涙の意味

 お正月はいつも通り一人で過ごすことになった。

この日は毎年、買った御節で一日のご飯を済ませられる楽な日というイメージくらいしかない。毎日外食や、宅配に頼ってしまうと費用がばかにならないし、料理自体は楽しいので少しだけそれがないお正月は特別。

ただもう慣れたといえ、一人でお祝いをする気分にはならない。


そして明後日は私の両親の命日。

これも私が素直にお正月を祝う気になれない理由の一つ。

とても憂鬱だ。

去年は友人。いや、少し大切な人が出来た。そのせいで例年よりもこの日がつらい。


気のせいかな。



 冬休み最後の日、七瀬さんから来るという連絡が来た。いつ来るかやきもきしていたところだった。

七瀬さんがいない一人の時間を長く感じる。

なんでだろう。


 七瀬さんに会うと、すごく嬉しかった。一緒にいてくれる人がいるというのは幸せだ。

そう、改めて思った。


同時に、そんな自分が情けなくもある。もし、七瀬さんの機嫌を損ねて嫌われてしまったら。私は立ち直れる自信がない。

もう拠り所を失いたくない。でも、ずっといてくれる保証なんてどこにも無いから、七瀬さんから逃げようなんて浅はかなことを何度も考えた。


自分でも七瀬さんと一緒にいたいのか、自分から距離をとって保身に走りたいのか、よく分からない。


それでも、一人でいるということに一抹の寂しさを感じてしまう事は確かだった。


私の心は冷え切ってしまっている。孤独と、自己嫌悪とで。

だから、


「七瀬さん。ここに座ってください。」

「いいけど、どうしたの?思いつめた顔して。」

「すこし‥‥あの。前言ってましたよね。寂しい時はいつでも言ってくれって。」

「‥‥‥あれ半分は軽口だった、ううん。なんでもない。」

「あの、だめでしょうか。」

「だめじゃないよ。ちゃんと教えてくれて嬉しい。それでどうしたの?いきなり。」

「七瀬さんのせいです。」

「いや、それは謎なんだけど。」

「だって。」


七瀬さんに心を溶かされたなんて本みたいなこと、言えるわけがない。

でも実際今までは一人でいるということに何も感じていなかった。せいぜい私は客観的に見て可哀そうな子供だなと思ったことがあるくらい。それが、いつの間にか人の温もりを求めるようになってしまった。


「まあいいよ。おいで。」

「少し違う気が。親みたいにしてほしいわけじゃないのに。」

「何か言った?」

「何も。じゃあ少し‥‥。」

「うん。」


そういえば自分から七瀬さんにくっつきに行こうとしたのは初めてだな。そんなことを意識してしまうと自然と鼓動が早まる。


七瀬さんは私をゆっくりと、そしてしっかりと抱きしめてくれた。心が溶かされるなんて本での単なる表現方法の一つだと思っていた。でも、今なら分かる。人の心が優しさに溶かされるということは本当にあるのだと。


七瀬さんから心の距離を置くかは後から決めればいい。今はただ、こうして重くなった心を少しでも解放して欲しい。そう思って七瀬さんに回している手の力を強める。


頬を伝う液体に気づく。あ、私泣いてるんだ。思っていたよりも限界が近かったようだ。

ああ。だめだ。何かが決壊してしまった。

涙は止まることを知らず、しばらくの間流れ続けた。



 「すいません。泣くつもりはなかったです。」

「いいよ。それだけつらかったんでしょ。」

「そうなんでしょうか。いや、そうですね。いろいろと分からなくなって。」

「うん。いいよ。いくらでも泣いていい。」


七瀬さんの人たらし。泣き止んだのにまた泣いてしまった。



「‥‥気持ちは落ち着いた?」

「もう、大丈夫だと思います。」

「そう。我慢しなくていいからね。頼ってくれて嬉しかったし。」

「はい。ありがとうございます。」


その日は料理を作る気になれず、冷凍食品で済ませてしまった。七瀬さんには申し訳ないことをした。



 七瀬さんの家に遊びに来ないかと連絡が来た。特に断る理由もないので行くと返事をしてお邪魔することにした。


多分七瀬さんはチーズケーキが好き、でいいのかな。

適当においしそうなケーキを見繕って箱に詰めてもらう。


 七瀬さんの家につくとお母さんが出てくれた。

彼女は自室で本を読んでいる。


「あの、来ました。」

「うん。いらっしゃい。ちょっとそこに座ってて。今いいところだから。」


そこ‥‥床かベッドか。

床だな。七瀬さんの読書が一区切りつくまで待つ。


「読み終わりました?」

「うん。すごくトリッキーだった。それで白世さん。話したいことがある。」

「なんですか。」

「この前白世さんは泣いちゃったわけなんだけど、」

「それは偶然です。」

「泣いたことは事実だから。それで少し心配になったからさ。話したいことがあったら言って。聞くから。無かったら話すまで待つからさ。」


そんなことを言われても、これで何年も生きてきているし、問題はなかった。だから心配しなくても大丈夫。

そう言いたかった。でも、口は言うことを聞かない。


「無かったら無理やりにでも話すことを作らなきゃいけないんですか?」


私のバカ。なんで七瀬さんは善意で聞いてきてくれたのに、攻撃的になっちゃうんだ。

でも、こんな個人的な問題を一介の友達に打ち明けたところで何が変わるんだ、と思っている自分がいることも確か。


それに七瀬さんは何かの物語の主人公でも何でもない。何か不思議な力を持っているわけでもないしこんなこと、意味がない。これは私の問題なんだ。

自分の胸の奥にしまい込んでおくだけでいい。

だから、笑ってこう言う。


「七瀬さん。私は幼いころから今日まで、親がいなくても生きてこれました。だから大丈夫ですよ。この間は疲れていたせいで、変な思考に陥って泣いたようですが、もう問題ないです。平気です。」

「‥‥なにそれ。全然大丈夫じゃないじゃん。なんともない人は疲れても泣いたりしないよ。」

「そんなことはないです。それに、一人になったころならいざ知らず、どうして今泣くことになるんですか。」

「私に人の感情を読み取れなんて言ったって無理。でも分かるのは、白世さんが泣いて、それで私はそれを見たってこと。」

「全然問題ないんですけど‥‥七瀬さんはどうしたいんですか。」

「泣かせてあげる。だから今日家に呼んだの。ここならいつまでも泣いて大丈夫だから。」


七瀬さんは私が泣けば満足してくれるのかな。嘘泣きは苦手なんだけど。

そもそも泣いて解決するのなら私は脱水症状になるまで泣いて、泣いて、それで楽になれた。


「泣いても解決しませんよ。そんなことが出来たら世界はもっと平和です。」

「だったらいつまでもそうやって、抱えて、抑えて生きていくの?」

「はい。それが私に出来ることなので。気にしなくても大丈夫です。」

「寂しいんでしょ。だったら何で人と関わろうとしないのさ。私だっていいし、他の誰でもいい。誰かに頼らなきゃ。人は一人では生きられないんだよ。」

「頼りたくないんです。」


暖かく、傷ついた心を包んでくれるような。そんな七瀬さんを手放したくないと思ってしまう。


本当は駄目なんだ。私が愛したものは、一瞬で消えて無くなってしまった。

もう一度そうなるんじゃないかって、怖くて。二度とそんな思いは、したくなくて。


でも、それでも七瀬さんは私の大切で。いや、大切になってしまいそうで。


感情の整理がつかない。ごちゃごちゃになった思いは、簡単には消えてくれない。



そんな私の心に七瀬さんの言葉はじわりと、しみ込んでくる。


「じゃあ信じて。白世さんが、幸音がなんで人に頼りたくないかは分からない。でも、それでも私は味方でいてあげるから。裏切らないから。

だから大丈夫だよ。幸音。


頼れないんだったらそれでいい。一人になりたいんだったら、家にこもっていればいい。

だけどね、私はいつまでも待っててあげるから。‥‥‥まあ、基本的に私の方から行くんだけど。」


ぽたり。

ぽたりぽたり。


「そんなこと言って、私のこと何も知らないですよね。私が今まで何を思っていたのか分かりませんよね。

それに、裏切らないって何ですか。未来なんて誰にも分らないんですよ。どうして信じろだなんて残酷なことを言えるんですか。味方なんかいらないんです。

私のことなんか待たなくてもいいですよ。必要ないですから。」


泣いている。きっとそれが答えなんだろう。

でも、どうしても。

怖いんだ。


「いいんです。私にはもう、誰もいないんです。いて欲しくないんです。ずっと、ずっと‥‥‥私は弱いんですよ。」



私が変えられたのは、きっとこの時だった。


「弱くないよ。今までずっと耐えてきたんでしょ。

でも、もういいからね。私は幸音が頼れるようになるまで、いて欲しくなるまで、ずっと待ってるから。」


「保証できますか?無理ですよね。」


これは最後の抵抗だ。

でも、それすらもあっさりと壊される。


「そうだね。人の言葉には絶対はない。私だってもしかしたら嘘をついてしまうかもしれない。待てないかもしれない。

でもさ、幸音だってずっと大丈夫なんて限らないでしょ。嘘じゃないなんて言えないでしょ。

だから確実じゃないものを信じるの。それが人間なんだよ。」


なんだそれ。訳が分からない。

だけど。

そう言って笑う彼女が、ただひたすらに眩しかった。

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