終業式 担任に挨拶する
終業式の日、俺は改めて担任の
すでにその日の行事は終わっていた。来年度もこの高校に通う者はすでに下校し始めていた。
職員室を訪れるのは何か特別な用事がある者だけだ。
「先生、お世話になりました」
俺は深々と頭を下げた。おそらくこれほど下げたことは今までなかっただろう。
「向こうでも頑張ってね」芦崎は微笑みながら言った。「こちらで頑張っていたかどうかは君自身にしかわからないだろうけど」
「なんか、少しひっかかる言い方ですね。まあその通りですけど。どちらかというと迷惑をかけた方ですから」
少し離れたところにいた
「そうか、今日でお前と会うのも最後なんだな」まるで卒業生を見送るかのような顔になっている。
「蒔苗先生にはしごかれましたからね。それも懐かしい思い出です」
「寂しいことを言うな。あれはお前が手を抜くからだ」
「先生と遊ぶのは楽しかったですよ」
「俺も楽しかったぞ」
俺はウザいと思ったが、強張る笑みでどうにか蒔苗をやり過ごした。
「数学、頑張れよ。教師になるんだぞ」
「なりませんよ」という返しをろくに聞かずに蒔苗は自分の席に戻った。
「鮎沢君、数学教師になるんだ?」芦崎の方が目を丸くしていた。
「それは蒔苗先生の勝手な思い込みです。俺の将来はまだ見えません」
蒔苗はもう自分の世界に戻っていた。しかし
「先生は来年度、二年生の担任になるのでしょうか?」
「多分そうなると思うけれど確定ではないわね。月末にいきなり他の高校への異動を言い渡されることもあるし」
「そうですか。従兄の
「君の悪ダチというのがわからないのだけれど?」俺は膝崩れを起こしかかった。
誰のことを言っているのかわからないようだから何人か具体的に名前を挙げた。
「成績が思わしくない生徒ばかりね」一応担任だから名前を言われれば顔も浮かび、成績も記憶から呼び出せるようだ。
「――君に頼まれたからと言ってしごくことにしましょう」
「お願いします」俺は笑った。
「ところで先生」そこで俺は声を潜めた。西銘の耳には絶対に入れない。
「何かしら?」つられて芦崎も声を潜める。
うん、良いね。
何となく禁断の会話が始まりそうな気配で俺は高揚した。
「蒔苗先生から何かアプローチがありました?」
「その言葉、どういう意味で使っているのかしら?」
「デートの誘いがあったかと訊いているのです」
「蒔苗先生は同僚ですよ。そんなことあるわけないじゃない」やはり芦崎は蒔苗のこれまでの行動の意味を全く理解していなかった。
「いや、蒔苗先生は常に芦崎先生をデートに誘っているのですよ。たとえば二月に神宮の祈年祭に行きましたよね?」
「ええ西銘先生と三人で」
「はじめは蒔苗先生と二人だけで行く予定だったでしょう?」
「そうだったかもしれないわね。でもすぐに西銘先生も一緒という話になりましたよ」
「結果的にはそうですが、そのように二人でどこかに行きませんかというのがデートの誘いなんです」
「でも祈年祭は胡蝶さんが舞いをするので観に行く話だったのよ」
「それは単なる理由ですよ。こじつけです。男は何かとこじつけをして女を誘うのです」
「鮎沢君もそんな風にして誰かを誘ったことがあるのね?」芦崎は可笑しそうに微笑んだ。
「あることはありますが」
「それは誰なのかしら? とても興味があるわ」
「中学の時だから同級生とかですよ」俺は適当にぼかした。
「楽しそうね。デートって楽しいのかしら? 私、したことないからわからないわ」
「いや、多分、先生もデートしたことあると思いますよ。ただそれがデートだったことに先生が気づかなかっただけです。男と二人でどこかに出かけたことあるでしょう? 食事を二人でとるのも数えます」
「どうかしら、あったかしら、そういうこと」芦崎は目だけで上を見上げた。
「先生に可愛い面があることを今頃気づきましたよ。遅かったです」
教室にいる時の芦崎しか記憶になかった。転校の話が出て、芦崎と面談する機会が増えてようやく芦崎の人となりがわかったのだ。
「私、可愛いのかしら。よく人には可愛げがないと言われてきたのだけれど」
「とっても可愛いですよ。だから心配です。くれぐれも中年バツイチ男には気をつけて下さい」
「さすがに私も一回りも離れた方とお付き合いする気はないわ。ブラスマイナス五歳くらいが良いかしら」
「それだと俺は入らないんですねえ」
「何を言っているの。問題外でしょう。君は生徒なのだから」
「もし先生が気になる男性ができたら俺に連絡して下さい。東京からでも駆けつけて、そいつが良い奴かどうか見極めてあげますから」
「頼もしいわね」芦崎は笑う。
「本気ですよ」
「わかったわ」
「わかったのならメアド交換して下さい」
「あら、どうしましょう、慣れないから大変だわ」と言いつつ芦崎はメアド交換に応じてくれた。
「これで俺も学校の様子を連絡しますよ」
「それは楽しみね。待っているわ」
とても幸せな気分になって俺は芦崎に別れを言い職員室を後にした。
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