鮎沢家一家団欒

 俺と飛鳥あすかは先に家に帰った。

 叔母の玲子れいこがひとりで夕食の支度をしていて、祖父の晴明はるあき、叔父の歳也としや、従兄の雷人らいとはまだ帰宅していなかった。

「じいちゃんたち、まだなの?」叔母に訊いた。「――車で行ったのに」

「いろいろとつきあいがあるのよ」叔母は答えた。

 祖父と叔父もまた神宮に参った。本殿の行事を間近で見たはずだ。境内の補修を担当する者だから特別席が用意されている。特等席で日和ひよりの舞を観たはずだ。

 あの二人が日和の舞に何を感じたかわからない。祖父はどんな動きにも武道の動きを見出だすようないかれた男だった。

 やがて、部活をしていた雷人が帰ってきた。

「どうだった? 日和ひより」雷人はやはりそれが気になるのだろう。

「小さくて、よく見えなかったよ」俺は正直に答えた。

「遠くからでも日和ちゃんてわかったよ」飛鳥が答えた。

「――そうか、やっぱり遠かったか」

「それがわかっていたから行かなかったんだろ、お前」俺は訊いた。

「俺は部活があったから」そう言って雷人は自室に着替えに行った。

 叔母を含めた四人で先に夕食をとることとなった。

 八畳二間をぶち抜いた和室が鮎沢家の居間になっている。縁側を隔てて広い庭。このあたりでは豪邸の部類に入る。

 大きな座卓の上に料理を並べるのを俺と飛鳥は手伝った。

 やがて雷人も姿を現し、同じように手伝う。

 いつ祖父と叔父が帰って来るかわからないから、二人の分も茶碗と箸を用意した。

 さて先に食べようかというタイミングで、祖父と叔父は帰ってきた。

「見事じゃったなあ……」祖父の声が聞こえた。

「あらあら、おじいちゃん、もう飲んでいるのね」叔母は声だけで理解する。

 雷人が立ち上がり、二人を迎えに行った。

 祖父の晴明は七十歳。最近、歳相応の喋り方をするようになったが、十歳は若く見える。いまだに街で女性に声をかけるので、身内は恥ずかしくて仕方がない。特に飲んだら歯止めが効かなかった。

 車を運転する叔父は飲まなかったようだ。いつも祖父だけが飲む。しかし帰ってきたら叔父が飲む番だった。

「日和ちゃんも良かったが」祖父はたいそう機嫌が良かった。「神津こうづのところの真冬は素晴らしかった」

 神津真冬こうづまふゆの家は造園業をしていて、真冬の祖父は庭師として、家を建てる俺たちの祖父と仕事仲間だった。

 だからという訳でもなかろうが神津真冬も小学校低学年の頃は祖父の道場に通ったひとりだ。

「だからって、真冬ちゃんを口説くなよ、こっちが恥ずかしいだろ」

 またかよ! そのときの様子が目に浮かぶ。

 祖父の晴明は俺を含めた三者面談で担任の芦崎に個人的な質問を矢継ぎ早にしたことがあった。若い女性それも美人となれば見境がない。

「顔見知りじゃなかったら、ただの変態じいさんだと思われるな」雷人は祖父を一刀両断に切り捨てた。

「はずかしー」飛鳥も頭を抱えている。

「今年で巫女卒業とか言っておったが、彼氏でもできたのか?」

「発想がだな」俺は吐き捨てた。「真冬はこの春卒業だよ。第一志望の京葉大に受かったら独り暮らしを始めるんじゃないかな」

「もう、そんな歳だったか」

「その話、本人としていただろ、聞いてなかったのかよ」叔父は呆れている。「覚えてないなんて、ボケたもんだ」

「ワシは過去は振り返らん」祖父は偉そうに笑っていた。「真冬に嫁に来てもらおうとも思ったが、雷人も火花も真冬に興味がないのか?」

「二つも年上じゃないか」雷人が言った。

「こんな家に来るわけないだろ」俺は呆れた。「じいちゃんの相手ができるのは、叔母さんが最後だよ」

「あら、火花、よくわかっているわね」叔母の玲子は笑った。

 叔母はよくできた人間だった。彼女でなければ鮎沢家の嫁は務まらなかっただろう。

 今の時代に、こんな男尊女卑の男が幅を利かせている家に嫁に来る者はいるまい。

 そもそも結婚は、女が嫁として家に入る時代ではなくなっている。

「だったら、雷人らいと火花ほのかの嫁は日和ひよりか?」懲りもせず酔っ払い祖父は呟くように言った。「どっちが日和をめとるんだ?」

「そんな話、するなよ、じいちゃん」雷人もとうとう呆れてしまった。

 雷人の方ががあるかな。

 鮎沢一家揃っての夕食が始まった。

 しかし、祖父が酔っていては和気藹々というわけにもいかない。

 飛鳥が「ああ、やだやだ、酔っ払い」とか言い、さっさと食べ終えて自分の部屋に逃げた。叔父の歳也も飲み始めたからだ。

「今日は祝日だし、久しぶりに麻雀するか」祖父が言い出す。

「そうですわね」叔母の玲子は意外と麻雀が好きだった。しかも強い。「でも誰が後片付けをしてくれるのかしら?」

「俺がするよ」雷人が言った。

 酔った晴明と歳也を相手に麻雀を始めるといつ終わるかわからないから、雷人は加わらなかった。

 この一家で雷人がもっともまじめな人間に育ったと俺は思う。そう育てたのは素面の祖父と叔父なのだが、酔っているとどうしようもない。

「では、俺は麻雀の方に加わるよ」俺は言った。

 そうして、祖父の晴明、叔父の歳也、叔母の玲子に俺を加えた四人で麻雀をすることとなった。

 祖父が酔っているので半荘で終わるはずだ――多分。

 鮎沢家では正月を麻雀三昧で過ごす。雀卓がついた炬燵が二月になってもそのまま居間に残っていた。

 じゃらじゃらと牌をまわしながら、家族の会話が始まる。

「神津のところの真冬が巫女を引退するんだ」祖父が話を始めた。「彼氏でもできたのか?」

「さっき、話しただろ」やっぱりボケてるな。重症だ。「高校卒業するからだよ。京葉大に合格したら一人暮らしするんじゃないか」

「京葉大なのか」叔父の歳也が感心する。京葉大は県下にある国立大学だった。

「別に、雷人でも行けるんじゃね?」俺は他人事のように言った。

「なんじゃ、お前は行かんのか?」

「俺が行けると思う?」

「赤点とりだったな、火花は」叔父が言った。

「火花はできるよ」叔母が口をはさむ。「本気を出していないだけ」

韜晦とうかいじゃのう」祖父は笑った。

「トウカイ?」

「能ある鷹は爪を隠す、みたいな意味」叔母が教える。

「そんないいもんじゃないよ」

「数学ができるものね」叔母は言いかけて口をつぐんだ。

 それがおそらく母親に似て、と言いかけたみたいで俺は気になった。

 やはりここでは実の母親の話は禁句になっている。いつか話してくれる日が来るのだろうか。

 といって、会ったこともない母親のことをどうしても聞きたいとまで思わなかったが。

「あ、それ、タンヤオ、ドラ三」叔母が叫んだ。

「いきなり満貫かよ」叔父がぼやく。

「配牌でドラ暗刻になってたから」叔母は笑う。

 なぜか叔母は叔父からむしり取るのを生き甲斐にしていた。

 俺に親がまわってきた。普通なら安い手で上がり続けるのだが、叔母から目配せがあったので、叔母に任せることにした。

「雷人も火花も春には二年生になるのか?」今さらのように祖父が訊く。「そして飛鳥は中三か」

「飛鳥は受験だな。雷人たちと同じ高校に行くのかな」叔父は叔母に確認するように訊いた。

「どうかしらね」

「は? お前、聞いてないのか?」

「そんなの、まだわからないでしょ、リーチ」

「マジかよ!」叔父は驚く。

 三巡目でもうリーチだ。

「ついてるかも」叔母は嬉しそうだ。

 祖父の酔いが醒めていればもう少しどうにかなるのだろうが、叔父では叔母の相手にならない。

「東京の私立に行きたいって言い出すかもしれないじゃない」

「東京って、どこから通うんだ? まさか一人暮らし」

「いざとなったら、私と飛鳥で東京に住むわよ」

「おっと、それは問題発言」俺は茶々を入れた。「置いて行かれる男たち」

 飛鳥と叔母がいなくなったら、ここには男しか残らない。祖父、叔父、雷人、そして俺。それを茶化して言ったのだった。

「何か気に入らないことでもあるのか」叔父はおろおろしている。酔っているとまともな判断もできない。叔母が男たちをおいて出ていくはずがないのに。

 いや、あるかな。

「あら、リーチ一発つもっちゃった」叔母は笑った。「ついているわあ」

「なんじゃ、つまらんのお」祖父がつぶやいた。目はとろんとしている。

 叔母に親がまわった。

「雷人と火花は進路を決めたのか?」叔父は訊く。

「俺はわかんねえ。だから高二のクラスは文理混合クラスにしようと思っている」

「それで良いのか?」叔父は俺に訊いたのだが、その顔は祖父を窺っているように見えた。

「火花は理系でしょ」叔母は言い切る。「医学部が良いんじゃない?」

「え、何言ってるの?」俺は叔母を見た。「行けるわけないじゃん」

「その言い方だと、行けるのなら行きたいみたいに聞こえるわ」

「全然興味ないんだけど。思ったこともない」それに唐突過ぎるぞ。

「医者でなければいけない理由はないがな」祖父がつぶやいた。

 叔父は黙っていた。

 その時の三人の様子はどこかただならない様子だった。

 何か隠し事があるような。

 叔母が手を抜いたため、俺は安い手で上がることができた。

 祖父と叔父が酔っていたため、親が上がることなく、一時間程度で半荘は終わった。

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