卒業式の日、西銘は絡んでくる

 卒業式を迎えた。

 この春卒業する者に対して何か特別な思い入れはない。部活をしていなかったし、二年離れていると関わることもないからだ。

 俺にとって敬うべき先輩はいなかった。

 ただ一人、幼馴染みである神津真冬こうづまふゆのみが送り出す対象だった。

 その真冬とは、遠くから強烈な視線を送って彼女にどうにか気づいてもらい、手を振り合うことくらいしかできなかった。

 あっけない卒業式だな。

「寂しそうね」いつの間にか佐内一葉さないかずはが横に来ていた。

「春からの大学生活が楽しみでしょうがないのじゃないか?」

「真冬さんではなくて、君だよ」

「俺はここを離れる身だからさ。俺もまた卒業みたいなものだな」

「だったら残り少ない日々を有効に使ってね」

「そうだな、真冬とかお前とか、他に軽部たちその他大勢とかと遊びまくるか。といってもバイトが目一杯入っている」

「私を君の悪ダチに混ぜないでもらいたいわ」一葉は不服そうな顔をした。

「登校日はあと少し。そして春休みはずっとこちらで過ごす。東京に行くのは向こうの始業式の前日にした。その日にあっちのじいちゃんに初めて会うんだ」

「そんなギリギリ日程にしたの?」

「バイトの引き継ぎがあるからな」

 春休み中に学生や高校生の臨時バイトを何人か雇う。その中から店長がこれはと思った人材にその後の定期アルバイトとして勧誘する話になっていた。俺は店長と一緒に新人にキッチン業務を教えるのだ。

 しかし春休みずっとこちらに残っているのはそれだけが理由ではなかった。やはり生まれ育った土地を離れるのは心寂しいものだ。最後までここでの生活を満喫したかった。

「あらー、やっぱり一緒にいる」

 西銘にしなの声がした。時々気配を感じさせないから不気味だ。

「素行を学級委員に注意されていただけですよ」俺は適当に返した。

「うまい理由があるのね?」

「先生の方こそ担任でもないのによく声をかけに来ますね」

「それはもうお気に入りの二人だから」隠さなくなったな、こいつ。あからさまだ。

「でも俺、四月からいませんから」

「え?」

「知りませんでしたか、俺、転校するんですよ、東京の学校に」

「それ、本当の話になったの? 試験は受けるけど落ちる予定じゃなかったの?」

 西銘の顔から微笑が消えていた。珍しく俺の転校情報が西銘まで届いていなかったようだ。

「実は俺、亡くなった父方の家が大富豪で、その後継ぎとして迎えられることになったんです。編入試験も形だけで零点でも通るんです」

 隣で一葉がプッと噴いた。

「何、そのふざけた冗談」

「ま、後継ぎは冗談ですが、父方の家に行くことになったのは本当です」

「そうなの?」

「西銘先生とお別れするのは忍びないのですが、これもまた運命というものです。ということで佐内さんのことよろしくお願いしますね」

「ちょっと何言っているのよ、余計なことを」一葉が慌てて間に入った。

 一葉としてはもう西銘とはかかわり合いたくないのだ。

 しかし俺としては一葉に余計なちょっかいをかけさせないよう西銘を牽制する意味合いがあった。

「わかったわ」西銘は不気味に笑みを浮かべた。そして一葉に向けて「少しの間、鮎沢くんを貸してくれる?」と訊いた。

「どうぞご自由に。しかしスマホカメラが遠くから狙っているかもしれないので気をつけて下さいね」

「それはもう重々理解しているわ。さすがにこれだけ生徒がうじゃうじゃいるところでキスしたりしないわよ」

「では失礼します、ビッチ先生」

 西銘がわずかに歯噛みしたのを見て一葉はペロリと舌を出し、去っていった。

「悪気はないんです、許してやって下さい」俺は笑いをこらえた。

「わかっているわよ」西銘は改めて俺と向き合った。「――て、どういうことなの? どうして転校することになったの? どうしてそれを言わないの?」

「クエスチョンマークが多いですなあ」

「どこまで私をバカにしてくれるのよ!」

「それは先生があちこち引っ掻き回して男女の仲を裂くようなことをしているからでしょう。もっとも、蒔苗まかない先生と芦崎先生はくっつける必要はないですが」

 芦崎が蒔苗を好きならそれでも良いと思ったこともあるが、どうも芦崎は恋愛感情に疎いようだ。誰かを好きになったりしないから蒔苗に好意を抱くこともない。

 多分、永遠の処女だな。うん、それが良い。

 それがわかった以上、蒔苗はただのモブキャラになった。

「だから西銘先生、蒔苗先生を差し上げますよ」

「いらない」あっけないくらいはっきりと拒絶した。「はじめから何とも思ってない」

「やっぱり?」俺は脱力した。「蒔苗先生から三倍返しもらいました?」

「うん、何か高そうなお菓子はもらった。お腹の中に消えたわ」

「おいしかったですか?」

「それはまあ……」

「良かったですね」

「やっぱりバカにしてるでしょう!?」

「滅相もない」俺は笑う。「ただ、どうして西銘先生が学校で引っ掻き回すようなことをするのか気になります」

「私も君の行動様式が気になるわ。規格外だもの」

「俺のキス魔はただの病気ですから気にしないで下さいね」

「病気のせいにするんだ?」

「だってそれ以上のことはしたことないですよ。俺は奥手なもので」

「よく言うわ」

「俺がいなくなったからといって好き放題にやらないで下さいね。学校の情報は俺にも入って来るんで、先生の傍若無人の振る舞いがひどかったら帰ってきます」

「じゃあもっと暴れようかしら。そうしたら鮎沢くん、帰ってくるのよね?」

「何すか? それ」

「だって鮎沢くんがいないとつまらないもの」

「暇つぶしにされても困りますね」

「君には責任をとってもらわないと」西銘は俺の耳元に口を寄せた。「私のファーストキスを奪った罪は重いわよ」

「は?」

 西銘はウインクして楽しそうに笑い、去っていった。

「あのビッチめ!」どこまで俺をからかうんだ。

 俺は口を歪めた。

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