再演

押田桧凪

第1話

 人は誰しも演じるためのスイッチがある。幸か不幸か僕には、それが無い。いや、無いっていうより置いてきたっていう感覚に近い。だからいつだって演技は僕を肯定する。それが本能的に勝ち取った生きるすべだと僕は知っている。


 ──二代目声優として苦労したことは? 


 ありきたりな質問だ。似てないと言われること。誰に似せたいわけでもなく、僕であることが否定されるのは嫌だ。僕の声を通して、僕が存在できないことが嫌だ。まとわりつくのは、実体のない噂だけ。だから、インタビュー取材を受けない意向をマネージャーには伝えていた。


〈今日は午後から収録の予定です。〉


 言語聴覚士STの溝辺は僕の仕事上のパートナーであり、マネージャーを兼任している。声優っていうのは普通、歌手みたくボイストレーナーをつける認識でいたから、業界に入って間もない僕は、傍に付いて回る彼の存在をとりわけ特別に感じたことはなかった。


〈了解、3時にスタジオ前だっけ?〉既読

〈猫が親指を立てたグーのスタンプ〉


 そこで、電車の揺れが止まった。ノイズキャンセリングのイヤホンを外してからポケットに仕舞うと、開いたドアから通知のバイブレーションみたいな小刻みの振動で人混みに押されながら、改札を目指す。


 声優業と勉強の両立。普通に擬態するために学べることは多い云々の理由から普通制の高校に通うように言ったのも溝辺だった。


 曇った窓ガラスにかざした指で○×ゲームをする余裕があるくらいの、一限現社の小テスト前の緩みと教室の喧騒を肌で感じながら着席。隣の席の村重さんと、窓際一番端の僕はお互い自転車通いだから手はかじかんだままだ。シャーペンを通学の余力で握れるか怪しいところで予鈴が鳴り、 「だるー」と言って、謎の連帯感が生まれた僕たちは笑った。こすり合わせた指と指が、わずかな熱になることを祈りながら。


 雰囲気や感情を代読するための空気があることを僕は知っていて、今その場で発することが穏当な、もっともらしい共感を得るためだけの言葉を探り合って選択するゲームだったよね、会話って。だから「だるー」って言う単語を発することでそこにいることが許されるみたいな空気をずっと演じるのにも飽きてきた頃だったから、僕には「声」の仕事がより一層魅力的に感じた。


 もう何年も前からその波に乗ることを強要されてきた僕たちだったから、あれが高い・低い・濡れる・濡れないみたいなやってくる波を遠くから判断することにやっとこさ慣れてきた順に会話を卒業していく。自分だけが踏み外した大縄みたいな孤独を抱えないようにするために。生き抜くための青春は少しつらいから。



 お母さんの葬式は今でもたまに思い出す。泣くためのモーションが分かんなかったから、恥ずかしくて周りにいた人の真似をするように俯いた記憶がある。それが正しくないとかはよく考えてなくて、その時に初めて僕は色々と「表現」することが空っぽなのかもしれないと思った。人気声優の突然の訃報、みたいな見出しで括られる記事の華々しい功績が列挙される中で、隅っこに追いやられた「一人息子を残して……」みたいな数行の瑣末な情報でしか取り扱われなかった「僕」がどういう顔をしてその葬儀の場に立つのかっていうのと同じくらい僕は僕に興味が無かった。


 そこに参列している人は皆、母の声が聞きたかった人で、その最期に満足できなかった人たちだった。じゃあ、僕はどこにいる? 目頭を熱くして零す涙のために用意されたハンカチのような、その大粒を受け止める脇役を立てる主演がお母さんだったのなら、僕は泣けなかったことが、泣きたいと思わないと泣けないことが恥ずかしかった。本心に抗えない感情はこういう時に不便だ。


 でも、その瞬間に僕の頭の中に降りてきたイメージは、運命づけられた主人公が涙を見せずに会場を去るという光景だったから、僕が欲しいシーンというか、いや、僕が選んだのはそっちの世界線だって信じることにした。こんな話はとても有り得なくてすごく芝居じみて聞こえるだろうけど、僕にとっての生き抜く方法がそれを演じることだったというのは、楽になるための逃避行動の一つだと溝辺も言ってた。しかも、当時小三だったとはいえ、お焼香をつまんでフッと口で吹き飛ばしたくなる衝動に駆られることも無かったし、そうすれば魔法が起こるなんていうドラマチックを期待しているわけでもなく、普通はやっぱり演じることだった。


 国民的アニメのお茶の間の『母』をテレビの中で演じてきたお母さんが姿を消して局は毎週、再放送を流すようになった。僕は子どもの時にそれを二、三度しか見たことがなくて、おそらく見せないように誘導(教育?)させられてきたのかもしれないし、お母さんは多忙でPTAの役員もお父さんがやっていたから、ママ友との交流も無く、「お前の母ちゃん、○○の声!」みたいな噂を立てられなかったせいなのか、それほど珍しくない『内田』姓に助けられたのか定かではないが、とにかく画面の中の母に初めて対面したのは結構遅い時期である。


 思い返せば僕の家に家族写真は無かった。昔何かのドラマで強盗が部屋に飾ってあった幸せそうな家族写真を見て改心するシーンを見て、これがフィクションだっていう実感を得ると同時に僕は現実を知った。


 それからマスコミが学校に来たら転校、また転校みたいなのを繰り返してきたから、小中時代にまともな友達は一人もいない。


「兄さんまた遅くまで飲みに行ってたの? もうこれだから男ったら」

「ごめんよお」

「知ーらないっ、明日からのお弁当のおかずなんか全部茶色い物にしてあげるわ。職場のお茶汲みのパートさんに笑われたらいいのよ、ふんっ」


 今からすると昭和感の強いタッチで描かれる軽快な家族ドラマといった構成のそのアニメは存外に面白くてびっくりした。しまじろうとアンパンマンで育った僕には刺激が強かった。当たり前だが、喋っている声がお母さんだというのは衝撃だったし、お母さんに兄弟はいないが、こんなにも「つくれて」しまう声を聞いた僕は、初めて本物のお母さんに会った気がして震えた。


 お母さんがなってから、世間に求められていたのは「オンナ声」だった。(当時は死んだのではなく、『いない』という設定で生活苦に陥るみたいなイメージを抱く僕を、勿論そんなことは無かったけど、給食費が払えなくなって孤立していく児童をで作り上げながら登校していたイタい僕を、今の僕が一番励ましたいって思うくらいの年齢だった。)


 ニュースが落ち着いた頃になっても世間は代役を探していた。そんな折、お父さんが家に連れてやってきたのが溝辺という男である。その男は、ジャーマンポテトに振りかけた胡椒がポツポツと残っているような剃り残しのある髭を生やした四十歳くらいのおじさんで、突出した前歯が笑った時に見えた。


 溝辺は母がかつて所属していた芸能プロダクションのマネージャーをしながらも、本業では医療施設に従事しているらしい。そんな彼が僕の声を変え、声優としてデビューするきっかけをくれた張本人である。


「たぶんだけど、トキコさんに一番似てるのは君だろうから」


 お父さん以外でお母さんのことを「トキコさん」と呼ぶ人に初めて出会ったから、僕は怪しい外見のこの男を信じてみることにした。


「似てるって何? 僕がやりたいのはそういうのじゃない」と説明にもならない拙い言葉で当時、反論したのが幼い僕だ。


「ごめんごめん、もちろんそれは分かってる。言い方が悪かったね、やりたいのは唯一無二の役だってことだよね?」


 よく意味は分からなかったけど、僕はなぜか父の紹介とかコネとか運とかそういうのとは違う理由で、この人に付いて行こうと思った。



 僕が自分の声がおかしいと気づいた時期はよく覚えていない。何だか、違うのだ。お父さんとお母さんの声が違うのとは別だ。男と女で分かれて声が変わることは知っていて、でも僕の声は友だちと違うとはっきり分かった。枯れた声になるし、話していて「声どうしたの?」と聞かれても、明日の声は今日の声と一緒にならないことを知っていたから、笑ってやり過ごすしかなかった。


 例えば、授業中に教科書の音読の順番が回ってくるのが怖かった。立候補制にして欲しかったけど、そんなことを意見すれば恥ずかしいだけだろ、と一蹴されて終わりだということも容易に想像できた。


 いつも僕は心の中で三つ数えてから喋る。タイミングを合わせること、スピード、アクセントを整えて緊張で声の震えが出ないように。九九の斉唱の速さを競ったり、体育の点呼ですぐに言わなかったらやり直しになるのも、苦しかった。


 言葉が体にまとわりつくように、いつも声は心に遅れるから、それが変だと思ったから皆に似せるための声を作って演じていた。似せることに慣れたら、生まれながらの生活が演技になった。別人の声になるために。


 言葉をスラスラ出せるようにしたら、逆に周りの大人からゆっくり話しなさいと言われるようになった。でも僕の場合そんなことをしたら、音と音がスタッカートみたいに途切れて声が安定しなくなる。それを説明するのが難しかった。


 そんな僕が溝辺という人間に出会った。最初の分析検査では単一指向性のコンデンサー型マイクを使い、機能性発声障害、吃音の傾向があるか等を確認した。それ以降カウンセリングでは、「一文節ごと、例えば文章を区切っている場所で息継ぎすると不自然に聞こえるよ」「鼻から出入りする風を感じて。ほらそうやって呼吸してごらん」といったアドバイスを貰ってから会話のテンポを掴みやすくなり、発話速度の調節ができた。声帯の緊張を緩めるために擬似のため息やあくびから発声を誘導する訓練をした。他にも手を口に当てて「は、は、は」と言う。そうすると声門が開く感じがした。ボイスセラピーVTと称して行われた僕のためのレッスンは週二回行われ、「ちゃんと喋れてた?」と誰かに聞けることが僕はとても嬉しかった。そんな存在に初めて出会った。


 もう声がでこぼこに聞こえないんじゃないかなあと少し自信が湧いた折に、提案されたのが僕にとっての最初のオファーだった。


「いいかい? 別人になること。それはたぶん君が一番得意だと俺は思ってる」


 そう溝辺は言った。お母さんになること。僕がお母さんの声を生むために、更なる特訓が始まった。誰よりも向いていないはずの適さない声が演技に向いているなんて僕自身気づいていなかった。


「高い活声位で話せても、その負担で緊張性発声になることもあるけど……」


 よく分からなかったけど、それから僕は口腔用アダプターを使った機械振動によって発話練習をした。振動の位置、角度、声の大きさと高さの設定、速度の制御と子音の強調。ド、レ、ミ、ファ……の音階に合わせた発声を学んだ。頬を内側にそれをはめ込んで、無理やり口と喉を動かした。そこに僕の肉声は無かった。


「女っていうのは何だと思う? そしてそれはどこで決まる?」


 溝辺が訊いた。生物として、という質問じゃないことは分かった。でも違いって言うと……それ以外に思い当たらない。


「言葉、態度、色んな要素がある」


 アダプターが可能にした生理的声域を広げることに加え、女性オンナ言葉を使うこと・語尾を上げるイントネーション・仕草や振る舞いを演じるうちに僕は「本物」になる。機械が僕を本物に近づけていくから、それに身を任せるのが楽だった。だけど実際には、機械による発声の制限──つまりその自然性の欠落を補えるのは僕だけだったらしい。今までの声優養成学校での検証実験では成功した例は無かったみたいだけど、そのあわいを忘れてしまったような、幼い頃から電話の方が喋りやすかった感覚があったように『役』に骨を埋めることで、僕は本当の声が解放される気分だった。


「兄さんまた遅くまで飲みに行ってたの?」

「ああ今日も楽しかったわァ。ねえまた遊びに来なさいよ、私待ってるから」

「お弁当箱出してって言ったじゃない」

「早く支度してらっしゃい」

「姉さんみたいに私をお裁縫が得意じゃないの知ってるでしょう? この意地悪!」


「もっと不細工な声出せる? 初期ドラえもんみたいな声で頼むわ」


 いつもギリギリのラインでアドバイスする監督は、どこまでもオリジナルに忠実で彼の考える『役』から一歩でも外れたら没になる。そういう世界だった。声とイメージ、性格を一致させることは何よりも重要だった。


「生きてると死んでるの中間にある音、出してくれる?」そういう注文をつけられることもしばしばあった。


 僕は必死でそれに応じる。発話に必要な信号を機械に咀嚼されたくなかったから。原作を上書きするような声をつくってはいけないから。誰かのオルタナティブになるんじゃなくて、僕がオリジナルであるために。


 お母さんの声をトレースする。明日にはまた僕は別人の声を生きている。ポップで色褪せない印象を視聴者に届けるという使命があるから。それから、晴れて実の息子である僕がお母さんの代役になった。



 演技をやるのが人間の時代は終わった。人間が生活を、(人間みたいな)機械が演技をやるのが向いていると分かってからは誰もそれを疑うことはなかった。生活っておままごとだから。


「情動なんてこれっぽちもないような涙をよく画面の中でだけ見せつけてきたよな、歴代の女優たちは。笑える」と、僕の同僚たちは勝ち誇ったような顔で言ってる。それは僕も、とてもよく分かる。鼻を引くつかせたり、頬をピクピク震わせたり、声を少し下げてみたり。「違う」って思うのは僕だけじゃなかったんだ、って安心しながらもそういう産業が存在していたという昔がちょっとだけ気になった。


 今じゃそういうの、全部バレるから。僕たちに埋め込まれた感情チップを人にかざしたら、演じてるかどうかなんて簡単に見分けがつく世界で、誰がキャラを作ろうと思うんだっていう話。元をただせば、うそ発見器ポリグラフってすごい発明だと思う。


 だけど一つ言うとしたら、ボイスドラマの収録終わりに先輩とご飯に行った時、鼻にティッシュを詰めてもやがかった声をつくるとか、咀嚼音は実際に食べながら録るとか言っていたのを聞いたけど僕にとってはそういうのも偽物だと思う。本当はそんなの嘘だと思う。現実に寄せようとするってことは、それはフィクションに近づくあかしだし、完全に「機械」を演じ切れないならそれは本物じゃないと思う。


 面白くないフィクションは全部現実に代替されるからフィクションを現実にする必要がある。それが僕みたいな「演じるスイッチ」を無くした、どこからが笑う・泣くの境目か分からなくなるくらい感情を簡単に生かしたり殺したりできる人間に適合した職業だって、僕は思ってる。僕の演技(正確には演技なんかじゃないし、素の部分を開示すれば演技に見える類のことだけど)を褒めてくれる人の言う、「リアル」っていう感想は一番現実から遠いから。分からない人には、どこまでも演技に見えてしまう矛盾がたぶん世界の真実だ。



 現社の小テストが回収されると、数年前から施行された言論の自由における法改正についての授業が始まった。コンプライアンスと感情チップの関係が主題となる。


「であるからして……はい、村重さん。質問ですか? どうぞ、発言を許可します」


 僕たちの生きる現代で、意味のある会話と意味のない笑い声を弁別するためにも感情チップは有効とされた。例えば、生徒の「演じた」状態での感情・授業中の態度が内申書に直結することは無くなったし、教師の特定生徒への贔屓や好意は常に数値化され、上に厳しく管理されているので成績改竄といった不正や私情が教室に持ち込まれることは無くなった。本心からの教師―生徒間の対話を確立し、休み時間を除いて「発言」は許可制へと移行した。


「なんで、感情チップが義務付けられるようになったんですか?」


 彼女のその発言を聞いて、教室の空気がふっと緩むのが分かった。なんだそんなこと、と小馬鹿にするように。生まれた頃からあまりにも当たり前で、誰も疑うことのない「素直さ」が強制された空間に慣れすぎた僕たちだったから、思わず皆が笑ってしまった。そんな中、僕だけは少し心臓が揺れるのを感じた。


「静かに。はい皆さん笑わないで、村重さんはこれでも真剣よ。たしかによく考えると不思議よね、私だってあまり考えたことは無かったのだけど……」


 担任は腕を組んでしばらく考えるような仕草をした後、口を開いた。


「じゃあなんで、村重さんは『なんで』って思ったのかしら?」


「それは、もしかしたら機械ですら騙せる人がいるんじゃないかって思って」


「感情チップに引っかからない声や表情、脈拍の持ち主がいるってことかしら?」


「そうです」


 そんなまさか、と先生は笑った。それにならって、教室の空気に紛れるように僕も笑うことにした。


「そんな人がいたら困るわ。機械に見抜けない人が存在するなんて……それは学校側、いや採点する側からすると欠陥エラーみたいなものじゃない? もしいたのなら、それはとても」


 そこで、チャイムが鳴った。村重さんはまだ幾分か暗い顔をして虚空を見つめていた。先生の回答には納得がいっていないようだが、僕としては助かった。一人が異を唱えることで、声を上げることで変革が起こることを僕は知っている。また、それを弾圧するための「声」があることも、僕は知っていた。


 だけど村重さんも、教室の皆も、先生も誰もテレビに出てる僕の声が僕だと気づかない。良かった、危なかったと胸をほっと撫で下ろす。


 活躍する声優が人工声帯みたいな物だって知ったら、ゲンメツする? でも僕はこっち側で生きてる。僕はオンナ。手に入れた側のオンナの声。生前の声のデータがあるってのに、それでも人間っていうキャラクターが欲しいんだよね? それを機械ではなく、人間に演じて貰いたがってるのはどこの誰? 必死で僕は喉元まで出かかった本音を押し殺す。



 四限目の授業が終わると、「仕事」がある旨を事前に担任に伝えているので、昼抜きで僕は現場に向かう。


 声にはチャンネルがあって、各々の人間に合った変調チューニングは欠かせない。マネージャーから急遽伝えられた依頼はとあるニュース番組で被災地との電話中継で繋がる『被災者の一人』になることだった。


 被害の発生源が不明のまま我先にと取材したもの勝ちの風潮が蔓延っている中、僕が選ばれた。電話口から聞こえる細切れな声を作るためにノイズで加工して演じる、『クライシスアクター』という無駄にかっこいい横文字のご職業。制作側のヤラセ──いや、それは演出という形で普段は消費されるもので僕にはその境界を問い質す権限は無い。


「断ったら、まずいと思うよ」と言われたそれが脅しなのか本当かを区別することは簡単で、久しぶりに僕は仕事を辞めたいと思った。誰かのためであっていいよ。空っぽになるまで、擦り切れてしまうくらい聞かれ続けるレコードとかってすごいと思うから。声紋鑑定に引っかからない、機械に調教された僕のようなバレない声が欲しいというリクエストだった。


 感情を交えずに淡々と状況を伝えるレポーターに華を添えるのが僕みたいな機械であって欲しいと願った制作側の汚い私情に巻き込まれた人ってこれまでどのくらいいたんだろう、と想像する。人間が起こした戦争のために駆り出されるクローン同士の戦いみたいなSF映画を思い出しながら、僕は「分かりました!」の「わ」の音をつくる。


「物資が不足していると感じています。トイレももう、使えなくて。昨日から断水しちゃってるから溢れかえってるんですよね、はい。衛生とかがもう……」


 丸いフォントに化体した誰かの台本に、はりつけにされた僕の声が全国に放送される具体的なイメージが浮かばなかった。エゴサで見つけた『頑張って!』『かわいそう』『早く逃げて』というコメントを他人の顔をして受け取ることしかできなかった。僕はその日の収録現場を、密かに携帯で録音していた。


「あれってヤラセですよね?」


 後日、ディレクターに証拠と一緒にそう持ち掛けると、そいつは「残念だけど君には同意してもらってることになってるよ。たとえ、未成年だとしてもね」と鼻で笑われた。許諾、著作権上で音を固定すること、レコード製作者の権利、送信可能化権……。大人がよく使う難しい言葉を並び立てられた。僕には分からなかったけど、それって全部合意の上でやったことになるのかな?


 制作側の裏をかいて脅したつもりだったのに、昔何かの雑誌のインタビューを断って、「ふーんじゃあ君はたぶんバラエティに向いてないと思うよー」って言われた時みたいな虚無感が残った。


 だから高校生の僕は結局、引き下がることしか出来なくて「そういうこと言えたんだ」って意外な顔されるのも嫌だから絶対に空気に合わせる。大人の雰囲気にそぐう人間を演じることが大事だって学校で教わってきたから。そういう物語ってことにしておく。法律を侵害していないのなら、いや、侵害していたとしても心はいつまで経っても救済されないことをその時に知った。



 その日の夜、感情チップをかざして僕は初めてお母さんの声を聞いた。収録やオーディションの前に、番組制作側が提示するキャラの性格や声の特徴を取り入れた音源を聞く時でさえも、僕はそんな事をしたことは無かった。感情チップによって自分だけの声に対するイメージが、侵食されるのが怖かったから。生声の印象だけで生きたかった。


「ああん、まだ夕食が出来てないじゃない! ん〜でも大丈夫ッ! そんな時はコレ!」


 お母さんの声には、明らかな異物があった。お母さんの声から僕の知らない男の影をはっきりと感じ取った。それはお父さんじゃない男で、溝辺だった。溝辺はたぶんお母さんの恋人だった。


 じゃあ、なんで? 途端に疑問が湧いてきて混乱する。お母さんを僕からあんなに遠ざけようとしていたお父さんがなんで、なんで憎んでいるだろう溝辺を、僕と引き合わせたのか?


 溝辺は「似せるんじゃない、本家を超えるためだ」といつもレッスン中に呟いていた。本家を超えること。生き写しをつくることを溝辺は課題にしていたから、いつもお母さんの生前のデータを何度も何度も、とっくの昔に廃番になっているMP3プレイヤーで聞いていた。そうまでして、僕を役者にさせたかったのはなんでだろう。


 声紋認証によってお母さんと一致する、僕の声──けれど取り戻したのは僕であって僕でない、これは機械の声だった。そんな僕の声で、母を再現することに溝辺は愛情を注いでいたんだと思うと、気持ち悪くて吐きそうになった。魂の転売をされてるみたいで、不謹慎な気がした。ほら言ってよ溝辺。あんたの口から聞きたい、おまえは機械だって。


 僕は深夜のカラオケへ向かうため、家を飛び出した。僕があんたの歌ってほしくない声で歌ってあげる。溝辺の望む方向で、僕の人生を奪ったことを思い出させてあげる。後悔はしてないよね? あんたは僕を母の生まれ変わりのように思ったんだろうけど。それに小さい頃の記憶は無くて、データとして残るお母さんの声しか僕は知らないけど、それでも、そういうドッキリだって、ショーだって言ってほしい。再演だって。演じ直すことでしか繋ぎ止められらない命の戯れだって。


 変声期を過ぎ、大人になった咽頭とのコミュニケーションが好きだった。でも、誰にも見破られない声を持ってるなんて、スクラップされた機械と一緒だ、そんなの。僕だって、お母さんに、会いたかったのに。僕が、いちばん誰よりも会いたかったのに。もう、会えないのに。


 おかあさん、きれいになってもどってくるまでのあいだもう少しだけぼくがおかあさんになるから、だから、はやくかえってきてね、おかあさん。お母さん。ねぇお母さん、もう一度、声を聞かせて。ずっと、僕だけのお母さんでいて。


 お母さんが担当したアニメの主題歌をタッチパネルに入力する。


 キィンと鳴る。その音が好きだった。マイクのハウリングする音を、運動会の放送で聞いた時、砂埃が舞うかけっ子で一位だった友だちじゃない子の栄光と歓声を全部さらってくれた雑音だけが、僕の味方だと思ったから。お母さんは応援席にいなかった。


 だだっ広いカラオケの一室で、僕はカラオケの採点で嫌でももう一度お母さんに出会う。『ゲスト99点 パーフェクトまであと少し! 音程もまずまず取れています。本物に近づけるために自己流のアレンジはやめましょう。』


 声は呪いだ。忘れさせてくれない。勝ち取った声は体に馴染むと演技になって本物の僕を見失う。僕はお母さんを探し演じている。


 唯一無二の声を響かせる。僕はようやく初めて自分の力で泣ける気がした。演じることの力を借りずに、初めて声を出せる気がした。その時、誰よりも、機械よりも本物の感情に近づいた。やっと、見つけた。

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