編入試験②

 この編入試験が今日行われることを知ったのは一昨日だった。

 慌てて叔父の毛染めを貸してもらい、金髪を黒く染め直した。

 自分では完璧のつもりだった。

 完璧? 俺の短い人生で完璧なるものがあったか?

 全く笑えるよ。

 あのショートボブの彼女は気を利かせて言ったわけではない。俺のことを思って染め残しを指摘したわけではない。

 今になってそう思う。

 明らかに面白がっていたのだ。冷静になった今ならわかる。


 面接で何を聞かれ、何を答えたか、ほとんど覚えていない。

 金髪の染め残しは鏡に向かって見えないところにあったのだろうから、後ろかな。じゃあ後ろを見せるわけにはいかないな。などと考えてばかりいた。

 正面に面接官の教職員が三人いた。それだけなら良かったのだが、両サイドに何やら着物を着た婦人とか、学校の教職員らしくない人物が何人かいて、こちらを観察しているようだった。編入試験の面接にPTAが参加するのか? どんな学校だ。

 その人たちに俺の頭の後ろや横を見せないようにできるだけ首を動かさないよう心がけていた。

 今思い出してもバカだ。完全にやらかしたな。

 試験の出来も今一つだったし、これで不合格なら仕方ないだろう。やるだけやってダメだったのだから祖父じじいも何も言うまい、と俺は他人事のように思った。


 面接が終了した者は順次帰って良いことになっていた。だから俺は帰り支度をして控え室を出た。

 不合格なら縁がなかった学校ということになる。東京の学校に通ってみるのも良いと思い始めていただけに寂しさのような感情が湧いてきて複雑だった。

 何をやっても中途半端なんだよな、俺は。


 校舎を出たところで制服姿の女子生徒に声をかけられた。「新聞部の者です、ちょっとお話うかがっても良いですか?」

 大きな黒フレームの眼鏡をかけた三つ編みの女子生徒だった。編入試験を受けに来た生徒全員にインタビューをしているらしい。

「お見かけしたところ、公立に通ってらっしゃる生徒さんですね」と彼女は俺の詰め襟を指して訊いてきた。「どちらから?」

「千葉の香取市佐原です」

 厳密には住所が佐原というわけではない。しかし駅名の佐原の方が有名だからそう答えた。香取市よりも佐原の方が通じるくらいだ。伊能忠敬いのうただたかの旧宅があるしな。

 最後まで純朴な男子生徒を演じきることにした。それが祖父じじいの顔を立てることにつながる気がしたからだ。

「佐原からですか……」彼女は眼鏡の奥の目を丸く見開き、どこか思わせ振りに相槌を打った。「……試験は如何でした?」

「できなかったです」素直に手応えを答えた。

「――そんなことはないでしょう。よくできた顔をしていますよ」

「え?」

「――一緒に勉強できる日を楽しみにしています」彼女は笑った。

 その笑顔に社交辞令は感じられなかった。

「――同じクラスになると良いですね」

 新年度の二年生のようだ。なぜわかったのだろう。

「――高等部の編入は二年生しかないですよ」彼女は俺の心を読んだかのように言った。

「ではまた」ぴょこりと可愛く会釈して、彼女は立ち去った。次の対象者を求めて。

 たいして何も訊かなかったはずなのに不思議な余韻だけが残った。何てことのないモブキャラみたいな姿なりをしているのに。

 この学園の生徒はみなこういう空気をまとっているのか?


 当初の予定では都内観光をしてから帰ろうかとも思っていた。渋谷とか原宿とか。

 まさにおのぼりさんだな。

 しかし試験を終えた俺はすっかり疲れていた。

 試験はできなかったし、面接はやらかすし。

 家は遠いことだし、寄り道をせずに帰ることにした。帰りは高速バスではなく在来線を乗り継ぐ予定だ。どこを経由するか決めていない。

 駅のホームに立ったっていると、聖霊女学館の制服を着たショートボブの彼女の姿が目に入った。

 彼女は俺を見て一瞬目を丸くして驚いた様子を見せたが、すぐにクールな顔になった。

 ここで会ったが百年目。というわけではないが、何か嫌味の一つでも言ってやりたい気になった。

 美少女とみるとちょっかいを出したくなる俺の悪い癖はここでも顔を出す。

「面接は散々だったよ――」俺は伊達眼鏡を外した。「――何を答えたのか全然覚えていない」

 それもこれもお前が余計なことを教えてくれたからだ。という台詞は消えていた。

 馬鹿馬鹿しい。

 別に彼女が悪いわけではない。俺が勝手に動揺しただけだ。

 修行が足りんぞ! と、祖父じじいなら言うだろうな。

 不思議なことに嫌味をいう気はいつの間にか失せていた。眼鏡を外したからか?

 何気なく彼女の顔をうかがうと、その目は俺をじっと見つめていた。

 何だよ、こんどは何て言うつもりだ?

「あんた、そんな顔だったんだ……」

「ん? 伊達眼鏡、似合ってなかったか?」

「その制服からしてわざとらしかったからね」

「やっぱり? 慣れないことするもんじゃないな」俺は思い出したように喉元のボタンを外し、制服をゆるめた。

 きっと無理矢理喉元を締め付けていたのがバレバレだったのだろう。

 俺はようやく試験後の解放感を味わった。

「――ヤンキー上がりね」

「そうでもない。ってか、お前、口の利き方悪いな、聖麗女学館だろ。御嬢様学校じゃないのかよ」

「相手に合わせてるだけ」なるほど! 納得だ。

 しかし身なりは完璧なお嬢様なのに、口は明らかに悪い。俺に合わせたというがこれがなのではないか。絶対にだろ。

「なんで御堂藤の編入試験なんか受けてるんだ? まさか素行不良で退学……」になったのではないかと俺は思った。

「か、家庭の事情よ! あんたこそヤンキーが髪染め直してなんで受けてんのよ」

「家庭の事情だ」俺は笑った。

 息があった漫才かコント。俺は本当に可笑しかった。

 電車が来たので同じ扉から乗ることになった。

 微妙な距離をおいていたが話はできた。離れることをしなかったのは、互いに、逃げたと思われたくなかったのかもしれない。

「遠いわ……」彼女は文京区にある聖霊女学館の寮まで帰るらしい。

「俺の方が遠いな」千葉の片田舎だ。

 俺たちは意味もない張り合いを続けていた。

「――転校が決まったら寮を出ることになる」

「自宅通いになるのか?」

「まあそんなところね」

 いちいち思わせ振りな言い方だと俺は思った。寮を出たのなら自宅だろ。

「――寮の方が良かったのか?」

 その問いに彼女は答えなかった。今さら家族と同居など考えられない、といったところか。

 俺も自分に当てはめて考えた。

 両親と死に別れ、祖父や叔父の家族と共に育った。

 彼らは優しく、自分を本当の家族として扱ってくれた。

 今さら父方祖父の一族と暮らすなど考えられない。

「まあ、俺は編入できないだろうがな」俺は独り言のように言った。

「せっかく髪染めたのに?」彼女は可笑しそうな顔をした。「その努力が報われると良いのにね」

「本気で思ってないだろ!」

 漫才のやりとりは続いた。それを楽しんでいたのは俺だけだったかもしれないが。


 代々木上原で彼女は乗り換えのために降りていった。

 もう会うこともないだろうと思いながら、俺は軽く手を振り彼女を見送った。

 そういえば名前を訊かなかったな。俺も名乗らなかったし。

 少し惜しい気もする。

 編入試験に受かっていれば彼女とまた会うことになるのだろうか。

 俺は東京駅で土産物売り場に立ち寄り、土産物を買いあさって佐原の家まで帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る