訪れた男

 その日は平穏に終わった。バイトがある日だから俺は例によって悪ダチどもの誘いを断り、真っすぐに家に帰ってきた。

 門が開いている。何となくいつもと異なる空気が流れている気がした。

 家の駐輪スペースに自転車をとめる。

 広い駐車スペースに黒塗りの高級車が一台とまっていた。見たこともない車だ。

 これが違和感の正体か。

 俺は好奇心を抑えられずその高級車に近寄った。

 中を覗こうとしたが、サイドはスモークになっていて、フロントガラスしか中を見透せなかった。

 ひとの姿はなかった。

 真っ白なカバーで包まれたシートは、さながらハイヤーのようだ。荷物らしきものはほとんどなかった。

 しつこく腰を曲げて中を覗いていたら、後ろに人の気配を感じた。

 玄関からいかにも高級ハイヤーの運転手といった格好の初老の男が出てきた。急ぎ足で車に向かってくる。

 俺は上体を起こした。

 次に叔母の玲子に見送られる形でスーツ姿の男が玄関から出てきた。年の頃四十代後半か。

 細身に見えてよく引き締まった体だ。

 この寒さでもコートは着ていない。車までの短い距離だから着ていないのだろうが、しっかりと背筋を伸ばし、全く寒そうには見えなかった。

「本日は突然伺い、失礼しました。寒いですので、もうこちらで結構です」男はソフトな語り口で叔母に頭を下げた。

「何もお構いできませんで、申し訳ございません」

 エプロンを外していたとはいえ、叔母は普段着だった。にもかかわらず叔母の態度はふだん家にいるときのものではなく、どこかよそ行きの、かつて仕事をしていた時のもののように感じられた。

 叔母が俺の姿に気づいた。

 ふだんなら遠くからでも「おかえり」と声をかけるものだが、その時の叔母は声をかけることに戸惑いを感じているように見えた。

 男が俺の存在に気づいた。叔母が俺に気をとられたからだろう。

 男は俺の方に足を向けた。

 目の前まで来た男は、対峙してみるとそれほど大きくはなかった。背は百七十四センチの俺よりも少し低かっただろう。

 叔母に向ける顔は柔和で優しそうなものだったと思うが、俺を見る顔は違っていた。

 目付きが鋭く、相手を威圧する気を感じた。

 その目は俺の目をじっと見ているようで、視野の片隅で俺の全身を観察しているようにも感じられた。

 値踏みされている、と俺は思った。

「君が火花ほのか君だね」男は鋭い目付きのままソフトな口調で言った。「お母様の面影がある」

「母をご存じなのですか?」

「僕が恋した人だからね。とても素敵な人だった……」

 なんてキザな野郎だ。そんなくさい台詞を口に出せる男を俺は知らなかった。

「これは失礼した。僕は東矢とうやと申すもの。また会える日を楽しみにしているよ」

 言いたいことだけ言ってその男は口許くちもとにわずかな笑みを浮かべ、最後にもう一度叔母を振り返って一礼し、そして車に乗った。

 運転手が扉を開けて待つ様子などを見る限り相当な人物なのだろう。

 車が静かに動き出した。

 門を出るのを最後まで見送ってしまった。そして俺はバイトがあることを思い出した。

「おかえりなさい」玄関を入ったところに叔母が待っていた。

「今の誰?」俺は訊いた。

「私の口から言うことではないけれど」叔母は明らかに逡巡していた。少し間をおいてから言った。「あなたのお父さんの弟にあたる人よ。あなたの叔父さんね」

「へ?」俺は間の抜けた反応をした。

「詳しい話はおじいちゃんから聞いて」

 何だよ、それ。祖父じじいからまともな話なんて聞けねえよ。

 それに時間はない。

「じゃあ俺はバイトがあるから」

 話を聞くのは帰ってからだな。聞けるかわからないけれど。

 俺は私服に着替え、叔母が用意してくれたおにぎりを受け取り、バイクに跨った。



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