではない美鶴は、バスケ部所属だった清水には足の速さも腕力も到底敵わない。しかも足は震えてしまっている。逃げることはあきらめ、両腕を顔の前で交差させて口を守っていると、清水の両手が美鶴の左右の胸をぎゅっと強くつかんだ。


「お、ブレザー着ててもやわらけえ。へへ」


 突然の胸の痛みに悲鳴を上げることすらできず、美鶴が胸を両腕で押さえてしゃがみ込むと、清水は下卑た笑いを引っ込め、怖い顔で「誰にも言うなよ」と告げて一人で行ってしまった。


 どのくらい時間が経ったのか、いつの間にかこぼれていた涙を止める術もわからないまま、美鶴はただ泣き続けた。つかまれた胸にはまだおぞましい手の感触が残っている。清水の欲望のためだけに、拒否する間もなく痛みを与えられたという理不尽さへの恐怖を拭うことができない。


「美鶴ちゃん」


 そんな時、後ろからそっと声をかけてくれる人がいた。千尋だった。


「泣いてる……? どうしたの? 何があったの?」


「ち、ひろ、ちゃんっ……」


「清水だけ戻って来たから、おかしいなと思って来てみたんだけど」


 自分の正面に回った千尋が差し伸べる手を取ると、その温かさに少し安心感を覚える。やっとのことで立ち上がった美鶴を、女子にしては長身の千尋の細い体がふわりと抱きしめてくれた。


「何があったか、話せる?」


 美鶴の背中を優しくなでながら、千尋が言った。長い髪は後ろで結んでいるため、外気に触れて冷えた耳に千尋の熱い息がかかる。一人ではなくなったことにほっとするが、『誰にも言うなよ』という清水の言葉を守る必要はないと頭ではわかっていても、なかなか口に出すことができない。


「……話せない?」


 眉尻を下げた心配そうな千尋と目が合った。友達といえるほど親しく話したことはないがこの優しさに甘えてしまいたいと強く思い、首を小さく横に振ると、美鶴はついさっきされたことを恐る恐る話し始めた。


「何それ、ひどい……信じられない……!」


 話し終えたところで千尋が悔しそうに吐き出した言葉がうれしくて、一旦止まっていた涙がまた溢れてくる。


「よし、美鶴ちゃんの家まで送って行ってあげる」


「お、送って……? いいの?」


「うん。別に用事もないしね」


 そういえば、と、美鶴はだんだんはっきりしてきた頭で思い出した。千尋は勉強ができる子で、志望校も美鶴より上のランクの高校だ。塾には通っていないのにすごいなと感心した覚えがある。


「ありがと……」


「教室に戻ろうか。カバン取りに行かないと。もうあいつは帰ってると思うよ」


「うん」


 涙が止まってほっとした美鶴は、自然と繋がれた手のおかげでだんだん心が落ち着いていくのがわかり、そのまま歩き続けた。



 ◇◇



「あれ? 今日雪の予報だったっけ?」


 千尋が昇降口で靴箱の扉を開けたまま、外を見ている。


「……本当だ、雪」


 さっきまで晴れていたのに、日差しがなくなって雪が降り始めると急に空気の冷たさが増していく。靴を履き替えた美鶴は、はらはらと舞い散る雪を見ながらぶるりと体を震わせた。


「美鶴ちゃん、傘ある?」


「あ、今日は持って来てない」


「私あるから、一緒に入ろ」


 明るく言って赤いチェック柄の折り畳み傘を開く千尋に「ありがとう」と返し、美鶴は隣に並ぶ。


「ごめんね、色々」


 美鶴が謝ると、千尋は白い頬をゆるませた。少し細められた茶色っぽい垂れ目が作る柔和な空気に、気が休まる。


「千尋ちゃん、あの、朝のアンケート……」


「うん?」


「先生に読まれちゃって、嫌じゃなかった?」


「ああ、うん、嫌じゃなかったよ。平気」


 話している間にも、湿気を多く含んでいそうな牡丹雪がどんどん降り積もっていく。誰も歩かない歩道の端は、既にアスファルトが見えなくなっている。


「そうなんだ」


「男の子嫌いなのよ」


「……それ、わかる……」


 美鶴はデリカシーのない担任の男性教師や、相手のことなどお構いなしの言動を平気でする男子生徒に辟易している。清水のことがなくても、男子が授業中に大騒ぎしたりして授業が中断されるなどの迷惑を被っているからだ。


「今ね、一番好きなのは美鶴ちゃんだよ」


 千尋の突然の暴露に、美鶴の心臓が跳ねた。


「い、一番好きって」


「二番もいるけど」


 『好き』に序列をつけられていると知り、心の内に波が起きる。その波はどんどん大きくなっていき、とうとう美鶴の口から言おうとしていなかった言葉を飛び出させた。


「二番に落ちるのは嫌」


 言ってから、はっと気付く。これは独占欲だと。『美鶴ちゃん』と呼んでくれるようになった時も、本当はうれしかったのだ。だから美鶴も『千尋ちゃん』と呼び始めた。それだけで満足していたはずなのに。


「そう?」


 ――もし二番になったら、振り向いてくれなくなるのだろうか。抱きしめてくれなくなるのだろうか――


「……何したら、ずっと一番でいられる?」


「んー、そうだなぁ……、一緒の高校に入学するとか?」


「そ、それは無理だよ。ランク一つ上げないと」


「だって、私のためにがんばってくれたらうれしいもの。だめ?」


「う……わ、わかった。勉強がんばる」


 美鶴が片手で軽くガッツポーズを作ると、千尋は「今度うちで一緒に勉強しよ」と言い出した。


「えっ、いいの?」


「うん。次の土曜日は?」


「土曜日、大丈夫」


 白い雪が舞う中で、笑みを浮かべる千尋の白い頬が、うっすら赤く染まっている。赤いチェック柄の傘のせいかもしれない。


「よかった。お泊まりでもいいよ。親に言っておくね」


「お泊まりしたいな。私も親に言っておく」


 美鶴の言葉に微笑む千尋が、心の深い部分を絡め取っていく。視界が雪に煙り周囲が見えづらくなっているが、千尋だけ見えていればいいとさえ思う。


「うん」


 道端のカフェの入口、突然の雪景色に困った様子で空を仰ぐ人が美鶴の目に映る。千尋はそんな美鶴にちらりと視線をやり、口角を片方だけ持ち上げた。


「美鶴ちゃんも、勉強、しないとね。楽しみだね」

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【GL】白い罠 祐里 @yukie_miumiu

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