第86話 家族に手を出そうとする奴は許さない
私は『シャドウステップ』で男の背後へまわると、ナイフを滑らせる。
首を狙いたいところだが、背丈がだいぶ離れていた。
もしも宙に飛んで殴られれば、意識が落ちてしまうだろう。『シャドウワープ』で避けれるかもしれないが、使えることをまだ隠しておきたい。
だから留美は背中を狙った。
斬ったと思ったのに、大剣がナイフを弾き、男はなんでもないように振り向く。
大剣がここにあるということは、留美は斬られていてもおかしくなかったということ。
『遊ばれている』一番最初に思い浮かぶのはそれだった。
留美は戦い慣れてる人と同じ土俵に立ててない。温存なんてしてる場合じゃなかった。
カンッ! ブンッ
重い剣の音が通り過ぎていく。絶対撃ち合いたくない。
どこを攻撃すれば……。
どこをやられれば嫌がる? 考えろ。まだあいつが油断してるうちに、考えろ。
……何も思いつきやしねぇ。
こんな時、雷ならどうするかな? パパなら、ママなら? 知らんがな、留美が相手してるんやから、留美のできることで考えないと。
どうしたらいいのか。
目を潰せ、耳を潰せ、喉を潰せ、口を潰せ、金的を潰せ。膝を潰せ。人間は急所がいっぱいある。
でもこいつは早い。
筋肉もついてるから浅く切っても意味なさそう……。
違う。人間は痛覚がある。
薄くても切り続ければ戦闘に支障が出るはずや。
なら指。剣を持つ指を狙おう。爪を狙おう。指先剥がしてやる。
留美は男の膝裏を斬りつけた。
「浅い」
少し離れた瞬間に、太い足がそばを通り過ぎていった。
「お前、素早いな」
「ぬかせ」
私は話す気は無いと意思表示して、地面を蹴る。
『シャドウステップ』
男の背後に回る。
――――ヤバッ
男の背後に回った私はナイフで首を狙う。その時、剣がものすごい勢いで横から振られているのが目に入った。
予想通りやけど怖っ……。
とっさに『シャドウワープ』で、下に張り付き、振られる手の向きを確認する。
ブンッ!
私は自分の手を押さえて、踏ん張る体制を作っていた。彼の剣を振る力を利用するのは、止めたほうがいいかもしれない。
こちらが吹き飛ばされそうな抵抗感。
静止したナイフが、彼の指を切っていく感触が伝わってくる。
切れた指から血があふれ出で、私の袖を汚していく。
それを確認する間もなく大剣が振られた音を聞くと、飛び退くように下がる。
男は痛みに悶えるどころか、すぐに行動を起こしていた。
蹴りが顔に向かってくる。
「っ!」
私はギリギリで回避すると、体勢が低くなっていた男の首をめがけて、下からナイフを突き刺した。
もし蹴りを避けることが出来ていなければ、私の顔がぐちゃぐちゃになっていたかもしれない。
うー……こわっ。
「うッ!?」
留美はナイフから手を離して、下がる。両足をしっかりと地面につけ、抜けなかったナイフの刺さる男を見上げた。
彼は口から血を垂れ流しながら、微かに笑っていた。
一応血の出る箇所へ手を当てているが、なんのためかはよく分からない。剣を持つ手をだらんと下げられており、今すぐ攻撃してくることはなさそうだ。
「やるな……」
どこか感心するように呟かれ、狂気の沙汰だとしか思えない。
「…………」
留美は考える。
刺した向きが悪かったんかも。角度が悪かったかも。下から上やから、口の中くらいには刺さってると思う。歯とかから血が出てると思う。けど、まだもっと奥まで。たりない。
ナイフが深々と刺さったというのに、痛がる素振りすら見せない。人間じゃないんじゃないかと思えてくる。
私は男に追い討ちをかけるべく『シャドウステップ』で近寄る。
突き刺さったナイフをさらに深々と刺すために、蹴り上げようとしたのだ。しかし男が大剣を振り上げた。
蹴り上げる体制から男の体を蹴って下がろうとするも。間に合わないと悟った留美は、ナイフで防ぐ。
威力を流すよう努力するが、まぁ無理だ。結果、吹っ飛んだ。
「うわっ!?」
私は地面に叩きつけられる前に『シャドウワープ』で地面に足をつける。
今自分が何をしたかったのかよく分からない。相手武器持ってるんだから、そうなるのは当たり前だ。
ナイフをもっと深く刺したい、にだけ囚われてしまったんや。……無様な姿見せて、すごく恥ずかしい。
「今のは焦っただろお前。こういう時に、焦りは禁物だぞ」
普通に喋ってるー。こわ。不死身なん?
なんて言ったかはいまいち理解できんかったけど、なに? こいつ何? ほんまに何こいつ。
留美はふぅと息を吐いて呼吸を整える。
「刺さってますよね? なんで死なないのか、聞いていいですか?」
「筋肉で止めているからな! ハッハッ、こんなもの大した傷でもないさ」
いやそこ筋肉ついてるの? 顎の下よ? 今現在進行形で刺さってるけど。…………まぁでも。人間やめてるとかじゃなくてよかった。ちゃんと死ぬ。ただ頑丈なだけ。
次はどこ狙おっかな。やっぱ一番切り落とせそうな指? 玉もいいね。
もしかして今の誘導かも。もっと攻撃通りそうな場所狙えよっていう。んー、方針は変えない。指一択。
私は一握りの砂を手に持つ。
「この程度なら、あと十は耐えれる」
虚勢な気がするけれど、本気で効いていないのかもしれないという思いが焦りを生む。
「次はこっちから行くぞー!」
口から血を吐き出しながら話さないで欲しい。普通にホラーだから。
男は加速すると、私の前に現れる。その瞬間砂を投げるが、大剣で庇われて顔にはかからなかった。
なんでその速度で剣が動くかな。それに今の、シャドウステップと変わらんやん。こいつおかしい。絶対普通じゃない。
私のことは見えていないだろうに、大剣から片手を離して、素手の左パンチ。
いや無理ッ!!
あれを受けたらヤバいと直感的に思った。私は『シャドウステップ』で男の背後に移動する。
それも読んでいたようで体勢を回しながら、大剣が振られていた。
留美はその剣も避けると股下に足を入れて、体重を移動しつつ股下を潜る。
立ち上がる前に、男にとって大事な所を精一杯力を込めて刺し上げようとした。が、途中でマッチョの足が動き、逆に私を蹴り飛ばした。
「グハァッ」
ギュッとナイフを握って手放さないようにする。
意識が飛びかけた。なんとか持ちこたえることができたのは、執念ゆえだ。
こいつを行かせたら、雷が危険になる。
勝てないという思いが濃くなるたびに、殺意も増していく。
ここで。ここで殺す。見失ったら、見つけられる気がしない。奇襲を防げる気がしない。だから。
ここで殺す。
絶対雷は殺させん。
そんな思いがぐるぐる渦巻いている。
なぜか私を吹き飛ばした男が、慌てるような仕草をした。
目で見たわけではなく、スキルでのことだから、もしかしたら留美の妄想かもしれない。
攻撃が最大の防御と言わんばかりの行動をする男を、どう攻略すればいいのか。
私は地面に激突して二回転している最中に、意識が朦朧とする中『シャドウワープ』を使う。
男の上に飛びたい。
痛いなんて考えない。
この行動の後の予想もしない。
こいつを殺す。ただそれだけ。それだけで体は動いていた。
片足を男の肩に乗せ、彼の頭で自分の体をささえる。
今度こそ首のちょうど動脈を狙って、手に握っているナイフを振り上げる。
この『シャドウワープ』って、結構反則のスキルよな。どんな体勢からでも飛べる。覚えといてよかった。
ぼーっと思いながら、体を動かす。
男はハッと慌て出すが、もう遅い。
気が緩んだ首の肉はさぞ斬れることだろう。
数秒先には、飛び散った血が顔に付き、血の香りが鼻に届く。
しかし、そのナイフは止められてしまった。先程まで練習を付き合ってもらっていたジアさんによって。
「終了だ」
ぎゅっと手を握られて、動かせない。
なんで止めるの? そんな疑問が溢れて、目を見開く。
「なに……?」
私はジアさんによって、男から引き剥がされ、頭から地面に落ちそうになる。そこは受け止めてくれた。
「大丈夫か?」と言われた気がしたが、音が入ってこない。
聞こえるのは自分の心臓の音のみだ。
足が地面について、フラついたところをジアさんにささえられる。
「…………」
支えられた手を押し除けて、意味がわからないと言うように、視線を彷徨わせる。
すると、ジアさんと戦ってた人たちは、カナさんとお茶をしているのが見えた。ますます意味がわからないと、ジアさんを見る。
彼は、居心地悪そうにするだけで答えない。そして私を無視して男に話しかけ始めた。
「**し******。***」(油断しすぎなんだよ。バカが)
バシンと背中を叩く姿から、仲が良さそうな印象を受けた。
耳に水が入ったかのように、ぼんやりと聞こえづらい。
「あ*、ゆ*ぁ****。***てる*な?」(ああ、油断したよ。俺生きてるよな?)
「***************。************。*****************、せ**!」(痛いってことは生きてるってことだ。何が後十回はいけるだ。さっさと治療受けねぇと死ぬぞお前、セレン!)
「ガハハハッ! 迷い************」(ガハハハッ! 迷い人に無様は晒せないからな)
「****、手加減**********だ」(その結果、手加減忘れた奴が何言ってんだ)
手加減? 最初から? やっぱり遊ばれてただけ? 盾、捨ててたもんな。
最初っから、決められてた演劇。
知らなかったのは留美だけで、踊らされてた道化。なんて無様。
「…………」
タラッと鼻血が垂れてきた。
雑に袖で拭う。血のついた服を見てから、これ借り物だったなと気づく。
一つのミスが死に繋がる攻防が、留美の体力と精神力をガリガリ削っていた。それに気づけないことが、戦闘初心者と言える所以である。
「**、****************。*************」(はぁ。マジで一撃もらうとは思わなかった。最初から油断しなけりゃなぁ)
「*************」(さっさとセレンの所に行けよ)
言い訳がましいことを言う男に、ジアさんが呆れた視線を送る。
「仕方ない。今回の賭けはお前の勝ちだな」
「覚悟しとけよロック」
「ほどほどにしてくれ」
律儀に会話が終わるのを待っていた留美は、また何か話題が出てくる前にと話しかける。
「あの。結局どういうこ――」
一歩踏み出したら、グラついた視界を他人事のように眺めている自分がいた。
さすがに限界だ。
緊張の糸が切れ、留美は人形のように倒れこむ。意識があったら痛いやつ。
倒れたその様子を、慌てるでもなく二人は見ていた。
「そういやお前の蹴りがもろに入ってたな。痛そー」
「…………」
「もうちょっと待って〜」とカナさんとお茶してたクレリックの少年が、慌てて駆け寄ってくる。
「君たち、ヒヨコちゃんがかわいそうでしょ! 全く、僕がいなかったらどうする気だったのさ!」
終わったのを知っていながらお茶を飲んでいた奴がよく言う。と正直に文句を言いかけて。彼の機嫌を損ねるのはまずいとジアさんは自重しておく。
「とりあえずジア、その子日陰に運んであげてよ。ロック、ナイフ抜くよ」
「はいはい。……軽いな」
「いつでも来い」
クレリックはナイフを抜くと、マッチョ……ロックに『ヒール』をかける。
大量の血が服を濡らし、セレンの着ていた白い服にも血が飛ぶ。彼は汚れた服を気にすることなく傷を塞いだ。
「これでよし。もうちょっと横だったら、とっくに死んでたかもね」
「治してくれてありがとな」
「ま、それが僕の仕事だからね」
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