第27話 エクトル赤面
16日午前7時、朝食を食べ終えたミュリエルのもとに、何箱もの診療録と、陸軍と海軍と空軍の、紐で綴じられた分厚い名簿が届けられた。
ミュリエルとフィンは、エクトルとアデリーナの手も借りて、診療録を死亡した患者と生還した患者に分けた。
そして、死亡した患者の中からトラブルのあった人物と、昨日ミュリエルが言っていた、16人の兵士たちの診療録を抜き出した。
「ある程度は絞れたね」フィンが最後の診療録を仕分けてから言った。「まだ、これから軍の名簿と照らし合わせなきゃならないわけだけど、まずは昼食を取らないか?腹ペコだ」
「お昼を過ぎてしまっていますね。気がつきませんでした」
フィンはミュリエルの手をとって立ち上がらせた。「今日もいい天気なんだから、気分転換に、外で食べよう」
「はい、そうしましょう」
「アデリーナ、外のテラスで食事をするから、準備するよう伝えてきてくれる?それが済んだら、君も休憩していいからね」フィンが言った。
「承知しました」アデリーナは急ぎ足でレストランの方へ向かった。
「食事ができるまで、砂浜をちょっとだけ散歩しよう」フィンはミュリエルの手を引いて、外へ出た。
後ろからエクトルが黙ってついてきた。
「初日が恋しいよ。あの日だけだったんだ海に入れたのは。こんなに綺麗な海が目の前にあるってのに、楽しめないなんてな」
「犯人を捕まえた後で、存分に楽しみましょう」
「犯人のやつをコテンパンにしてやらないと気が済まないな。俺とミュリエルのイチャイチャを奪いやがって。俺はミュリエルの水着姿を、まだ見てないんだぞ」
「夜にちょっとくらいなら……」
「俺の心臓が衝撃で止まったら、どうしてくれるんだ。酷いなミュリエルは。でも、そうだな。昼だと兵士がウロウロしてるし、アンドレ王子に、ミュリエルの水着姿を見せるわけにいかないからな。今晩プライベートプールで楽しもうか」
フィンはミュリエルの髪をさらりと撫でて、ミュリエルの唇に口づけた。
口の中に舌を差し入れ、ミュリエルの舌に絡める。
くちゅくちゅと音を立てて舌を吸われ、ミュリエルの下腹部が熱くなる。
「フィンさん。だめです……」ミュリエルはフィンの体をぐいっと押して離れた。
「どうして?人に見られるのが恥ずかしい?だったら物陰に隠れよう」フィンは岩陰にミュリエルを引っ張っていった。
フィンはミュリエルを岩に押し付け唇を奪った。
ミュリエルの息づかいが荒くなり、頬が紅潮する。
フィンの手がミュリエルのブラウスのボタンを素早く外した。
「だめ……エクトル卿が……」
「大丈夫。エクトル卿からは見えてないよ」真っ白な柔らかい膨らみを、フィンは口に含んだ。
漏れそうになる声を、ミュリエルは口に手を当てて抑えた。
「ミュリエルの可愛い声が聞きたいな」
ミュリエルは小さく首を横に降った。
「嫌なの?じゃあ声が抑えられないくらいのことをしようかな」フィンはミュリエルのスカートを捲り上げ、指先をミュリエルの足にゆっくりと這わせて下着の中に差し入れた。
敏感な部分を刺激され、思わず声が漏れでる。エクトルに聞かれただろうと思うと、恥ずかしさで涙が溢れた。
「あれ?いつもより興奮してる?こんな状況にドキドキしてるのかな?」
わざと音がするように執拗に触られ、ミュリエルの体は小刻みに震えた。
膝の力が抜けて、立っていられなくなったミュリエルの体を、フィンが支えた。
「いっちゃった?こんなところでいっちゃうなんて、ミュリエルはいやらしいな」フィンは涙を浮かべている目に優しく口をつけ、唇をチュッチュと啄んだ。「残念だけど、この続きは夜にしようね」
そろそろ食事の支度が整った頃だろうと思い、フィンはミュリエルの乱れた服を整えて、歩き出した。
見えないところで待機していたエクトルの顔は真っ赤で、何かを耐えるように口を真一文字に結んでいた。
それを見たミュリエルの顔も、負けじと真っ赤になった。
そこへ、運良く?運悪く?モーリスとジゼルにばったりと出会った。
「なんでミュリエルの顔が真っ赤なんだ?なんでエクトル卿まで真っ赤なんだ!フィン!お前ミュリエルに何かしやがったな!」
「うわ!まじかよ」フィンは走って逃げ出した。
「このヤロー!まてー」
先ほどまでフィンにいいようにされていたミュリエルだったが、モーリスに追いかけられて逃げ惑うフィンの姿に、ミュリエルは愉快な気分になった。
「ミュリエルたちは、今からお昼ご飯なの?」食事が用意されたテーブルを見て、ジゼルが聞いた。
「はい、診療録を仕分けしていて、遅くなってしまいました。ジゼルさんたちは?」
「私たちは食事をした後、ちょっと散歩に出てきたのよ。午後からモーは、マルセルの薬師協会まで行って、講義をしなくちゃならないんだそうね」
「昨日、薬師協会のマルセル支部長に捕まってしまい、頼まれていました」
「今朝から、講義の資料作りで大騒ぎしていたのよ。こんな大変な時なんだから、断ればいいのに、モーは頼られると弱いのよね」ジゼルは困ったように言った。
砂浜に転がされ、抑え込まれたフィンは、頭から砂をかぶってしまった。
「モーリスさんのせいで全身砂まみれだ!」髪の毛についた砂を落としながら、戻ってきて言った。
息を切らしたモーリスは、フィンの肩に腕を置いて体を支えた。
「お前が……ミュリエルに……手を出すからだ」
「婚約してるんですよ。ちょっとくらい大目に見てください」
「まだ婚約式を終えてないぞ」
「はいはい、そこまでよ。モー、そろそろ出かけなくちゃいけないのだから、戻りましょう。2人はさっさと食事しちゃいなさい」ジゼルがモーリスを引っ張っていった。
ミュリエルとフィンは、一つのテーブルに座った。少し離れたところに、エクトルの食事も用意されていて、エクトルはそちらへ座った。
制服のおかげで見えなかったが、下半身が張り詰めていて、座りにくい。今年26歳になるエクトルは、今時珍しいくらいの奥手な青年で、女性と手を繋いだこともない。そのことを、日頃からフィンにからかわれていた。
ここ最近、フィンの紹介で知り合った女性と、デートのようなことをしているが、奥手なエクトルは、なかなか手を繋ぐこともできずにいる。
エクトルは、自分をこんな目にあわせたフィンに、いつか仕返しをしてやろうと心に決めた。
食事を終えて、3人はヴィラへと戻ってきた。
アデリーナは既に戻ってきていて、お茶を入れているところだった。
ミュリエルたちは、軍の名簿にとりかかった。死亡した患者の関係者、それから、ミュリエルの言っていた16人と、その関係者の名簿を探し、抜き出していった。
「それじゃあ、まずは、この16人の兵士たちから始めようか」フィンは昨日ミュリエルが言っていた、野戦病院で死亡した16人の兵士たちの診療録を、パチンと指で弾いた。
4人は手分けして、軍務記録の中に、爆弾と繋がりのある記述がないか調べた。
「16人中、近親者に軍人がいるのは7人か。とはいえ、家族の犯行とは限らないもんな。友人って可能性もあるしな」フィンが記録を読みながら言った。
「そもそも、この中にいないということも考えられます」ミュリエルが言った。
「そうなんだよ、可能性は低いけど、ゼロじゃない。トラブルがあった患者だけを分けたけど、それ以外ってことも、考慮しないといけないよな。この診療録の山をどうするかな」
「個人情報です。陛下から勅命を奉じられたとしても、本人の許可なく、無闇に人へ見せて良いものではありません」
「海軍に協力してもらうしかないかな、軍人を調べてるなんて、嫌な顔しかされないだろうけどね」
「エクトル卿、艦長のキルデベルト・カミナード大佐に、謁見を申し出てきてもらえますか?」ミュリエルがエクトルに頼んだ。
「承知しました」エクトルは立ち上がり、外へ出て行った。
それから3人は、軍務記録を目から血が出るほどに読み続けた。3人とも軍務には疎く——極秘案件も多いようで、所々黒く塗りつぶされていた——特殊な内容が多すぎて、暗号かなと思うほどだった。
唯一の頼みであるエクトルが戻ってきたとき、3人は神を見るような目で崇めた。
「艦長から伝言です。お2人を空母に招待したいそうです」
「え?俺も?ザイドリッツの国民だって知ってるよな?」
「立ち入り禁止のエリアはあるが、指示に従うのなら問題ないそうだ」エクトルが答えた。
「そうか、それじゃあ、ミュリエル、お言葉に甘えて、行ってみようか」
ミュリエルとフィンは、航空母艦エテルネルに乗り込んだ。案内され迷路のような狭い通路を進み、艦長室へと通された。記憶力のいいミュリエルでも、迷子になりそうだと思うほどに、航空母艦の内部は複雑に入り組んでいる。
カミナードはミュリエルとフィンを立ち上がって出迎えた。「やあ、ようこそエテルネルへ、遠慮なく中へ入ってくれ」
「艦長、お招き頂き、ありがとうございます。婚約者を紹介します。フィリップ・グライナー卿です」
「艦長のキルデベルト・カミナードだ。君に会ってみたかったんだよ。君は世界一幸運な男だからね」
フィンはカミナードから差しだされた手を取って握手した。
「お初にお目にかかります。フィリップ・グライナーです。ザイドリッツの出身であるにもかかわらず、ご招待頂き感謝いたします。このような素晴らしい女性に愛されている私は、確かに世界一幸運です」物怖じしない性格のフィンだが、さすがに海軍の艦長ともなると、僅かばかり緊張した。
「まあ、あまり固くならないでくれ。それで、何か話があるということだったが、どういうことか聞こうじゃないか」カミナードはミュリエルとフィンに、手ぶりで椅子を進め、自分もどさりと腰を下ろした。
ミュリエルが話した。「爆発物というものは、専門的な知識がなければ作れません。犯人に爆発物を製作する能力があれば問題ありませんが、爆発物の製作を依頼するのであれば、大金が必要でしょう。どちらにしろ、目立ちます」
「爆発物を作れる人間は、限られているだろうな」カミナードはミュリエルが何を言いたいのか理解した。
「はい、さらに、私に恨みを抱いています。先の疫病で私は、多くの命を助けられませんでした。その中に兵士もいました」
「軍人を疑っているのか?」カミナードはミュリエルを、射竦めるように睨みつけた。どんなに屈強な男たちでも、彼に睨まれたら、肝を冷やすほどだ。
それなのに、ミュリエルは顔色一つ変えず、表情を動かすことなく話続けた。
「はい、今朝、診療録が届き、仕分け作業をしておりました。死亡者と生還者、そして、死亡者の中からトラブルのあった患者と、その関係者を抜きだしました。しかし、その中に犯人がいるとは限りません」
「それ以外をこちらに任せたいと?軍人の粗探しを、誇り高き海軍にさせようと言うのか?」カミナードは声に怒りを滲ませて言った。腰にさしていた拳銃を徐に抜き出し、テーブルの上にゴトリと、恐ろしげな音を立てて置いた。「お前の返答次第では、海軍を敵に回すことになるぞ。覚悟して答えろ」
フィンは椅子に置かれた尻が、ゾワゾワとしてみじろぎしたが、ミュリエルはカミナードを、ただじっと見つめて答えた。
「それ以外の軍関係者を、そちらにお任せします。私は、被害者の味方です。彼らは家族を奪われ、尊厳を奪われ、生きる権利を奪われました。誇りどころか、人間の感情さえも持ち合わせていない、極悪非道な犯人に償わせるための捜査で、軍人の誇りなど、気にかけていられません」ミュリエルも負けじと怒りを露わにした。
カミナードは大きな声で豪快に笑った。「はは!度胸のあるお嬢さんだ。拳銃にもビビらないとはな、恐れ入る。それでこそ、あのカルヴァンの娘だ」
「父をご存知ですか?」どうやら試されたらしいと気づいたミュリエルは、肩の力を抜いた。隣でフィンが詰めていた息を、吐き出す音が聞こえた。
「あいつはゴキブリのような男だよ。踏みつけたって死にやしない。俺たちは何年か前から、あいつの密輸を追っていたんだ。でも、なかなか尻尾を出さなくてな。悔しい思いをしていた。ところが、若干17歳の娘にしてやられたと言うじゃないか。だから、君に会ってみたかったんだよ。どんな女傑だろうかってな」
「お褒めいただけたと解釈いたします」
「ガルディアンの暗号を解いたっていうし、昨日は楽しみにしていたんだが、会ったときはがっかりした。なんだ、普通の女の子じゃないかってな。それが、こんな面の皮の厚い顔を隠してやがった。騙されたぞ」
「艦長も昨日とは別人のようです」
「それはそうだろう。王子殿下の前だから、お利口にしとかないとな。だけど、俺は海の男だ。お利口さんは性に合わないんだよ。
エテルネルの船員は皆、君を褒めてる——いいだろう、診療録を部下に取りに行かせるから、預けてやってくれ」
「ありがとうございます」
「そにしても、フィリップ卿、こんな恐ろしい女に惚れるなんて災難だな。この艦艇で艦長に盾突く命知らずは、副艦長と先任曹長くらいだぞ。ミュリエル薬師は、じゃじゃ馬どころか猛獣だな」
「彼女は私の英雄です」ミュリエルが正当に評価されて、嬉しくなったフィンは、誇らしそうに笑った。
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