眠れる塔の美…?
こう
第1話 お任せください!
エマ・ベルンシュタインは激怒した。必ず、彼の邪知暴虐の呪いを除かなければならぬと決意した。
エマには呪いがわからぬ。エマは女騎士である。可憐な王女に忠誠を誓い、幼い弟の手本となるべく鍛錬に励んで来た。だからこそ年下の王女に対する理不尽に対しては、人一番敏感であった。
イヴァンジェリン王女が泣いている。
それだけでエマが激怒するには十分だった。
「という訳でお覚悟!」
「どういうわけだ!」
エマは己の手足である槍を勢いよく突き出した。自分でもどうなっているのかわからないが、それでも分身である武器が手元にあるのは何よりの幸運だった。そう、憎たらしいコンチクショウをブッ刺せるのはコイツしかいない。
しかし自己最速の突きは危なげなく避けられて距離を置かれてしまう。エマは盛大に舌打ちかましながら地面を蹴って追撃した。
「お前を殺してお前の呪いを解く!」
「矛盾しているぞ!!」
失礼な矛盾していない。エマにとっては呪いが解ければそれでいい。お前の安全など知るか。
数か月前、辺境伯が敵の罠にかかり眠り病と呼ばれる呪いにかかった。
この国では、お
お呪いを呪いに変える力を持つ者を魔女、もしくは呪い師と呼ぶ。
呪う力を持つ者は呪いの儀式を行わない限りその力を自覚することはないが…昔その所為で大きな事件が起きたらしく、今では10歳になれば必ず検査を受け、力の有無を確認する。その力はけしてマイナスではなく、
他国では「魔力」「神通力」「超能力」「スキル」など多様な呼び方があるが、恐らく力の源は変わらないと思われる。ただし、源が同じでも使い方が違えば効果も変わる。
この眠り病も、恐らくその一つだ。
眠り病とはその名の通り、昏々と眠り続ける呪い。
死んだように眠るが、身体は栄養を取らずとも必ず三年は持ちこたえる。ただし三年後には、眠り病にかかった相手は眠ったまま死に至る。
何よりこの眠り病の恐ろしい点は、呪いなのに病と呼ばれる理由―――眠り病は、感染する。
長年不確かだった呪いについて研究が進められている昨今、これほどの大きな呪いの儀式は国で管理し禁忌とされて居る。
呪いを罠として仕掛けたのは隣国の術者で、恐らくこの国で知られている眠り病と完全に同じ呪いではないと思われる。しかし全く違うものとも言いきれない。呪われた辺境伯は、解呪まで塔の最上階に隔離されることが決まった。
ちなみに我が国では、眠り病の解呪方法はまだ解明されていない。だからこそ禁忌として封印されている。
解呪で期待されたのはどんな呪いも解く万能の解呪法『真実の愛の口付け』
愛する者が呪われた者に口付けた時、どんな難解な呪いもたちどころに解呪されると信じられ―――数代前の王妃が実際にやり遂げて、今でも奇跡の乙女、聖女として伝承が残っている確かな解呪法だ。
その解呪方法に手を上げたのは若い娘たち。
辺境伯は大層見栄えの良い男だったので、恋い焦がれる令嬢は多かった。我こそは真実の愛の口付けで呪いを解く恋人だと令嬢たちは我先にと塔に上った。呪いが解けるならばそれも一つの手と令嬢たちを送り出した者たちはしかし、後悔することになる。
令嬢たちは一人残らず呪いを解くことが出来なかった。
それどころか、眠る辺境伯に触れた瞬間―――魂が抜けたように意識を失った。
眠り病は感染する。この部分は隣国の術と変わりないことが判明してしまった。
そう、感染するのだ。
つまり辺境伯の呪いを放置すれば…いずれこの国全体の人間が眠りについてしまう危険がある。
その事実を危険視した王は、かつて王子の呪いを解いた聖女の血筋である
『辺境の地に赴き、辺境伯の呪いを解いて来い』と――――。
シクシクと、すすり泣く声が響く。
透明な涙が滑らかな頬を滑り落ちていく様子は、見る者の胸を締め付けるほどの切なさを訴えていた。
エマは、目が溶けるほど泣いている主に心を痛めながら寄り添う。女騎士として鍛えられたエマのしなやかな腕は、縋りついて来る小さな王女の涙する姿をすっぽりと覆い隠している。控えている侍女たちも、切なげな主の様子に沈痛な面差しを伏せていた。
「無理…無理よ、わたくしには出来ないわ」
「イヴァンジェリン様…」
「
お父様だってご存じのはずなのに…クスンクスンと泣きながら、エマの主…王女イヴァンジェリンは華奢な肩を震わせた。
宵闇のしっとりとした髪に、星空を写した様な瞳。おっとりと優し気で幼気な王女は、父王の命令に怯えて泣いていた。
王は辺境伯が眠り病にかかったままでは国防ままならぬと判断し、王女にその解呪を命じた。かつて、王子の呪いを解いた聖女の血を引く娘だからというだけで。別に王女は呪いに詳しいわけでも、聖女と持て囃されていたわけでもないというのに。
確かに、数代前の王妃は王子の呪いを解いて奇跡の乙女と呼ばれた聖女だ。しかしそれは彼女が王子を愛し、真実の愛の口付けをしたからだ。真実の愛で呪いは解けたのだ。
不運を跳ね除ける幸運の持ち主だったという伝承も残っているが、彼女が奇跡の乙女と呼ばれたのは愛で呪いを跳ね除けたから。相手が王子だったから呪いを解けたのであって、奇跡の乙女と呼ばれても他の呪いを解くことは出来なかったはずなのだ。
伝承が曲解されて、今ではどんな呪いも解いて見せた聖女として信じられている部分があるが、血筋である王家は事実を正確に継承していた。
勿論イヴァンジェリン王女もそれを知っている。なので命じられてすぐ、自分にそんな能力はないと訴えた。しかし王はこう言った。
『お前は聖女の血筋だ。お前が辺境伯を愛せば問題ない』
「無理だわ…!」
さめざめと、王女は嘆く。桜色の唇がすっかり青ざめて、すっかり血の気が引いている。
「だって…だってわたくし、もう別の方を愛しているのですもの…!」
「姫様…」
「愛している方が他に居るのに、呪いを解く真実の愛の口付けなどできるはずがないわ…!」
現在イヴァンジェリン王女は15歳。貴族の令息令嬢たちが通うチャンル学園に入学している。その学園で、王女は愛する人と出会ってしまった。
相手はメルヴィン子爵令息―――王女が恋慕するには、身分に大きな差のある相手を、王女は愛してしまっていた。
互いに婚約者はいないが、容易く許されることではない。だから王女は王に命じられた時、その想いを告白することが出来なかった。諦めろと言われることが分かっていたからだ。いずれ諦めなければならない想いと知っていても、今はまだこの初恋を大事にしていたかった。今この時のイヴァンジェリンにとって、この恋が真実の愛だ。
しかしこのままでは、解けもしない呪いを解く為に辺境へと送られてしまう…無理だと分かっているのに命令には逆らえない。15歳の王女はさめざめと泣くしかなかった。
「エマ、エマ…っわたくしどうしたら…」
「姫様…とりあえず、国王陛下の記憶が飛ぶほどぶん殴りましょう」
「駄目よエマ不敬よ!?」
「僕も同意見かな」
「お兄さま!?」
泣き縋っていた王女は護衛騎士のまさかの返しに思わず顔を上げた。エマの春空色の目はガチだった。王女はその肩越しに、丁度部屋に入って来た兄の姿を見つける。兄の目もガチだ。
王太子トリスタン。煌めく金髪と涼し気な夏空色の瞳をした、さわやかな笑顔の似合う青年。いつも溌剌とした笑顔だが、今日は泣いている妹姫を痛まし気に見つめていた。
「可哀想なエヴァ…まったく、父上の聖女信仰は本当に困ったものだよ。聖女様が好きすぎて、聖女様の功績を誤解してしまっているのが愚かしい。そんな妄想に、可愛い娘を巻き込むなんて」
「お兄さま…わたくしは、わたくしは」
「泣かないでエヴァ。お前は何も悪くないし落ち度などない。奇跡の乙女と呼ばれる聖女だって、その奇跡は恋人である王子…夫のアルバート王にしか使えなかったんだ。お前がその奇跡を使えたとしても、その相手は辺境伯ではないのだろう?」
言われて、王女の頬がぽっと染まる。
泣き過ぎて血の気の引いていた頬に灯った紅に、見守っていた周囲がほっと息をつく。先ほどまでさめざめと泣いていたのに、今は照れくさそうにもじもじしている。その様子が健気で愛らしい。
トリスタンは満足げに微笑んで、妹姫の柔らかな宵闇の髪を撫でた。
「大丈夫だエヴァ。父上のことは僕が何とかする。だから安心して」
「で、でも…でも、お父様はもう辺境に聖女の血筋を送ると使いを出したはずです」
「大丈夫大丈夫。真実の愛に血筋なんて関係ないし、辺境伯に恋している令嬢はまだあちこちにいるさ」
「ですが王の書状を違えるわけには」
「父上のうっかりにすればよくない?」
「お兄さま!」
「お話し中失礼します、両殿下」
怒る妹姫と宥める兄王子に、すっと平坦な声がかかる。
それは、王女をずっと支えていた護衛の女騎士、エマの声だった。
「どうした?」
「陛下の言い分をそのままに、姫様を送り出さなくて良い方法があります」
「そう、どんな?」
夏空色の瞳が愉快そうに歪む。その目をじっと見返して、エマは青黒い髪を揺らした。
「聖女イヴの生家、ベルンシュタイン伯爵家の娘―――エマ・ベルンシュタインにお任せください」
イヴァンジェリン王女専属護衛騎士であり、ベルンシュタイン伯爵令嬢であるエマ・ベルンシュタイン。
青黒い髪を赤いリボンで一つに束ね、春空色の瞳を鋭く煌めかせながら、誓う。
「必ずや、姫様を泣かせた
「目的が違うわエマ!」
「(いい笑顔で殺ってこいのポーズ)」
「お兄さまぁ――――!?」
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