極東国家連合戦記

広瀬妟子

プロローグ

 最初の異常事態は日の出の前に突如として訪れた。全ての衛星網が『消滅』し、GPSが機能不全に陥った中で迎えた最初の一日は、日本全体が大きな動揺を抱えた状態であった。


 以前より抱えていた問題が急速に悪化し、このまま放置していれば取り返しのつかない病理に至ったであろう課題を、『統制』という名の劇薬で処置した事について、長らく議論が交わされてきたが、結論として『あれ以外方策は存在しなかった』と論じられる事が多い。むしろ2012年の総選挙の結果は、この異常事態に備えよという警句であったのかもしれないと、私は今更ながら思うのだ。


(大石大輔『追想録』より抜粋)


・・・


聖暦1025年8月15日 パルトーギア王国北東部沖合


 何処までも広がっている様に見える青い海の上を、一頭の巨大な生物が飛ぶ。その背中には一人の若い男が跨っていた。


「今日も暑いな…さっさと基地に帰って冷たいジュースでも飲みたい気分だ」


 パルトーギア王国竜騎士団第3竜騎士連隊所属の飛竜騎兵ワイバーンライダー、マルク・パティマスはそう呟きながら、双眼鏡で周囲を見渡す。


 この世界で最も東にあるとされるイベリア亜大陸、その東海岸に位置するパルトーギア王国は、農業を主な産業とする小国である。故に西に隣接する大国エスパニア帝国からの圧力を警戒しており、北部のナロピア王国、南のモルキア王国と軍事同盟を結んで対抗していた。


 だが、それでイベリア以東のただっぴろい海域を放置していい訳ではない。近年はパルトーギア王国本土より東に100キロメートルの地点で発見されたマディリア諸島の開発が進んでおり、エスパニア帝国がこれに食指を伸ばそうとする動きを見せているのだ。エスパニアは『東方世界圏』の列強国から新兵器を輸入しており、軍事力の増強を進めている。故に強大な兵力でマディリア諸島へ襲撃を仕掛ける可能性に備え、哨戒部隊を展開しているのだ。


 その手段の一つが、『ワイバーン』と呼ばれる生物であった。全長15メートル、体重6トン程度のこの生物は、この世界の人類が家畜化に成功した数少ない竜種の一つであり、飛翔速度は時速200キロメートル、最大高度5000メートルと第一次世界大戦時の複葉機を凌駕する能力を持つ。体内の特殊な器官で炎エネルギーを生み出して、エネルギー体として射出する導力火炎弾は、木を丸ごと一本炭に変える程の火力があり、爆発力も手榴弾数個分の威力がある。射程距離も最大2000メートルはある。まさに『空の王者』と呼ぶにふさわしい存在であった。


 その航空戦力として類まれなるポテンシャルを有するが故に、騎兵に該当する竜騎士はエリートとして鍛え上げられる。騎馬に騎乗して戦う通常の騎兵と異なり、三次元で空間を認識・把握する能力が求められるからだ。さらに高高度の飛行に耐えうる魔法も使う必要があるため、魔術師としての適性も求められる。そして何より、ワイバーンと心を合わせる事の出来る勇敢な戦士としての度胸が重要となる。精神の未熟にして臆病な者は魔法の効力が下がり、ワイバーンからも自身の背中を預けるに値しない凡人として嫌われるからだ。故にこの世界では精神論も重要な考えとされる。


 と、閑話休題。竜騎士に求められる全ての要素を兼ね備えた彼が頼れる相棒と共に警戒を行っていたその時、目前より何か白い物体が迫って来るのが、マルクの目に飛び込んできた。双眼鏡でじっくり見た彼は、思わずあんぐりと口を開けた。


「なんだ、アレは…!?」


 東の空から高速で迫って来るソレは、僅か数分でマルク騎と距離を詰め、相棒も思わず唸り声を上げて威嚇し始める。だがこのままでは正面衝突してしまう。


「くっ…回避!」


 手綱を引き、彼の駆るワイバーンは大きく羽ばたく。直後に白く、巨大な飛行物体は雷鳴にも似た轟音を発しながら通り過ぎ、一人と1騎はホバリングしながらそれを見送る。と直ぐに我に返り、腰のポケットからマイク型の通信機を取り出す。そして配属されている基地と回線を繋げた。


「ッ、シャルリ3よりカーブラ・コントロール!東部方面より正体不明の飛行物体が本土に向けて接近中!至急対応されたし!」


・・・


西暦2025(令和7)年8月15日 日本国東京都 首相官邸地下


「西に600キロメートルの地点に、未知の陸地か…」


 首相官邸地下の会議室で、川田かわだ内閣総理大臣はそう呟く。


 昼下がりの首都東京に、山口県岩国市を拠点とする海上自衛隊航空集団第31航空群からの報告が届いたのはつい30分前。衛星を介した無線通信ではなく海底ケーブルも用いた有線通信回線で連絡を行ったがためにタイムラグが生じていたものの、それで伝えられた内容に対する衝撃に比べれば些細な事であった。


「大使館と総領事館はそろいもそろって混乱状態にあります。アメリカだけは在日米軍の協力もあって平静を取り戻していますが…」


 中川なかがわ外務大臣の説明に、杉浦すぎうら官房長官は面倒くさそうな様子を露骨に見せる。ともかくいつも通りのやり方では解決し得ない事態が起きている事だけは確実であった。すると、一人の閣僚が挙手してくる。


「現在、国内の治安は非常に悪化しております。このまま放置すれば、取り返しのつかない惨事へと至るでしょう。即座に対処するべきだと存じます」


「む…」


 提案者に川田は思わず顔をしかめる。彼、大石大輔おおいし だいすけ官房副長官は杉浦の後輩に当たる若手の政治家であり、歯に衣着せぬ言動で年上の議員にも的確な批評を浴びせるスタンスによって若者から支持されている。家柄もそこそこ優秀であり、『10年後の内閣総理大臣候補』との声も高かった。


「大石君の言う通りです。新たに発見された陸地への接触に、国内の治安回復、そして経済的混乱の鎮静化…やるべき事は膨大です。先ずは犯罪の多発化と治安悪化を阻止しましょう」


 杉浦に促され、川田は小さく頷いて応じた。そして外務省と防衛省には調査チームの編成と派遣が指示され、政府は漸く取るべき対応に移り始めたのだった。

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