第14話 New×Fifth×Vampire

 目を開けた。


「……!」


 すぐ飛び込んできた景色にアタシは驚くことになった。だって目の前に、もうすぐで触れてしまいそうな距離にアイゼンバーグの顔があったのだ。


 寝ているのだろうか。うっ、驚きの所為か心臓が早鐘を打ち始め、どうしようもないくらいうるさくなってきた。


 アタシはその心臓を左手で押さえ、しばらく目を閉じたまま動かない彼を観察することにした。今まではいろいろなことで気が逸れていたからなのか、彼の顔の美しさに気がつかなかった。いや、気がついてはいたがこんなにも整っているのを目の前にして改めて驚く。まるで美術家に作られた彫刻のようなのだ。顔を縁取る歪みのない輪郭、色のない肌、スッと通った鼻筋、女の子と見まごう長い睫。サラサラの白髪もまた綺麗だ。


 このまま動かなければ良い。そうしたら繊細で壊れてしまいそうな弱いものとして飾っておけそうなのに。だが実際はすごく硬くて強靭なのだ。アタシが殴ってもどうってことない。しかも性悪ときている。


 あぁそうだ、そういえばコイツを殴ってやろうと思っていたんだった。今ならそれができる。だが、あれ、ちょっと待てよ。アタシはいつの間に寝てしまったんだろう。確かアイゼンバーグがアタシの血を吸おうとして……。


 ハッとして、心臓を押さえていた手で首を触るとすぐにアタシの指先は左側に二つの小さなくぼみを感じ取った。


 アタシ、血を吸われたんだ!


「起きたか」


 身体がビクリと震えた。瞳を向けると綺麗な青色の目が二つ、アタシを捕らえていた。


「アイゼンバ……っ!?」


 彼があまりにも突然目を開けたので驚いて上半身を起こしたのだが、訳の分からない目眩の所為で腕を突っ伏し、下を向く羽目になった。頭が痛い、それに目の前がグルグルする。これはもしかしなくとも貧血の症状だ。ちくしょう。アイゼンバーグめ。アタシの血をどれだけ飲んだんだ!


「まだ十分に動けないだろう。もう少し寝ていろ」


 誰の所為だという叫びを飲み込み、代わりに精一杯睨んでやった。今のままでは叫べそうにない。だってアイゼンバーグの姿さえもぐにゃりと歪んで満足に見られないのだ。睨めているのかも定かではない。


「俺は奴らが来ていないか見てくる」


 アイゼンバーグの影が立ち上がった、気がする。アタシの目はもう霞んでいてよく見えないから分からないし、身体を支えている腕もガクガクし始めていたので確認しているどころではなかったのだ。


「ホノカ、この場を動くなよ」


 重い瞼が完全に閉じてしまい、彼の言葉は暗い中で聞いた。必死に耐えて起きていようとしたが逆らえそうもない。そうしてまた、アタシは全身の力を手放してしまったのだった。


 ゆっくり瞬きをするように目を開けると今度はもう、アイゼンバーグはいなかった。のそのそ起き上がって首を回してみるがその姿はどこにもない。あの後彼らのことを見に行ったきり、戻っていないんだろうか。どれくらい寝ていたのかは分からないが、とにかくアイゼンバーグのことだから何事もなければすぐに帰ってきているはずだろう。では、今いないということは何かあったということか? 彼の身に何が? もしかして彼らと戦って負傷し、どこかで倒れてしまっているんだろうか。それはまずい。


 アタシは立ち上がり、キョロキョロ辺りを見回して誰もいないことを確認してからパイプを伝って歩き出した。身体は少しふらふらするけど頭は痛くない。これなら大丈夫そうだ。


 もし、もしどこかで倒れているのならば助けなければならない。アタシは彼らにとって虫みたいに弱いもので敵対すればすぐケリがついてしまうだろうけど、少しくらい彼のために何かできることをしたい。殴ってやろうとか嫌いだとかは思ったが、考えてみるとなんだかんだアタシは生きている。これは彼のおかげなのだ。それなのに、そう、アタシはお礼さえも言っていなかった。いくらアタシの血を勝手に飲んだヤツにでもお礼の一つくらい言わないと。


 脳裏に彼の顔が浮かんだ。あの、ニヤリ顔。それから声が耳の奥から聞こえてくる。彼は最後に……この場を動くな、と言った。ピタリ、アタシの足が止まる。そういえば動くなと言われたんだった。なら、戻った方がいいのか? アタシは考えながら、振り返った。


「ん? 戻るのかぁ? 人間」


「!?」


 目の前に男の人がいた! 音なんて気配なんて全くなかったのにいつの間にこんな至近距離に来たのだ!?


 驚きと思わぬ敵との遭遇で緊張した肺がギュッと縮み、心臓がバクバクと鳴り始め、アタシの本能が逃げろと叫んだ。逃げなければ、この赤い長髪の男の人から。アタシは素早くきびすを返し、地面を強く蹴って走ろうとした。


グンッ


「いっ!」


 しかし髪の毛を掴まれてしまい、逃げることは叶わなかった。


「いたっ!」


 髪の毛が根こそぎ抜けてしまう! アタシは男の人の手を退けようと自分の手を後ろに伸ばした。でもアタシの手が男の人の手に触れる前に強く髪の毛を引っ張られ、それに従って動くしかなかった。強引に引き寄せられてからぐいっと髪が下に引かれ、上を向く状態になる。アタシの目に、こんな状況でも綺麗だと感じてしまうほど整った男の人の顔が映る。近い!


「アイゼンバーグが連れている人間ってのはお前のことかぁ?」


 甘く響く音。そのくせに全く気持ちが入っていない声。口の端を吊り上げて笑った唇から覗く牙はアタシの恐怖をそそり、濡れた黒い瞳がアタシを溺れさせる。


 この人、すごく危険だ。本能的に分かる。この人は人を恐怖のどん底に陥れもするし、甘い誘惑で魅了して深いところに沈めてしまいもする。生き物にとって一番危険なヤツだ!


「跡があるなぁ」


 男の人の冷たい指が首にある二つのくぼみをなぞった。ゾクリとしたアタシは両手を彼の胸の辺りで突っ張り、男の人と体を離そうとする。しかし、当然と言うべきなのか体は動かない。ちくしょー!


「そうだな……。クク、味見してやろう」


 クスクス笑い、男の人は顔を首元に近づけてきた!


「嫌だ! やめて!」


 両手で彼の顔を押さえ、必死の抵抗をする。すると効果があったのか男の人はアタシに噛みつくのを止めた。良かった。どうしてかは分からないが思いとどまってくれたらしい。もう噛みつかれるのはごめんだった。結局アタシは吸血鬼にならず人間のままらしく、それは良かったのだが、あんな恐怖はもう感じたくなかった。


「お前」


 顔が目の前に戻ってきた。不気味な笑みを貼り付けた、顔が。背筋に何かが駆けていく。


「良い声だなぁ。泣かせてやりたくなる」


「は!?」


 この人は急に何を言い出すんだ!? 良い声なんて今まで一度も言われたこともないし、自分で思ったこともない! 気持ち悪っ。


「デイン、今面白いことを考えた」


 目の前の男の人が名を呼ぶと視界の端に映る闇の中から誰かが姿を現した。紫頭のお兄さんだ。服は真っ赤でボロボロになってはいるが傷はないようで、ちゃんと歩いている。少しだけほっとした自分がいるが、この状況で心をなで下ろしていてはいけないと言い聞かせてその自分を隅に追いやった。


「面白いことってなんだよローザンヌ」


 お兄さんが眉間にしわを寄せて目の前の男の人に問いかけた。この人はローザンヌというらしく、どうやらボス的存在のようだ。お兄さんの目を見ていれば分かる。服従というか一目置いているような目だから。


「何をしようっていうんだ?」


「こいつをここで殺さずアイゼンバーグを釣る囮にしようかぁ」


「はい!?」

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