第26話 捜査会議—1

 午後17時、ミュリエルは診療が終わり、講義を頼まれ、抜け出せなくなってしまったモーリスを見捨てて、フィンとエクトルと一緒に、マルセル警察の捜査本部を訪ねた。


「こんにちは。待ってたわ」ミュリエルたちを、マドゥレーヌが出迎えた。「アンドレ王子殿下が、ここへ来ているし、あなたたちも会議に加わりたいだろうと思って呼んだのよ」


「マドゥレーヌ嬢、お気遣いありがとうございます」ミュリエルが言った。


「ねえ、これはあなたにとって、きつい事件よね。怖気づいて当然の状況なのに、今日も診察に来てくれてありがとう。あなたがいてくれて良かったわ」


「……こんな状況にしてしまったのは私です」


「原因がなんであれ、憎むべきは犯人であって、あなたじゃないわ。それに、どうせ逆恨みでしょう?海賊を倒して一族を葬ったから?疫病で全員を救うことができなかったから?そんなの言いがかりよ。海賊と癒着した当主を恨みなさいよ!疫病を起こした神を罵りなさいよ!」マドゥレーヌは腕を組み憤慨して言った。


 マドゥレーヌから呼び出された理由を、恨み言を言うためなのだろうと思っていたミュリエルは、ぷりぷりと怒るマドゥレーヌに、温かい気持ちになり、目頭が熱くなって言葉に詰まった。


 それを察したのか、フィンはミュリエルの背中を撫で下ろした。


 モーリスとジゼルの周囲の人たちは、自分を好いてくれる稀有な存在だと思っていた。それはきっと、2人の人柄のおかげなのだと信じて疑わなかった。しかし、この一年でミュリエルを取り巻く環境は、ガラリと変わった。

 モーリスとジゼルの友人ではない、ミュリエル自身の友人ができたことは、自分の存在意義を見出す大きなきっかけとなった。

 嫌われることに慣れすぎて、卑屈になってしまっていたと、ミュリエルは反省した。


「フィンさんの言うとおりでした。私のせいだと責める人はいませんでした」


「うん、ミュリエルが築いた人望だよ」フィンはミュリエルの手の甲を、労わるように撫でた。


「なに?責められると思ってたの?あのね、生きていれば誰だって、他人との衝突があるものよ。全てが当人の咎だとは言えないわ。理不尽に嫌われることもある。みんなと仲良くなんて幻想でしかないのよ。自分を嫌う人がいたら、気にしなければいいだけ、嫌いな人がいたら、関わらなければいいだけ、そうやって人は、他人と波風立てずに生きていくものよ。私が言えた義理じゃないけど、私も学習したのよ」


 マドゥレーヌは、臨時のオフィスとして使っている部屋のドアを開けて、ミュリエルとフィンを中へ入るよう促した。


 アンドレは眉間に皺をよせ、読んでいた書類から視線を上げた。

「ミュリエル、今朝よりは顔色が良くなったようだ」


「ご心配をおかけしました。マドゥレーヌ嬢の言葉に救われました」


「大したことは言ってないわ。ただちょっと、アドバイスしただけよ。あなたが他人の好意に疎すぎるのが悪いのよ」マドゥレーヌは照れて視線を下へ向けた。


 ミュリエルと仲良くなりたくて、頼ってほしくて、策を講じてきたアンドレは、とうとうマドゥレーヌにまで、先を越されてしまったと落胆した。


 元婚約者と元恋人が親しくしている。そのことが、アンドレをいたたまれない気持ちにさせた。

 こほんと咳払いしてから言った。「あー。サンジェルマン宰相の行方だが、未だ分からない」


「マルセルに屋敷を所有しているから、一応、マルセル警察が見張っているけど、所有している別荘に現れるほど、馬鹿じゃないでしょう。だけど、滞在しているなら、どこかのホテルに泊まっているはずよ。だから、警官たちに聞き込みしてもらっているわ。あまり期待はできないけど、運よく何か分かるかもしれないしね」マドゥレーヌが報告した。


「サンジェルマンが、デモスの一員だったとする証拠は上がっていない。現状、行方不明者であって、容疑者ではない。だが、29年もの時間が経っているんだから、隠蔽されていれば、何も出てはこないだろうと思うがな」アンドレが言った。


「デモスの捜査資料は、まだ手に入ってないんだろう?」デモスの関与を疑い、アンドレに伝えてからまだ、1日しか経っていない。ミュリエルのテレポートを利用したのなら可能だが、いくらなんでも、こんなに早く資料が送られてくるはずがないと思ったフィンは訊いた。


「当時の資料は、まだ送られてきていないが、空母エテルネルにモールス信号で、大まかな情報が送られてきた。デモスの主要メンバーだった者たちと、その近親者の情報だ。最も有力なのは、ガルディアンの弟夫婦。29年前、ガルディアンは兄であるジョルジュ・ブラッスールではないかと疑い、通報してきた人物でもあるらしいが、血を分けた兄弟だからな、捜査対象としてあがっている」


「通報したのが彼なのであれば、対象から最も遠い存在のような気がします」ミュリエルが反対の意見を言った。


「そうなんだが、当時弟のリュシアンは、電力会社で重要なポストを任されていた。要するに、爆弾を作る能力があるってことだ」


「そうか……高等教育を一度も受けたことがないような人に、爆弾は作れない」フィンが言った。


「そういうことだ。送られてきた情報を考慮すると、この中で爆弾について知識がありそうなのは、ガルディアンの弟リュシアンと、道路工事業を営んでいるリオネルって男と、電気工事士のラザールとマクシミリアン。それから、元大学教授で、今は引退しているファビアン・クルトワだけだ」


「もしかして彼らの近親者で当時、デモスのメンバーだった者たちは幹部だった?」通常、道路工事業や電気工事士といった特殊な職業に従事する人は、薬師と同じで、弟子入りすることが多い。大抵は親族に弟子入りするものだ。ということは、デモスのメンバーだった者たちも、同じ職業だった可能性があり、爆弾の知識もあっただろうと、フィンは考えた。


「その通りだ。リオネルの弟ジョアシャンと、ラザールの叔父ディミトリと、マクシミリアンの父リシャールは、デモスの指導者だった。ファビアン・クルトワの息子バルテルミーは、ガルディアンの右腕だった人物だ。全員29年前の、レセプションパーティー立てこもり事件で、死亡している」


「彼らの意思を引き継いで、デモスを再建したのならば、当然、彼らを師と仰ぎ見ていたんじゃないか?」フィンが訊いた。


「それも一理あるな——」アンドレは考えて言った。「ファビアン・クルトワは70歳を超える老人だし、リオネルにしたって、弟と同じ思想を持っているのなら、当時からデモスのメンバーだっただろうからな」


「それを踏まえると、電気工事士のラザールとマクシミリアンが、有力な容疑者となります」ミュリエルが言った。


 アンドレは手元の資料に視線を落とし、必要な情報を探しあてた。「ラザールが42歳で、マクシミリアンは35歳だ。29年前は、まだ子どもで、デモスに憧れを抱いていたとも考えられる」

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