「究極」の自己プロデュース ー愛される自分ー

 かつて自撮り写真を”盛る”という時代があっただろう。

 いまはもう写真だけを”盛る”という時代ではない。


 加工や修正をしないことなど考えられないだろう。

 一般的な女性の感覚で――いまでは男性もだが――化粧をしないで外に出ることが考えられないように、いまでは素の自分を晒すことは羞恥を感じることに近い。


 そして、それを容易にするテクノロジーも急速に発展し、泥沼にする環境も整っていった。

 

 写真だけではなく動画も、リアルタイムの対面通話の時さえも加工やフィルタをかけることが普通になった。


 そして、フィルタがかけられるのは、いつしか「外見」だけに留まらなくなった。

 言葉や声。

 自分が発信するすべてに、フィルタをかけるようになった。


 ネットが普及したいまでは一つの失言が命取りになる。

 それを防止するために、発言はAIのフィルタを通して濾過される。

 

 治世のかけらもない発言は美辞麗句に書き換えられ、どうでもいい声色は聞き心地のいい音色のような声に変換される。


 どこにでもいる普通の女性である自分が、回線を介すと、美麗な顔立ちに治世の感じさせる発言をきれいな声でしゃべってくれる。

 

 ああ―――他人に映る「自分」を客観的にみて、笑みが漏れる。

 きれい。

 完璧だ。

 自分が見ても惚れ惚れする。

 ベーシックなフィルタではなく、自分が丁寧にチューニングしたフィルタはすばらしい。

 デフォルト設定ではどうしても出てしまう味気なさを微調整して自然な雰囲気を上手く作られている。

 現実世界では野暮ったい見た目で、なにをしていなくても疎んじられるというのに。

 ネットの世界では寵愛される存在だ。


 

 うん。好き。

 こんな自分が好き。


 あとは―――


 ディスプレイの反射で不意に見えた自分の姿。

 反射的にディスプレイを叩いてしまった。


 嫌いな自分を消すだけだ。

 寵愛される自分が本当の自分。

 こっち側の自分は、もういらない。


 私は究極の自己肯定のために、喉元を切り裂いた。

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