第5話 New×Third×Vampire

 彼が蹴られた時、アタシは空中に放り投げられたのだ! 普通の人間であるアタシには空中で身体を止める術はなく、かといって猫のようにうまく着地できるわけでもない。落ちて地面に打ちつけられるしか、ない!


 忘れていた高いという恐怖や死への恐怖が蘇ってきた。


「放さないでって言ったのにー! 馬鹿ー!」


 叫んでも、声は闇に溶けてどこかに飛んでいくだけ。


 あぁぁぁ! もう死んじゃう! アタシはやって来るであろう衝撃に備えて目を閉じた。


 しかし待てど暮らせど衝撃はやってこない。そればかりか落ちていた感覚もなくなっていて、代わりに腹の辺りに何かが巻きついている様な感じがする。


 恐る恐る目を開けると、その何かは腕であるようだった。色のない腕。この腕は、この感覚は、知っている。ゆっくり顔を上げるとアタシを見下げる彼の顔があった。間一髪、家の屋根の端でギリギリ受け止めてくれたらしい。地に着かない足がぶらぶらしている。


「誰が馬鹿だ」


 白髪の間から見える真剣な顔。この人は少しでもアタシを心配してくれたのだろうか。しかしあんなすごい蹴りを入れられたのに怪我はないみたいだった。吸血鬼とはなんとも不思議な生き物だ。鉄やニッケルで出来ているのかもしれない。


 アタシがぼうっと考えている間に彼はアタシをひょいと持ち上げて屋根に座らせ、


「デインのことばかりで他の奴のことを忘れていた」


 笑った。その彼の横でキラリと光るものが見えた!


「危ない!」


 今度はしっかり言えたのに、もう、遅かった。彼に向けられた剣の切っ先は深々と、彼が盾として出した左手に突き刺さってしまった。真っ赤な血が辺りに飛び、アタシの顔にも飛んできた。ぐしゅっ、そんな音がして彼の手から腕にかけて伝った血が、ぽたぽたと屋根を赤く染め上げる。絵の具とかケチャップじゃない、鉄の臭いのする、完璧な血だ。


「けどまぁ、こいつは戦いやすい」


 手に剣が刺さっているというのに彼はあのニヤリ顔で笑っていた。そしてあろうことか自らの手をさらに深く深く剣に突き刺していった。ぐちゃ、ぐちゃ、嫌な音を立てて剣は濡れていき、それに伴って大量に落ちた血がますます世界を赤くする。嫌な臭いにあてられたからか、闇に浮かぶ赤がそうしているのか、気分が、悪くなってきた。


「お前、名前は?」


 この状況でそれを聞くのか? 睨んで問いかけてやりたかったけど、生憎そんな気分ではない。


「……ほのか」


 質問という名目の命令に答えるのがやっとだった。自分では血を見ただけで気分が悪くなるような柔なヤツではないと思っていたのだが、実際は違うらしい。あぁ、頭がクラクラしていて今にも倒れてしまいそう。吐き気も、する。


「俺はアイゼンバーグ。ホノカ、死にたくないなら寄ってくるなよ」


 彼……アイゼンバーグはアタシと話しているのに一瞬たりとも男の人から目を離さなかった。その瞳はギラギラ光っていて、まるで飢えた獣のようだ。これはアタシと初めて会った時の目と似ていたが、少しだけ違うような気がする。今の目の方がもっと怒りが……いや、殺意がこもっている。


「やろうか、マリウス」


 男の人の右手がアイゼンバーグの首を狙って突き出された。しかしアイゼンバーグはそれを避け、すぐに剣に刺さった左手を引き寄せた。つられて男の人の身体がほんの少し近づき、アイゼンバーグはその横腹に強烈な蹴りを入れた。バキバキと骨の折れる凄まじい音がしたが、男の人は吹っ飛ばされてもいないし表情一つ変えていない。


バチバチバチッ


 そこで突然彼の剣がアイゼンバーグの手を拒絶した。刃のような強い風が剣から発せられたと思うとそれは刺さっていたアイゼンバーグの腕に移り、皮膚を豪快に裂いた。バッと花が咲いたように赤いものが飛び出し、アイゼンバーグの手は剣から抜ける。アタシはその光景を見た瞬間、吐き気が込み上げてきて手で口を押さえて下を向いた。瓦を染めた赤も見ないように目も閉じる。


 ダメだ、ホントに吐いてしまいそうだ。血の匂いがきつい。それにもう、見ていられない。


 アタシがそうして苦しんでいる間にも戦いは続いているらしく、骨と骨がぶつかる音や金属の音、瓦が割れる音が聞こえてくる。このまま下を向いていれば少しずつ気分が良くなりそうだったが、気が気じゃない。なぜか二人の戦いがどうなっているのか気になって仕方がないのだ。もし、そう考える自分がいる。


 もし? もしってなんだろう。もし、アイゼンバーグがひどい怪我をしたら? アイゼンバーグが彼に殺されてしまったら?


 そこまで考え、アタシは素早く目を開けて彼らの姿を探した。目に入ったのは血みどろになったアイゼンバーグと腹に穴の開いた状態で剣を構えている男の人だった。二人とも普通なら倒れて動けなくなっているほどの怪我を負いながらも戦意喪失していない。怖くて、気分が悪くて、見ていられない。そのはずなのに二人が立って戦っていることにホッと心をなで下ろしている自分がいる。


 なぜ。分からない。アタシはおかしくなってしまったのだろうか。


 踏み込んだ男の人が剣でアイゼンバーグの横腹を切りつけた。アイゼンバーグは自分の腹に食い込んだ剣を素手で掴み、すぐさま足を振り上げる。ゴキッ、剣を握っていた男の人の腕があらぬ方向に折れたのが分かった。アイゼンバーグは彼の手から剣を抜くと素早く接近し、彼の首を掴んでそのまま後ろに倒した。男の人の身体が屋根に埋もれ、アイゼンバーグはそこへいつの間にか構えたキラリと光る彼の剣を突き立てた。


 ぐしゅっ。躊躇無く、剣が、胸に刺さり、彼は動かなくなった。ホントに、ピクリとも。


 あまりに衝撃的すぎて今まで普通に息をしていたのに、アタシは息の仕方を忘れてしまった。


 あの人、死んでしまったのか? アイゼンバーグが殺したのか? アタシの目の前で、たった今!? ヒューッヒューッと、どこかから空気の抜ける音がする。思わず口元に持ってきた手が震えている。


「さて、どこかで血を洗い流さないとな」


 またいつの間にかアイゼンバーグはアタシの傍に来ていた。きつい鉄の臭いをさせて、真っ赤に染まった姿で、アタシの横にいる。


「行くぞホノカ」


 アイゼンバーグはアタシを抱きかかえようと真っ赤な手を伸ばしてきた。その手が、あの人を殺したんだ。命を、奪ったんだ。


「嫌!」


 反射的にアタシは彼の胸に両手を突っ張って拒んだ。するとぬるりとした感覚が両手を包み込み、アタシは目を見開いてその手を突き出した胸を見た。深い切り傷が、肉を抉っている。アタシの指は、パックリ割れた肉の間に触れていた。急いで手を引っ込めると自分の手が真っ赤に染まっているのが目についた。まるでアタシが殺したみたいに。血、血が、すごい量の血が!


「血が怖いのか?」


 ゆっくり視線を這わせるとニヤリと笑う彼がいた。青い目がギラついている。


 理解できなかった。こんなにも傷を負って血を流しているのに、人を殺した後だというのに、笑っている。


 アタシがフリーズしている間に、アイゼンバーグはアタシをお姫様抱っこして空に向かって跳んだ。

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