消化しきれない俺

 翌日、俺はあれこれ考え過ぎて気分がすぐれなかった。

 昨日、突然父方の叔父が訪ねてきて、俺を父方祖父に会わせてやってほしいと母方祖父に伝えたのだ。

 それを聞いて、それまでほとんど意識することがなかった実の両親について想いを馳せることになった。

 といって両親の記憶があるはずもなく、実際のところ想いを馳せるどころではない。

 父方祖父に会ったとしてどのような顔をしたら良いのかもまるでわからなかった。

 そしてそれまで全くといっていいほど考えてこなかった将来のことを考えた。

 父方祖父の事業を手伝うという選択肢。

 母方祖父と叔父一家には世話になったが大工の手伝いをするつもりはない。雷人らいとも後を継ぐかどうか不明だ。

 二人とも家を出たらこの家は叔父の代で終わるだろう。飛鳥あすかが大工の婿養子をとらない限りは。

 飛鳥がそんなことをするとは思えなかった。

「まだ眠いの?」飛鳥が顔を覗き込んでいた。

 心ここにあらずというていで朝食をチマチマ食べていたからだ。

「この時期は冬眠だな」

「兄貴はもう朝練で行っちゃったよ」

「俺は雷人と違って大物だからな」

「はいはい」

 適当に残りをかきこんで飛鳥とともに家を出た。

 自転車通学は寒い。手袋とマフラーは必須だ。

 飛鳥はさらに使い捨てカイロを制服の内側に入れていた。

 その飛鳥と別れ、俺は登校した。


 いつものように軽部かるべをはじめとする悪ダチどもが寄ってきて、いつものようにグダグダ言い合う。

 しかしふだんよりも少しぎこちなかった。

 悪ダチは気づかなかったようだが、学級委員をしている佐内一葉さないかずははやはり俺の変調に気づいた。

「何かあったの?」

「別に」俺はとぼける。

 例によってトイレに立った後の階段踊り場だ。短い密談には向いている。

 教室ではおよそ接点のない組み合わせなので、通りすがりの挨拶を装って会話するのが俺たちの習慣になっていた。

胡蝶こちょうさんにふられた?」

こくってない」

「そうよね、火花ほのかは告るんじゃなくていきなりキスだものね」

「あれは挨拶みたいなもので、日和ひよりともしている」

「えええ!? それは地味にショック!」

「特別だと思っていたとしたらゴメン。イテ!」わき腹にツキが入った。

 いつの頃についた癖なのか、こどもの頃から気になる女の子にブチューっとキスする習性が俺にはあった。

 本当に見境がなかった。小学校低学年まではそれで何人もの女の子を泣かせた。

「それで勘違いした私がバカだった」

「いや、お前のことは本気で好きだったぞ」

「その本気があちこちにいるんでしょうが!」

「すまん、これは一種の障害のようなものだ」

「何でも発達障碍しょうがいにするでない」

「ゴメンナサイ」

 人が通りかかったので話は中断する。

「ほんとうに……」一葉は腕を組んだ。

 その前で俺は小さくなっていた。教室では絶対に見られない光景だ。

「胡蝶さんのせいでないとしたら、西銘にしな先生に何か言われた? あるいは何か仕返しされた?」

「いや、別に」

 そう言ってしまってから不穏な空気を感じて俺はその方を顧みた。

「あら、珍しい組み合わせ」と嬉しそうな声をかけてきたのは西銘だった。

 噂をすれば影が差す。

「叱られているんですよ」俺は誤魔化した。

 一葉は腕を組んだまま、西銘をチラリ見て、慌てた様子を気取けどられないように腕をほどき、いつもの優等生の姿勢で西銘に頭を下げた。

「先生、お疲れさまです」

「邪魔しちゃった? ごめんね」

 西銘もまた授業中には絶対に見せない小悪魔の表情になっていた。

 これが素の西銘ではないか。

「鮎沢君、てっきり胡蝶さんかと思っていた」

「そうですよ」俺は隠さずに言う。「日和ひよりです」

「なのに佐内さないさんとも良い雰囲気。夫婦みたいだったわ」

「どこが? です」

 俺はとぼけたが、一葉は少し顔を赤らめて目を泳がせた。

「何だよ、お前、キョドるなよ」俺はやれやれと肩をすくめた。「中学の時の元カノですよ」

「えええ!?」これにはさすがの西銘も驚きを隠せなかったようだ。「やることやってるのね」

 続いて「うらやま……」という小さな言葉が聞こえた。

「公立じゃ珍しくないですよ、こどもつくっちゃうやつもいましたから。あ、俺たちは健全ですよ。品行方正です」

「ど、どうだかな」西銘はたじたじとなった挙げ句、「じゃあ、ゆっくりとね」と言い残して去っていった。

「西銘の名前を出したの、聞かれたかな」俺は一葉に訊いた。

「どうかしら。でも西銘が気配を消して近くに潜んでいることがある、とわかっただけでも収穫だわ。これから気をつけよう」

「そうだな」

 それで二人は離れた。

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