第4話 Bat×But×Vampire
彼らの力の差は何も知らないアタシから見ても歴然だった。一方的に攻めているのはお兄さんだが、避ける彼の動きはまるで遊んでいるかのようだ。それに敢えて攻撃していないような気がする。決してお兄さんが弱いわけではない、彼が強すぎるのだ。
自分が戦っているわけでもないのに心臓の鼓動を速くして食い入るように二人を見ていると、知らず渇いていた喉が鳴った。
「お前、見えるだろう。問題ないな?」
余裕綽々と言うべきか、彼は突然アタシに話しかけてきた。その間にも彼の鼻先をお兄さんの手が通過しているのに。
「聞いているのか? 見張れるだろ?」
彼がアタシの方をちらりと見た瞬間を見逃さないお兄さんは素早く死角に殴りかかるが、やはり当たりそうで当たらない。さっきからお兄さんの攻撃は空を切ってばかりだ。
あぁ、この分ならアタシの目は必要ないのではないかと思う。いっそこのままアタシを置いて二人でどこか遠くに行ってくれれば良いのだ。しかし彼はこちらの方を向いて、真っ直ぐな目をしてアタシの答えを待っている。
なぜ。すごく不思議だ。
「答えろ!」
彼の命令にビクッと身体が震えた。
「……跳んでるとき、絶対放さないで!」
自分の口から出た言葉に驚いている暇はなかった。アタシの言葉を聞くやいなや彼はお兄さんの頭を素早く鷲掴みにしてそのまま屋根に思い切り押しつけたのだ! 瓦や木材がぐしゃっと音を立てて、なんとも痛そうだった。
うわぁ、顔面からこんにちはするなんて、流石にお兄さんには同情する。
「吸血鬼の俺に放さないでとはな。また変わったことを言う人間だ」
声がすぐ近くで聞こえた。彼はいつの間にかアタシの横につき、腕を回してお姫様抱っこしようとしていたのだった。この人やっぱり怖いしお姫様抱っこはもう勘弁なんだけど、それ以外に方法はないんだろうなと思って身体を預ける。よく考えてみればここに置いていかれてもここがどこだか分からないし、屋根の上から一人で下りられそうもない。それにどうやらこの人はアタシを殺す気はないようだ。
でも、それにしても、あのお兄さんは大丈夫なのだろうか。この人は全く気にしてないみたいだが、頭を屋根に埋めたまま動かないんだけど。状況からして敵であろうが、目の前であんな風にされて心配しないわけではない。
「ねぇ」
彼がこの場を立ち去ろうとしたときに投げかけると、ぶっきらぼうな声色で何だと返してきた。アタシは下から彼の顔を見上げて質問した。
「あの人大丈夫?」
すると彼は少し驚いたような顔をしてから、もうお馴染みになってきたニヤリ顔で笑うのだった。何かおかしいのだろうか。
「デイン! 気絶していないだろうな!」
彼が呼びかける。すると今まで微動だにしなかったお兄さんが、瓦の音をカラカラと立てて頭を持ち上げた。
生きていた!
「御陰様で」
ぶるぶる動物のように頭を振り払い、お兄さんはのっそり起き上がる。あんなにすごい音がしたのに全く傷が見受けられず無事そうだが、非常に不機嫌らしく眉間に何重ものしわが寄っているのが見える。しかし傷一つ無いとは、吸血鬼は鉄ででも出来ているのだろうか。
「いてぇー。あーもうこの姿やめ!」
お兄さんが叫んだ。
姿をやめるとはどういう事だ?
アタシが首を傾げていると見る見るうちにお兄さんの姿が頭の方から崩れるように無数の小さな固まりになっていった。その塊はバタバタ羽根のある生き物で、夜の黒とはまた違った色をしている。
こいつは、コウモリだ!
何百ものコウモリが群を作って一直線にこっちへ飛んでくる!
「何あれ何あれ何あれ!」
アタシの頭の中は軽くパニックだ。だって、人間が、いや、吸血鬼が? どっちでもいいけどコウモリになったのだ! それも無数の! 驚かずにはいられない!
「見た通り蝙蝠だ」
男の子は呟き、すぐにその場を高く跳んで離れた。
いや、コウモリだってことは見れば分かる! アタシが言いたいのはそういうことじゃない! どうして人の形をしたものがコウモリになるんだと言いたいのだ!
コウモリたちは一度アタシたちがいたところで渦を作り、上昇してこちらに向かって来た。暗闇の中、それも高い位置からなのにコウモリの姿がはっきりと見える。その小さな赤色の目でさえ見えているのだ! コウモリが! えぇ、もうそりゃぁはっきりと!
「何あれ、だって吸血鬼なのに……!」
吸血鬼がコウモリに変わるなんて少なくともアタシは聞いたことがない。人の形をしたものが全然別のものになったり、個体数が増えたり、もうホントに訳が分からない。
「人間は何も知らないんだな」
彼が馬鹿にしたように言う。吸血鬼の常識が人間も周知の事実とは限らないんだよ!
「機会があったら教えてやっても良いが、今はデインを見ていろ」
デインを見ていろって、すごい量のコウモリになったあの人を? 全部把握しろってこと? 無理! すでに何匹かいなくなっていてもおかしくない。まぁもとの数が分からないからいなくなっているかも定かではないけど、ホントにどう見ていればいいのか分からない。
「走るぞ」
ぐんっ!
瞬間、身体が降下したと思うと重たい空気に押される感覚がした。
「ぅあ!」
男の子が加速したんだ! それも尋常じゃない速さで。
周りの景色が新幹線の中から見ているようなくらい飛ぶように過ぎていく。いや、もう後ろのコウモリなんかすごく遠くにいて追いついてこられそうもないんだけど。
しかし不思議なのはすごい速さで走っていて、しかもすごく遠くて暗いのにコウモリの姿が見えたことだ。アタシの目はどうしてしまったのだろう。
「ひぐっ!」
鼻ではしにくい息を、口を開けてしようとしたがうまく開けられなかった。
苦、しい……。
肺に空気が入らないこともすごい風圧に押されている窮屈さも、アタシを苦しめる。しばらく息をするのを我慢していたがいよいよ我慢できなくなり、アタシは彼の襟元をぐっと掴んで顔を胸に埋めた。冷たくて硬い胸の中、目を閉じて集中すると少しだけ息が楽になる。
「どうした?」
声に、答えられない。すると男の子がスピードを落としてくれたのが分かった。身体が浮かび上がる感覚がしたから、きっとまたあの高く跳ぶ上下運動に切り替えたんだろう。その御陰で息が出来るようになった。ただ顔を胸に押しつけていただけのアタシを気遣ってくれたのだろうか。そうだとしたらこの人、やはり思ったより怖い人ではないのかもしれない。
「どうかしたのか?」
顔を上げると不思議そうな顔をした彼が覗き込んでいた。ホント、最初の恐怖は何だったのだろう。この表情を見ると普通の人と何も変わらないと思う。むしろ普通の人より美形だから目の保養になる。
「速すぎて息が出来なかっただけ」
彼は眉をピクリと動かした。
「息? あぁ、人間は呼吸が必要だからか。面倒な生き物だな」
そういう言いぐさということは、吸血鬼は息をしていないのだろうか。ますます吸血鬼という生き物がよく分からなくなってきた。いや、そうなると生き物ということにも疑問がある。この人は息をしていないらしく、それに決定的に生き物と違うのはこんなに胸にくっついているのに全く心臓の音がしないことだ。
吸血鬼……よく分からない。
「それじゃさっきは息が出来なくて死にそうだったのか」
コイツ。口の端を吊り上げて笑う姿はまるでアタシの死を願っていたようで、恐怖というより怒りを覚えた。
「死んで欲しかったわけ?」
嫌みたっぷりの声で聞くと彼は別にと答えた。その笑顔がムカつく。何があってもこの人の前では絶対に死んでやらない。
「今、俺の前では死んでやらないと思っただろ」
得意げな顔が非常にムカつく。
「アタシ、まだっ!」
若いから。そう言おうと思ったのに、目に映った光景に驚いて声が喉の奥に引っ込んでしまった。だって誰かの足が彼に向かって飛んできているのが見えたのだ!
ゴッ!
瞬間の出来事だった。気づいた時にはもう彼の頭に蹴りが入れられていて、凄まじい音と共に彼の姿が飛んでいっていた。
蹴ったのは青の長髪の、銀色の目の男の人。瞬きすれば見逃してしまいそうなくらい短い間だったけど、アタシの目はそれを鮮明に映した。そこまで見えていたのに、口に出すよりも速く、男の人は彼を蹴った。そのおかげでアタシは
「ぎゃぁぁぁぁ!」
すごい速さで落下中である。
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