第11話


 桜咲く季節。

 桜の木から花びらが舞い落ちる体育倉庫の裏。

 桜色の絨毯の上を踏みしめる制服姿の男と男。

 傍から見れば、その険悪な雰囲気も相まって今から殴り合いが始まりそうである。


 秋は自分にとって特別な場所に呼び出した目の前の男を睨みつける。

 ちょうど昨日だ。

 この場所に苑子を呼んで告白し、晴れて両想いになったのは。

 だからここは秋にとってはとても意味深い場所なのだ。

 目に映る光景もまったく変わらず、そのためより一層憎しみが増す。

 昨日、苑子がいるはずだった場所に今は物凄く気に食わない男が無表情で立っているのだから。

 既視感が湧くことにすら苛立つほどだ。


「言いたいことあんなら、さっさと言えよ」


 元運動部の助っ人として活躍してきたせいか秋は上下関係に関しては弁えている方だったが、残念ながら春斗を敬う気持ちなどこれっぽちも湧かない。

 苑子のことについて話があると言われなければ素直にここまでついて来ることもなかっただろう。

 不機嫌どころか憎しみすら隠そうとしない秋は普段の爽やかで人懐っこい顔を嘘のように歪ませている。

 高一が浮かべるには迫力のありすぎる嫌悪の表情に、春斗は一見無感動に見ていた。

 その目にはどこか哀れむような、それでいて妬むような、嘲うような、耐えるような、複雑な色が滲んでいた。


「これは忠告だ。間宮 秋」


 厳かな言い出しに秋は馬鹿にしたように鼻で嗤った。

 その反応に春斗はどこか慣れたように話を続ける。

 実際に、こういった場面は「初めてではない」。 


「苑子と別れろ」

「……はぁ?」


 春斗の台詞に一気にその場の空気が変わる。

 二人の間に漂っていた冷たい空気が、今にも破裂しそうな危険なものへと変貌した。


「お前は、苑子に騙されているんだ」


 意味が分からないと、秋の顔から表情が消える。

 代わりに春斗の顔には苛立たしいような色が浮かぶ。

 どこまでも二人は対照的だった。


「お前は都合よく利用されているだけなんだよ。あいつの底意地の悪い糞みたいな企みのためにな」

「……黙れよ」


 春斗の予想と違い、秋は激昂することなく、どこか冷静に話を聞いていた。

 だが、その額に浮かぶ青筋や、歪んだ唇から吐き出された唸り声には底冷えするような怒りが滲んでいる。

 苑子を侮辱し、始まったばかりの二人の関係を否定する春斗に対する怒りだ。


「これ以上苑子先輩を侮辱したら、殺す」


 脅しでもなく、秋は本気でそう思った。

 見た目通り直情型の秋はこれでもだいぶ我慢しているのだ。

 同じく本当は直情型である春斗もまた苛立っていた。

 何故、分かってくれないのだと、春斗の台詞に熱が入る。


「俺は、お前のために忠告してるんだ。あいつに、何夢見ているか知らねぇけど、さっさと目を覚ませ」

「うぜぇ」


 対して秋の返答はどこまでも冷たく、まったく動揺を見せない。

 春斗の秀麗な顔が歪む。


「お前は、なんも分かっていない…… 一年だから、まだあいつの噂も知らねぇから……! だから、あんな糞女なんかに惚れることができる。見た目だけ見て、あいつの本性も、内面もなんも知らねぇからな……」


 春斗の口は止まらない。

 桜の花びらが穏やかに舞い落ちる中、春斗の口から憎悪が吐き出される。

 まるで呪詛のように。


「野郎を誘惑して、当然のように遊んで捨てる淫乱だ。どんな色目使われたか知らねぇけど…… あいつがどれだけ最低で最悪か、その内嫌でも思い知る。その頃になって自分の見る目の無さを後悔しても遅い」


 春斗は秋がよりにもよって苑子に惚れたこと、そしてまんまと苑子の誘惑に堕ちてしまったことに強い憤りを感じていた。


「間宮 秋。お前は真性の馬鹿だ。その目はとんだ節穴だ」


 春斗は内心で血を吐き出すようにして叫んでいた。


(なんで、なんでこいつなんかが……!)


 プライドもなく、叫びたい気持ちをギリギリの理性で抑え込む。

 自分の嫉妬を誤魔化すように、春斗は髪を掻きむしる。


「苑子なんかに騙されて…… 本当に、大事なものが、綺麗なものが側にあることに気づいていねぇんだよ、お前は」


 落ち着けと自身に言い聞かせながらも、秋に対する負の感情が身の内で暴れまわるのを春斗は抑えようとする。

 ズキズキと痛む自分の胸にも気づかないふりをした。


「……もう一度言うぞ」


 なんとか、息を整えながら、春斗は激情に燃え滾った眼差しを真っ直ぐ秋に向ける。

 対峙した秋はムカつくほど冷めた顔をしていた。

 だが、春斗と同じく怒りに燃えていることは、握りしめた拳と、興奮で浮き出た血管が証明している。

 一触即発な空気の中で、秋は春斗が次何を言っても殴ろうと決意し、準備していた。

 停学になろうが退学になろうがどうでもいい。

 春斗が苑子のことを好きなライバルだと思っていた今朝の自分すら許せないのだ。

 苑子のことをここまで侮辱した春斗を許せるはずもない。


「苑子と別れろ。いや、別れてくれ……!」


 だが、春斗のその台詞に含まれた身を切るような切実さに秋は少しの違和感を抱いた。

 よし、殴ろうと一歩足を踏み出したというのに、思わず動作を止めるほど、春斗は真っ直ぐに秋の目だけを見つめている。


「……なんで、俺がてめぇの言うことを聞かなきゃいけねぇんだよ」


 握りしめた拳をそのままに、秋は低く低く呟いた。

 秋には春斗の言動の唐突さや話の流れがよく分からなかった。

 苑子に対する侮辱は絶対に許せないが、どうも一見冷めているように見えるこの男は存外考えなしでその場その場で思っていることだけを好き勝手に吐き出しているようなのだ。

 だからこそ、真意が見えない。

 その目的も。


「……そうか。こんだけ言っても、目を覚ましてくれないんだな」


 春斗からすれば秋に言っていることは全て本音であり、揶揄もない。

 本当に思っていること、正しいと思っていること言っていないのだ。

 むしろ春斗は秋を救済しようと思い、行動している。

 秋を憎みながらも、春斗の心は純粋で濁りがなかった。


「……なら、あいつの真意を教えてやるよ」


 不器用だからこそ、春斗はある意味で真っ直ぐだ。

 自分の行うことは全て正しいと、信じて疑わぬ純粋さがある。


「苑子が、なんでお前と付き合ったか」


 だから、思わず秋は最後まで春斗の話を聞いてしまったのかもしれない。


「教えてやるよ。間宮 秋」


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