迷宮行

鷺島 馨

第1話

 迷宮中層。

 響き渡る女性探索者の悲鳴。


 進行方向から聴こえてきた悲鳴に周辺を警戒しつつも急ぐ。

 金属がぶつかり合う音と時折聴こえてくる悲鳴。

 こんなに悲鳴が響いていると周辺のモンスターが集まってくる。


「面倒だな……」

 呟いて足音を立てずに駆けて行くと金属が床を跳ねる音が聴こえてきた。


「いやあああぁ!!」

「……かにしろ!」

 女の叫びに被せる様に聴こえた男の野太い声。


 通路を曲がった先、目に映ったのは薄暗い部屋の中でガタイのいい男が探索者らしい女を組み敷いている様。周りに散らばった装備品に破れた衣服。


「くっそ、なにしてんだよ……」

 嫌悪感から俺は剣を抜いて男に近づく。その間にも男は組み敷いた女の顔を殴っていた。その光景を認識した瞬間、俺は男の延髄に剣を突き立てていた。

 ごぷっ、空気を含んだ水音、続いて吹き出した男の血液が女に降り注ぎその身体に覆い被さった。

「あああぁあぁ!!」

「黙れ。モンスターがくる」


 女の上から男を引き剥がす。仰向けに転がした男の首元にかかっていたタグを引きちぎる。その時に目に入った男の股間はこの状況でも剛直しておりその先端から白濁したものを噴き出していた。

 こんな迷宮のセーフエリアでもないところで女を襲っておいてよく勃つなと呆れてしまう。


 錯乱気味な女に鎮静薬(獣用)を嗅がして散らばった装備品から使えそうなものだけ拾い集めて水場に移動した。このまま血の臭いを垂れ流している女を一人で迷宮に放り出すのも後味が悪い。


「なにがあった」

「は、はじめて、迷宮、探索する、って、話してたら、仲間、になっ、てくれる、って……」


 初心者をこんな中層まで連れてくること自体があり得ない。この女にいかがわしいことをして迷宮に置き去りにすることが目的だったんだと思い至るのは容易だった。


 迷宮に入った探索者が帰ってこないなんて日常的なことだ。それでもこんな場面に出くわすと戻ってこない探索者のうちの何割かは……

 そう考えている俺に女が縋り付いてきた。

「お、お願い、街、まで、連れって、行って……」

 予備の装備を分けてやっても一人で帰れる可能性は無い。かといって今請け負っている依頼の期日を考えると一度街に帰って潜り直す時間は無い。


「飲め」

 スタミナポーションを女の前に突き出す。女はそれを未だ震える両手で持った。小刻みに震える手で封を切った女はポーションを口に運んだ。


 水場で身体に付着した血を洗い流させたが衣類はボロ布の様になっていたから俺の外套を着せた。

 その頃になると女も落ち着きを取り戻しつつあった。


 水場から近い袋小路で携行食を食べつつ今後の話をすることにした。

「依頼の期日が迫っている」

「そう、ですか……」

「一緒に来るか」

「っ、はい」


 ここで俺の受けた依頼について話しておくことにした。

 それは迷宮中層に自生する植物を採取に向かった探索者の救助だった。そしてその救助より優先されるのが中層の植物の採取だった。


 この植物を誰が必要としているかは知らない。ただ、この植物を必要とする病なら想像できた。魔力枯渇症と呼ばれる病、罹患する者はほとんどいない。

 この病は罹患後しばらくは無症状だが症状が出てからは一気に進行するのが特徴。(発症後十日で回復不可になると言われている)治療については迷宮で取れる希少な植物が必要なうえに日持ちがしないという薬師泣かせな病だった。


 なお、魔法による治癒は病の症状を進行させることがわかっているので発症イコール死亡というのが一般的な認識だ。それでも採取依頼を出してくる相手なんて詮索するもんじゃないな。


 依頼内容を聞いた女が表情を曇らせた。

 ここからまだ下の階層に初心者を連れて潜る。さらに期日を考えれば強行軍になることは必然、足を引っ張ると俺に判断されれば置き去りにされることも考えたのだろう。


 話し終えた俺は立ち上がり女に手を差し伸べる。

 この手をとらなければここで女とは別れて依頼に戻るだけ。そう考えていたのだが女は一瞬、躊躇って手をとった。


「なにができる」

「初級魔術が…… でも、今日はもう……」

「そうか」

 ここまで来る間に魔術を全て使い果たした。そういうことだ。


 それならそれなりの行動をとるまでだと指針を決める。

「時間がない。正規ルートから外れる」

「えっ、あ、はいっ」

 下層へ続く正規ルートは現在の階層の奥までいく必要がある。これは探索者組合(以下、組合と表す)で配布された地図で共有されている。そして俺が今向かっているのは水場から下流方向にあるうろだ。


 身を屈めてうろに潜り込み後ろ手で続くように合図を送る。

 滑りやすいうろの中を注意して進んで行く。徐々に下り勾配がキツくなり最終的には垂直に近い壁をつたい降りることになる。女は何度か足を滑らせたがその度に下から手を伸ばして支える。


 下まで降りたところで装備を確認、女は荒い息をゼェ、ゼェと吐きながら膝に手を突いている。


 うろから続く横穴を進んでいくと壁がうっすらとだが見え始めてきた。

 横穴の先、上の階層には無い大きな結晶石がそこかしこにゴロゴロある。その景観に女は息を飲む。

 この結晶石もそこそこの金額で取引されるが見合う量を単身で持ち帰ることが困難なため俺は手を出さない。


「行くぞ」

「っ、はい」

 俺の声に緊張感を取り戻した女が静かに返事を返してきた。


 目的の植物が生えている場所は組合で共有されている情報では三箇所あった。ここから一番遠い場所が上層に近い。そこから確認することを女に告げて無言で進む。

 迷宮内に響く女の足音。こんな音だけでもモンスターが集まる原因になることがある。


 最初の目的地に向かっていると緑色の肌をした大柄な亜人二人が牙を剥いてショートソード(俺にとっては普通サイズの剣だが)を振り上げて襲いかかってきた。


「ひうっ!」

 短い悲鳴に反応した亜人は女に向かって下卑た表情を向けて駆けてきた。

 欲望のままに女に向かって無警戒に駆けてきた亜人の喉に剣を突き立てて胸を蹴り飛ばす。腰にいた緩い反りのある細身の剣を抜きもう一体の背中を斜めに切りつけた。右手を通して流れ込む魔力が刀身に吸い込まれていく。

 亜人の背中に吸い込まれるように筋を描く刀身は抵抗なく肉を切り骨を断った。ぐらりと傾いた亜人の身体はくの字に曲がって血を噴き上げて崩れ落ちた。


 声にならない悲鳴をあげる女の口を手で塞ぐ。


 血糊ひとつついていない剣を鞘に戻して最初の亜人に突き立てた剣を回収に向かう。グリッと捻り喉から抜いた刀身に付着した血糊を亜人の着ていた衣服で拭う。


 眼前の光景に腰が引けている女に「行くぞ」とだけ声をかけて先に進む。


 一箇所目、目的の植物はそこになく依頼を受けた探索者もいない。すぐに二箇所目に向かって移動を開始する。


 二箇所目に向かう道程の途中でも二回、緑の肌をした亜人と遭遇した。

 単体であれば問題なく排除できる対象ではあったが背後にいる女を気にかけながらの戦闘は想定より俺の精神を疲弊させていく。


 そして二箇所目で依頼を受けたと思われる探索者の遺体を発見した。損傷が激しくタグがなくなっていたことで断定するに至らない。遺留品になりそうなものを一つ持って三箇所目に向かうことにした。


 三箇所目に向かう道程で探索者の遺体が転がっていた。この遺体にはタグが残っていたので回収する。依頼を受けた探索者では無いことを確認したうえでこの階層を探索するには階級が不足していることを訝しむ。

 それでもこういうことは迷宮都市の日常だ。


 三箇所目まであと少しというところで通路の先に緑の肌をした亜人が三体とその奥にいる一際大柄な個体がいるのを発見した。幸い気付かれる前に発見することができ、左腕で女を制して小声で告げる。

「ここで待て。周囲の警戒は怠るな」


 コクコクと頷く女をその場に残して俺は足音を立てずに亜人に忍び寄る。

 取り巻きの亜人一体の首にスッと当てた剣を流れるように横に引く。ブシュッと吹き出した青い鮮血に他の亜人が反応を示した。

 その時にはもう一体の亜人の喉に俺の剣が突き立ってそいつは後ろに倒れていくところだった。

 残った取り巻きが倒れる亜人に視線を向けたところで俺は腰に履いた細身の剣を横に薙いだ。


 瞬きの間に三体の取り巻きが倒れる。今、俺の眼前には俺の倍はあろうかという体躯の亜人が両手に握った剣を構えていた。まるで少し長い短剣を握ってるようにしか見えない。


 俺の背後からズッという音が聴こえた。その時、対峙する亜人の注意がそれた。ほんの一瞬ではあったがその瞬間を逃さず俺は間合いを詰める。

 ヒュンという風切音だけを残して亜人の太い腕と剣を握る手がズレる。返す手で振り上げた俺の剣を亜人は剣で受け止めようとした。


 温めたバターナイフがバターに入っていくように俺の剣は亜人の剣を切り進んでいく。スローモーションのように進む俺の剣が亜人の剣を二つに分つ。


 俺を見下していた亜人の表情が驚愕に変わった。次の一瞬、俺は亜人の足に切りつけていた。紫の妖光を強く放ち始めた刀身は亜人の足を容易く切り離した。

 ドンと音を立てて倒れた亜人の喉元に静かに刀身を当てがいスッと刃を滑らせた。


 身体から吸い出された魔力に脱力感に襲われつつも剣を納めて投げ放った剣を拾いに向かう。


 女に合図を送り先に進む。通路上の亜人の死体と青い血溜まりを見ないように進んでくる。この女、探索者に向いていないな。


 そのあと俺は三箇所目の目的地に向かったがそこにも依頼の植物はなかった。


 そのため俺は組合も把握していない場所で依頼の植物を採取して迷宮都市に帰還を果たした。

 当然、女には採取場所を含めて俺の剣についても口外しないことを約束させた。




 組合に戻った俺は受付嬢に帰還を報告した。

 受付嬢は他の職員と少し会話をしたあと俺に向き直った。

「では、報告をお願いします」

「ああ」


 俺は採取してきた植物と遺留品、それと二つのタグをカウンターに並べた。タグの無い遺体から回収した遺留品から俺の救助対象のうちの一人であったことがわかる。


 カウンターの上のタグのうち一つを指さして俺は受付嬢に報告した。

「迷宮内で駆け出しに危害を加えていた。この女が被害者だ」

「新しく登録した方が帰還しないことがあったのですが、もしかして……」

「かもしれないな」

「そうですか…… では、この方から詳しい話を聞くことにします。それでこちらの認識票は?」

「遺体から回収した」

「どこで回収しました?」

「この辺りだ」


 俺は持っていた地図を広げてタグを回収した場所を指差す。

 亡くなった探索者の階級でこの階層にいるのは無謀という認識を受付嬢と共有した。この件については組合で検討されるだろう。


 依頼の報告を終え報酬を受け取った俺は組合を後にした。

 迷宮内で拾った女は俺が報告している途中にやってきた別の職員が連れて行っていた。

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