第39話
「うわあああっ」
俺は樽井会長の首をめがけて斬りかかる。
その樽井会長がマチェットを横に払う。
再びキンっと音がして、握っていた包丁がどこかに飛んでいった。
最悪だ。終わった。
「ちょっと串田君。なんであなたがアタシのこと殺そうとするのよ。死ぬのはあなた。泣き叫んで命乞いして死んでいくのはあなたなノよ――っ」
丸腰で戦意喪失した俺の頭に、容赦のないマチェットの一撃が振り下ろされる。脳天をかち割られたら、泣き叫んで命乞いをすることもできないが、俺が気にすることではない。
ああ……死にたく、ない――っ!
「きええええええええええっ」
歯を食いしばって目を瞑った俺の耳に奇声が飛び込んでくる。
何かが地面に倒れる音も聞こえた。
マチェットは降りてこない。恐る恐る目を開ける。
樽井会長が仰向けになっていてその上に誰かが馬乗りになっていた。暗闇の中というのもあってその眼前の光景の意味を掴むのが遅れた。が理解した。どこからともなく現れた老婆の殺人鬼が樽井会長に襲い掛かったのだ。
「こんのガキャ共ぉ、性懲りもなく撮影なんて続けやがって。キャンプ場の使用料はお前らの血と臓物で払ってもらうからねぇっ、えひゃひゃっ!」
ライトの光で露わとなった樽井会長の顔の横に、包丁が突き刺さるのが見えた。その彼の耳がなくなったようにも見えた。
刹那聞こえる、樽井会長の叫び声。
老婆の殺人鬼が後ろへと倒れる。樽井会長が蹴ったのだろうか。良く見えない。が樽井会長が立ち上がったのは視認できた。同じく立ち上がった老婆の殺人鬼のライトによって照らされたからだ。
向き合い、お互いをライトで照射する二人。
そこで老婆の殺人鬼の姿が鮮明になる。
白かったはずの着物は血と泥に塗れていて、相も変わらず前がはだけている。今知ったのだが、露出された体には下着が着用されておらず、丸裸だ。且つ常軌を逸したような血走った目と剥き出しの歯茎。頭に巻いてあるのがヘッドライトでなく蝋燭ならば、八つ墓村の〈濃茶の尼〉が怨霊化した姿と言われても納得してしまうだろう。
一方、樽井会長はといえば、右耳のあたりから夥しい量の血が流れている。どうやらさきほどの包丁の一撃で、右耳を切り離されたようだ。なのに叫んだのは切断されたそのときだけで、今はまるで気にも止めていないかのようだ。
「ああ、そうね。忘れてたわ。あなたのこと。あのとき、アタシの腕を切ってくれたこと、本当に感謝してルのよ」
「稔さんと私はねぇ、キャンプが大好きだった。だからそのキャンプの楽しみを知ってもらいたくて、このキャンプ場をオープンしたのよ」
「切られたとき、血がマスクに付いたのよ。それでアタシ、もう我慢できなくって人を殺したいッって強く願っタの」
「子宝には恵まれなかったけど、稔さんと二人三脚でキャンプ場を経営していくのは楽しかったわ。キャンプ友達もたくさんできたしねぇ」
「そしたらあとは簡単だったわね。この体を操ってマスク被って、アタシは四十数年ぶりに人になれたの。すぐにマチェットまで手に入れらたのは嬉しかっタわ」
「でもねえ、十七年前に稔さんが病気で亡くなってから、同時に私のキャンプ愛もなくなっちゃってねえ。それで廃業よ、廃業」
「それであんまり嬉しいものだから簡単に人、殺しちゃったの。でもそれじゃダメなのよ。デスマザーの続編のためには、人間の死に際の恐怖と絶望に彩られた慟哭が必要ナのよ」
「でもねえ、それでもこのキャンプ場は私と稔さんの大切な思い出の場所。それを汚すような奴らは絶対に許さない。一人残らず――」
「だからアタシは串田君からその慟哭を聞こうとしていたのに、なんで邪魔するのかしら。あのとき感謝したけど、あなたかラ先に――」
対峙する老婆の殺人鬼と化粧マスクの殺人鬼という構図が、なんとなく映画〈フレディVSジェイソン〉のように思えたそのとき。
「ぶち殺しててやるぅっ!」
「切り刻んであげルわっ!」
地面を蹴る音が同時に聞こえ、ライトの光が交錯する。
奇声、怒声、叫声が入り交じり、マチェットと和包丁が不規則な軌道上で赤をまき散らす。
攻め、逃げ、追いかけ、斬り合う二人の殺人鬼。
見えているのはお互いだけであり、彼らの意識にはすでに俺の存在はないのだろう。そしてこのチャンスを逃がす俺でもない。
スマホのフラッシュライトを照度の低い状態で付けると、大体で把握している鳴河のいる位置へ俺は向かう。あの辺だったかというところで、鳴河の眼鏡にフラッシュライトが反射した。
「あれは何が起きてるんですか」
となりに座ると鳴河が聞いてくる。
確かにここからでは樽井会長が誰と何をしているのかよく分からない。俺が経緯を説明すると、彼女は「そういうことですか」と頷いた。
――ん?
今、ライトの一つが何かを照らしたような気がする。
一見して、木々か雑草だと認識しておきながら、何かがおかしいという些細な疑念。その情報を掴めそうで掴めない気持ち悪さ。もう一度その〝何か〟を照らせば疑念を払拭できそうだが、それを待っている余裕はない。
「鳴河、足はもう大丈夫か」
「……」
「おい、鳴河。聞いてるのか? 挫いた足は大丈夫なのかよ」
「はい、大丈夫です」
「そうか、良かった。で、このチャンスを逃す手はないと思うんだ。あいつらが殺し合っているうちにキャンプ場から町まで逃げよう。途中で警察に電話してもいいし交番を探してもいい。とにかくここから去ったほうがいい。じゃあ、行――」
突如、脇腹に異物感を覚えた。
まるで外側から押し込まれたかのような異物感。
押し込まれた? 何を?
次の瞬間、脇腹に壮絶な痛みが走り、俺は苦痛の声を漏らしながらその脇腹に触れた。
棒のようなものが脇腹にくっついていた。形には覚えがあった。ついさきまで握っていた和包丁の柄だった。
俺の脇腹に和包丁が刺さっていた。
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