第17話 Cruel×Idea×Vampire
「そうだ」
ここでふとヤツは血の滴る腕を遠ざけた。何だ? 思いとどまってくれたのか? こんな人間を吸血鬼にしたって何も面白くないことが分かったんだろうか。それなら良かったのに、ヤツの表情がそうではないことを物語っていた。
笑っている。もっと面白いことを考えついた、という顔である。
「お前らの血も寄越せ。お前らの血もこいつに飲ませる」
「は?」
は? 二人のお兄さんの声とアタシの心の中の声が重なった。コイツは何を言っているんだ?
「どうして私たちの血もその小娘に飲ませるんですか? 意味が分かりません」
これはハイネグリフというお兄さんの声だ。お兄さんの意見にはアタシも同意する。なんたって吸血鬼の血をそんなにも飲まなきゃいけないんだ。
「面白そうだろぉ? 眷族を作るときは通常一種類の吸血鬼の血しか飲まない。じゃぁ複数飲んだらどうなるか、見たくないかぁ?」
「興味ありません」
ズバ、とお兄さんが言い返した。その調子でコイツの意味の分からない思い付きを切り捨てていってくれ! と思ったが、そう上手くはいかないようだった。
ヤツがアタシに向けていた顔をお兄さんに向けた。
「見たいだろ?」
ゾク、と背中に冷たいものが駆けていった。ヤツの顔が、綺麗に整った顔が、歪んでいるように見える。形の良い唇は吊り上がり、目尻は下がっている。笑っている。しかし、その黒い瞳は少しも笑っていなかった。殺意がこもっている。目を見た瞬間身体が震えてくるほど、どす黒い感情がこもっていた。自分に向けられているものではないのに恐怖がアタシを満たしていく。
「……私の王は貴方ではありません。私が貴方に従う義理はありません」
しかし、お兄さんは引かなかった。どうやらコイツよりも優先すべき対象がお兄さんにはあるらしい。もしかしたら静かにしている剣を持ったお兄さんや紫頭のお兄さんも他に従うべき対象がいるのかもしれない。三人が二つ返事でコイツに従わないのはそういうことなのだろう。さっき紫頭のお兄さんがコイツに見せていた表情はやはり、尊敬……。純粋な、強さへの尊敬かもしれなかった。
「お前の王が誰であろうがどうでもいい。お前は俺に従うのかそうでないのか今すぐ決めろ」
言葉の真意が分かる。分かってしまう。ここでコイツに従わなければ殺される。コイツは従わなければ殺すと、言外に言っている。それにはお兄さんたちも気づいているようだった。みんな黙ってヤツを見ている。
みんなの中で多少なりの恐怖と何かが葛藤している。お兄さんたちにはコイツよりも優先すべき人物がいるみたいだから、たぶんその人物に対しての忠誠心だろう。それから従う場合のメリットデメリット、従わない場合のメリットデメリットを考えているのかもしれない。でも、お兄さんたちは従わざるを得ない。それしか選択肢がない。この、男。アタシの顎を掴んでいるこの男は怖ろしすぎる。
とうとう紫頭のお兄さんが一歩前に出た。その後にため息を吐いて金髪のお兄さんが続いた。最後に青い髪のお兄さんが近づいてきてアタシを囲んだ。四人の吸血鬼がアタシを取り囲んでいる。
怖い。これから行われることに対しての恐怖と、単純に、吸血鬼という化け物に囲まれる恐怖がアタシを塗り潰していく。
「あああっ!」
アタシは再び暴れた。両手でヤツの腕を叩き、蹴り飛ばそうと足を動かす。けれどもヤツの手はアタシを放してくれない。逃げられない。
瞬きすると涙が零れた。
「さぁ、俺を楽しませろよ」
ヤツはもう一度右手首を噛みちぎり、アタシの顔の上に手をかざした。金髪のお兄さんの左手が、紫頭のお兄さんの右手が、青い髪のお兄さんの左手が、アタシの顔に影を作る。そして、彼らの手首が彼らの反対の手によって切られた。彼らの血が、吸血鬼の血が、アタシの顔に落ちてくる。
「あ……」
真っ赤な液体が口の中に注ぎ込まれた。喉がビックリして跳ねる。鉄の匂いがする。酸っぱくてしょっぱくて舌の奥がキーンとする。
アタシ、今、血を飲んでいる。嫌悪で全身に鳥肌が立った。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。こんなもの、喉を通るわけがない!
アタシは喉を開かないように意識しながらヤツの手から逃れようと必死に暴れた。
吐き出したい。これが喉を通る前に吐き出したい!
「うぐっ!?」
突然ヤツの右手がアタシの口を塞いだ。ぬる、とねっとりした液体の感覚がアタシの顔を包み込む。それからヤツはそのまま手を動かしてアタシの顔を上に向けた。そんなことされたら口の中のものが喉の奥に入ってくるじゃないか!
「むむー!!」
ヤツの手を力いっぱい掻きむしって抵抗する。でもやっぱり全然動かない!
嫌! 嫌!! 血なんて飲みたくない!
涙が頬を伝うのが分かった。耐えきれなくなった喉が動く。液体が喉を通っていくのが分かった。鼻から鉄の匂いが抜けていく。
吸血鬼の血を飲んでしまった……。
瞬間、ドクン、と大きく心臓が拍動した。緊張やそこらでの拍動ではない。今までに感じたことのない、とても大きな拍動だった。まるで内側から心臓が飛び出そうとしているような。いや、心臓が爆発したような感覚だった。
苦しい……!
ヤツがアタシの顔を放した。アタシは心臓を押さえ、身体を折って床に額をつけた。
「あ、ぐ、ああああああ!!」
痛い! 胸が内側から押さえつけられている。肋骨が折れそう。痛い!
ちくしょう! なんでアタシがこんな目に合わなきゃいけないんだ……! 最悪だ!!
アタシは下からヤツを睨みつけてやった。ヤツは口角を上げてニヤリと笑っている。ちくしょう……殴ってやりたい。その顔面、思い切り殴ってやりたい!
そう思った途端、今度は全身が燃えるように熱くなってきた。炎の中で焼かれているような感覚だ!
「あつッ……!!」
アタシはその場で悶えた。胸を、足を、喉を掻きむしった。
熱い! 全身が燃えている!! 熱い!!
のたうち回りながら喉を掻きむしった。爪が皮膚を割り、血がにじむ感覚がしてもお構いなしに掻いた。
頭が焼けている。何も考えられなくなってくる。焦げ臭いにおいがする気がする。
喉が焼けている。カラカラだ。水が欲しい……! 何か、飲むものが欲しい!!
「ああああああ!!!!」
もう嫌!! なんでアタシがこんな目に合わなきゃいけないの!? それもこれも全部、ヤツの所為だ!!
アタシは夢中で床を蹴った。ニヤニヤ顔でアタシを見つめている顔に飛びつこうとした。しかし、アタシは思い切り頭を床に押さえつけられてしまった。ゴッという音が頭の中でこだまして、赤いものが目の前に流れてきた。
「面白いなぁ」
ヤツが笑う。アタシは奥歯を噛みしめた。全身の熱が頭を焼く。頭が、焼き切れる……!
「ホノカ?」
焼き切れそうだった思考が止まった。
この声は、この低くもなく高くもない中性的な声は……!
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