第3話

 ヌルヌルと滑る鍾乳石に掴まりながら地図に記された水場に向かう。

 ここまでの行程でカラカラに乾いた喉を潤すためにそこらを流れる小川に顔を突っ込みたい気持ちになる。

 それでもそれを踏みとどまっているのには理由がある。


 先人の言葉に『清らかな水を口に含んだ途端、仲間がもがき苦しみはじめた』というものがあった。この階層に到達できるだけの能力を持つ探索者が組合の大広間に集められて組合調直々に伝えられた注意点の一つがこれだった。


 ズルッとぬめりに足を滑らせた俺はとっさに伸ばした傷ついた左腕だけでは身体を支えられなくて通路脇の水溜りに膝を突いた。バシャッ! 響いた音に俺は周囲の気配に注意を払う。静寂の中にせせらぎが聴こえてくるだけ。


 僅かに安堵した俺は痛む身体を庇いながら立ち上がる。この時ほんの一瞬だけだが警戒が緩んだ。ぬるっとした感触を足首に感じたのと同時にひりつくような痛みが襲ってきた。

 薄暗い中で僅かに光を反射した核を内包した粘液状の物体が俺の足首を包み込んでいた。透明の粘液状の物体が俺の皮膚を溶かしにかかっていたのだ。


「ぐっ!」

 ぬめる粘液状の物体に左手を突っ込もうとしたがそれを阻むように押し返してくる。それでもグッと力を込めると俺の手を阻む膜が破れてその中にズブズブと左手が入っていく。

 グジュグジュと左腕を溶かす痛みに耐えながら核を握って引き抜くと粘液体はその形を崩して床に水溜りを作った。


 損傷を回復する手段がない現状でどうにか地図に記された水場に辿り着くことができた。この階層にはセーフエリアと言われる場所がない。だから水を飲んだあと下層に向けての移動を再開した。


 二度の粘液体との戦闘で負傷が増えたがどうにか下層に向かう階段のある玄室に辿り着いた。玄室の天井は鍾乳石に覆われていて水滴が間断なく降り注いでいるうえに床は飛び石状にある岩と鍾乳石の石柱以外は一面水に覆われていた。玄室の奥にある階段に向かって足を踏み入れた。


 水滴が水面に落ちる音がそこかしこから聴こえてきて俺の感覚が揺さぶられる。いや、それだけじゃなくて目眩がして吐き気が込み上げてくる。

 そんな状態の俺の腰からカチカチと鍔鳴りが響いてそこに意識が引っ張られた。


 張り詰めた緊張感に耳鳴りがする。


 水滴の音に混ざって打ちつける水音と跳ねる水滴に続いて俺と階段の間に姿を現したのは体表がぬらぬらとした恐ろしく大きなトカゲ、いや、サンショウウオだった。この階層に階層主がいるという情報はなかったはずなんだがこの体躯はどう見ても階層主というに恥じない姿をしていた。


 僅かに開いたそいつの口からは生臭い息が吐き出されて尖った歯が覗いていた。その口の奥からシューと威嚇音がして二つに割れた尖った舌が震えていた。そいつは俺に無感情な瞳を向けてゆっくりと近づいてくる。


 消耗した今の状態で腰にいた剣を抜くことに躊躇ためらいが生じた。だが、その躊躇を見透かしたように階層主(仮)が俺との距離を詰めてきた。それに気がついてハッと顔を上げた時には頭を下げて突っ込んできた階層主(仮)に弾き飛ばされた。


 玄室の入り口横の岩壁に背中を打ちつけられ「カハッ!」っと肺から空気が無理やり吐き出されて喉が痛む。だが、その痛みを気にする余裕などあるはずもなく視線の先では階層主(仮)がこっちに向かって滑るように突進してきていた。


 転がるように身を翻してそれを躱す。岩壁に階層主(仮)がぶつかれば隙ができると考えなかったわけではない。だが、その考えを裏切るように階層主(仮)は器用に玄室の岩壁を登り始めた。反射的に駆け出した俺は階下に続く階段を目指した。


 ビュッ! ビュッ! と小さく短い音が頭上から聴こえた。

 飛び石状に散った岩に触れた右足で咄嗟に蹴る。

 バシッ! ボシュッ! 岩に何かが当たった音とほぼ同時に水中に撃ち込まれた音が俺を追ってくる。その音を振り切るように無我夢中で駆けた。


 あと少し。そう思ったのと同時に背筋がゾワッと泡立った。左手を伸ばして鍾乳石の石柱に指をかけた。ブチ、ブチッと左腕から悲鳴があがり痛みが駆け抜けた。


 ズンッ! バシャアァァ!! 跳ね上げられた水が俺に襲いかかってきて足元を掬われそうになるが悲鳴をあげる左腕で体を支えて転倒を免れた俺の眼前に頭上から降ってきた階層主(仮)がいた。


 鎌首をもたげるようにして高い位置から俺を見下す階層主(仮)は後ろ足で立ちあがっていた。リザードマンの亜種とでも言えばいいのだろうかそいつはゆっくりと後ろ足だけで歩み寄ってくる。


 身長差は一メートルは無いと思えるが十分な威圧感がある。最初に遭遇した時には気づかなかったがサンショウウオと比べても太く長い腕と脚を持ったそいつの手には歪な形をした槍のようなものが握られていた。


 武器を手にした相手を前に剣の柄に手を伸ばす。今の俺の武器はこの剣だけであり身体が蝕まれるとしても生き残るためには選択肢が無い。鯉口を切ったその瞬間に気を失いそうになったがどうにか持ち堪えて階層主(仮)と対峙した。


 ズッ、ズンッ! 摺り足からの蹴り出しで一気に間合いを詰めてきた階層主(仮)は全身を使って歪な槍を繰り出してきた。


「ッ!」

 その巨躯からは考えられない柔軟な動きで眼前に突き出された槍を頭を振って躱すと続け様に胸を狙ってきた槍を回転する動作で躱すがその際にうまく動かなかった左腕を掠めた。

 突き出された槍を引き戻す動作が視界に入るが俺は躱した動作のままに抜剣して横薙ぎに剣を振る。

 横薙ぎに迫る剣の腹を掬い上げるように尻尾が打ち合わされ剣に引っ張られるように俺の右腕が跳ね上がる。


 完全に無防備な体勢。だが下層に続く階段への行く手を阻んでいた奴が今俺の横にいる。反射的に駆け出した俺の背中に尻尾が叩きつけられ息が詰まる。


 弾かれるようにつんのめった俺の数歩先には階段があった。

 躊躇うことなく下層に続く階段に飛び込み転がるように階段を駆け降りた。


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なんか読んでくださる方がいるみたいなので追加。

@kame000210様にご意見を頂きましてところどころ改行を追加しました。

1話と2話もそのうち……

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