貪欲なる毒竜の酒場へようこそ! 〜世界を滅ぼしかけた大罪人たちが酒場経営を始めたみたいです〜

白波ハクア

プロローグ


【ヴァーハルト監獄】


 その場所は地獄を体現した死地だ。


 険しい山脈の中に埋め込まれるように建つその監獄は日中だろうと薄暗く、空気は瘴気となって囚人の精神を根本からすり潰す。ヴァーハルト監獄の周囲に生える枯れ木には、極刑となった囚人が見せしめのように吊るされ、酷い悪臭を放っていた。その鬱蒼とした山に生息する獣は、その腐った肉を喰らい、誰彼構わず人を襲う害獣と成り果てている。


 そして時折監獄の内部からは獣に似た叫び声が聞こえるという。

 それは囚人同士で殺しあっている声だったり、看守が囚人を暇潰しに拷問している声だったりと、周辺地域の者達からは噂されていた。


 しかし、その真実は誰も知りたがらない。


 ヴァーハルト監獄に一歩でも踏み入れたが最後。

 外に出ることを可能にした者は、たったの一人も存在しない。


 虫が這いずり、廊下や壁は乾いた血液で装飾されている。

 無数の針が付いた鎖に縛られ、耐え難い苦痛を毎日のように与えられる地獄は、どのような極悪人だろうと口々に「殺してくれ」と乞い願う。


 そんな監獄内部の一室で、夜中なのにも関わらず二つの影が談笑にふけっていた。


「でねー、そこで私は言ってやったのよ。うんこ味のカレーとカレー味のうんこの二択を迫られるのなら、目隠ししてカレー味のうんこを食べた方がまだ幸せだと」

「それでは排泄物の食感を味わうことになってしまいます。味覚と嗅覚を遮断して前者を選んだ方が、まだカレーを食べている気持ちになれるのでは、と僕は愚考します」

「おっ、それもいいねぇ! 流石はザインだ!」


 紳士風の男ザインはその目元を柔らかく歪ませ、若干頬を赤くしてはにかんだ。


「……いえ、それほどでもありません。僕の考えなど、フィーナには到底及びませんよ」

「え? そう? まぁ、そうでもあるかなぁ……あっはっはっ!」


 痩せこけた白髪の少女フィーナは、照れながらも豪快に笑う。


「……して、どうしてそのような下品な話題になったのでしょう?」

「いやぁね、豚どもが私達に『お前らはクソでも食っていりゃあいいんだよ!』とか言ってきたから、そういえばこんな二択あったなぁ……って思い出して、それで盛り上がったの」


 とてもではないが若い二人が夜中に、しかも監獄内で話すような話題ではない。下品過ぎて同世代の若者であれば引くような話題を、フィーナは心底楽しそうに語る。

 面白いと思っているのならそれで良いかと、嗜めるような言葉を口にしないザインは、そんな彼女と同じく楽しそうに微笑んでいた。


 ちなみにフィーナの言う『豚ども』とは、彼女達を管理する『看守』のことを指す。


「いやぁ、その話題になった時の男性衆の反応と言ったら面白かったな! ギョッとしたように目を剥いてさ。それに豚野郎の呆けた顔……ぷーくすくすっ。今思い出しても笑いが止まらないよ!」

「それは良かったですね」

「でねでね、豚にも聞いてみたんだよ。そしたらなんて言ったと思う?」


 ザインは顎に手を当て、考える。

 精根捻じ曲がっている豚どものことだ。普通に答えるわけがない。


「……ふぅむ…………知るかそんなもん! でしょうか?」

「わぁ、当たり! ザイン凄いね!」

「たまたまです」

「結局、あの無能はどっちも選べなかったの。とんだ根性無しだよね〜」

「フィーナの言う通りです。我々囚人を監視する立場として、究極の二択くらいは一瞬で選択してもらいたいものです」

「ザインもそう思う!?」

「ええ、勿論」


 ツッコミ役が不在とは、このことだ。


「うるせぇぞ屑ども! 夜くらい静かにしやがれ、殺されてぇのか!」


 その時、騒ぎを聞きつけた看守が階段を降りて来て、監獄中に響く音量で怒鳴った。


「お前の声のほうがうるさいよーだ」


 怒られても反省の色がないフィーナは「んべー」と舌を出し、対してザインは何も聞こえていないと言わんばかりに澄まし顔だ。


「ったく、あの豚も根性が無いよ。束になると無駄に調子に乗るくせに、一人だとああやって文句を言うことしか出来ない。外にはもう少しマシな男が転がってるっての。ねぇ?」

「全てにおいて腐り切っている奴らですから……でもフィーナ。そろそろ看守のことを『豚』と呼ぶのは止めましょう。本物の豚に失礼です」


 豚は美味しい肉を、命と引き換えに提供してくれる。

 権力を振り回すだけの看守とは、天と地以上の差が開いているのだ。


「そっか……そうだよね。でも、だったら他になんて呼べばいいのかな…………糞?」

「外れではありません。しかし、それを連呼するのは少々問題がありますね」


 ザインは思考し、人差し指をピンッと立てた。


「『玉無し』と言うのはどうでしょう」

「あっはっはっ! それ最高! 根性も無ければ度胸も無い。奴らにぴったりな言葉じゃないか! 玉無し。気に入った!」


 ツッコミが不在とは(以下略)


 ここはヴァーハルト監獄。

 唯一この世の地獄を体現した場所と言われ、囚人にとっての墓場とも比喩されるその監獄は、どのような極悪人だろうと、死刑にしてくれと泣いて懇願する場所…………のはずだった。


 しかし、二人にとってそれは些細なこと。

 のはいいが、五年も同じ場所に居ればいい加減飽きる。


「はぁ…………」


 ひとしきり笑ったフィーナは、深い溜め息を一つ。

 先程までの無邪気な笑顔とは程遠い冷酷な表情に切り替わる。

 彼女はヴァーハルト監獄に囚われるに相応しい……いや、それに収まらないほどの狂人の雰囲気を纏い、一言ポツリと呟いた。


「飽きた」


 それと同時に、監獄内のあちこちから耳を擘く爆発音が連続して鳴り響いた。

 二人はそれに驚かず、むしろ粘りつくような薄気味の悪い笑みを浮かべ、ほぼ同時に腰を上げた。


「んしょっと……」


 フィーナの腕の三倍以上はある鎖と手錠を引き千切り、ザインのも同様に破壊した。

 五年ぶりに自由になった手足をぶらぶらとさせ、長く続いていた変な痺れが治った頃、階段の方では豪快な破壊音と、ベチャッという贓物をぶちまけたような音が不気味に鳴った。


 そして硬質な床をコツンコツンと歩く足音が三人分、真っ暗な空間に反響して耳に届く。


「おんやぁ? ちょうど良いタイミングだったようねぇ」

「くっくっくっ……迎えに来たぞ我が同胞よ!」

「……ん、完璧な時間合わせ」


 妖艶を纏った女性に、無駄に決め込んだポーズをした少女。何処か物憂げな瞳を宿した幼女。

 各々の手には、看守の生首が収まっていた。先程の『臓物がぶちまけられたような音』というのは何の比喩でもなく、事実だったのだ。


「おお〜みんな久しぶり! 元気してた?」


 暗闇から現れた三人を見た瞬間にパァッと表情を明るくさせたフィーナは、互いを分かつ鉄格子をぐにゃりと飴細工のように折り曲げる。


「元気してたって……相変わらずフィーナは呑気ねぇ」

「マギサの言う通りよ! めちゃくちゃ暇だったんだから……じゃなくて──ふんっ! あのようなもの、地獄を統べる我にとって、遊戯にもならん」

「……うん。ルティナが毎日『つまんなーい!』って床を転げ回ってうるさかった」

「ちょ、ミュウ!? それは内緒だって言ったじゃない!」


 ルティナが「何でバラすのよーーー!」とミュウの肩を激しく揺さぶるが、それを全く意に介さない幼女は一言。


「うるさい」

「ひどっ!?」


 ガーーンという効果音が聞こえそうなほど強くショックを受けたルティナは、マギサの豊潤な胸元に抱きつき、子供のようにわーわーと泣き始める。

 そんな自由奔放な『同胞』の様子を見て、フィーナは満足したように大きく頷いた。


「うん! みんな元気みたいだね。安心したよ!」

「一番元気なのは間違いなくフィーナよねぇ。ザインも、この子の相手は大変だったでしょう?」

「いえ、毎日楽しそうにその日の出来事を話していただけて、とても面白い日々でした」

「……相変わらずフィーナが大好きなのねぇ。あなたもいつも通りで安心したわぁ。……まぁ、こっちも御察しの通りって感じだったけれどね」


 部屋割りはフィーナとザイン。ルティナとミュウ。マギサが一人。そのような組み合わせだった。

 唯一独房に軟禁されていたマギサだったが、そこは彼女お得意の話術によって常に同胞の情報は届いていた。そのため、彼女らが再開するその最後の時まで全員のことを把握していたのは、彼女ただ一人ということになる。


 とは言っても、皆わかっていた。


 この程度の地獄は、本物の地獄と比べれば生温い。

 そろそろ我慢の限界が来るだろうと、五人はなんとなく察していた。


「それじゃ、出ようか」

『イエス、ボス』


 フィーナを先頭に、残りの四人はその後ろを思い思いに歩く。

 ザインはフィーナの斜め後ろに付き添い、マギサは看守と『おはなし』して貰ったキセルを吸い、ルティナとミュウは先程のことで口論を繰り返していた……と言っても、ミュウはその話の半分以上を聞き流している。


「おい! 止ま、ッ」


 ──パァン!


 騒ぎを聞いて駆けつけた看守が叫ぶ──と同時に、乾いた銃声が監獄内に響いた。

 豚のように肥え太った看守の頭は風船のように弾け飛び、その汚い肉片を廊下にぶちまけて絶命する。


「うわぁお。びっくりしたぁ。撃つなら撃つって言ってよ、ルティナ」


 フィーナが目を丸くさせ、看守の脳天を打ち抜いたルティナに文句を言う。

 彼女の手には回転式拳銃リボルバーが握られており、銃口からは煙が出ていた。ルティナが殺したのは誰から見ても明確だろう。


「あ、ごめん。つい体が……じゃなくて!」

「今日はいつにも増してキャラがブレていますね」

「ちょっとザイン! キャラとか言うなし! ……ふっ、我が真の力を発揮するのも久しいのでな。真価を発揮するのは、まだまだ先になるだろうよ」

「つまり、寝坊助」

「ミュウ!? あんた今日は妙に突っかかって来るわね!」

「キノセイダヨ」


 『ヴァーハルト監獄』に収容されるだけの危険性を持つ彼女達が自由になれば、ただ権力を振りかざしている雑魚には決して負けない。

 それぞれの特技を駆使して、看守達を屠りながら歩く彼女達は、もう誰にも止めることなど出来ない。


 そして────


「この……犯罪者どもめっ!」


 最後の看守が目の前に立つ五人を睨み、呪詛のように吐き捨てる。

 しかし、それを言われたフィーナ達は、一切気にしていない様子でくつくつと笑った。

 今更看守がどんなに喚こうと、すでにお仲間は全員仲良く地獄に落ちているのだ。助けなんて来るわけが無い。誰がそんな相手を怖いと思うのだろうか。


「二百の看守だぞ……百の守衛だぞ……!」

「と、言われてもねぇ……」


 フィーナは、チラッと後方に視線を向けた。


 そこには『巨大な山』が出来上がっていた。

 約二百の看守と、百の守衛の死体の山だ。


 どれもが無残な姿で息絶えており、おびただしい量の血液が流れて血溜まりが作られていた。


「雑魚が束になったところで、どうして私達に勝てると思ったの?」


 それは純粋な疑問だった。

 勝てないとわかっているのに、どうして看守は立ち向かって来るのか。

 死ぬとわかっているのに、どうして武器を向けるのか。


「……まぁ、良いや。敵対するなら殺すだけだし」


 彼女達はいつもそうしてきた。

 向かって来るなら敵対する。敵対するなら殺す。


「それじゃあ……さようなら」


 右手を振りかぶり、無慈悲にそれを振り降ろした。




          ◆◇◆



「これからどうする?」


 五人は歩く。

 跡形もなく崩れ去った監獄の中を。


「どうしましょうか……考えていませんでした」

「折角の暇つぶし、終わっちゃった」

「……ふむ。我々で旅に出るのも、この前やったからな」


 それぞれが今後のことを考える。

 だが、大体のことはやり終えてしまった。


 最終的にやることはなくなり、監獄に入ったのだ。

 それも今日、無くなった。


 ダラダラ生きる?

 しかし、それでは残りの人生が楽しくない。


「あっ、はい! やりたいことがあります!」


 フィオナが手をあげる。

 元気いっぱいの挙手に、全員が「またか……」と若干疲れたような顔で振り返った。


「酒場経営をしてみたい!」

「「「「…………はぁ?」」」」


 一人を除いて、全員の意見が一致した。

「何言ってんだこいつは」と、それを一番先に口にしたのはルティナだ。


「そういえば貴女、飲食店を経営してみたいって言っていたわね……」

「え、嘘でしょ? あれ本気だったの?」

「フィーナの言うことは、いつも急すぎる」


 その場にいる全員、飲食店で働いた経験なんてなかった。経営なんてもってのほかだ。

 だから無理だろうと当時は皆で軽く流したが、ここにきて改めて提案されるとは思わず、全員が足を止めて賛成か否かを考え込む。


「いいのではないでしょうか?」


 静寂を裂いたのはザイン。

 いつものフィーナ全肯定ではなく、しっかりと今後を考えたうえで賛成の意を示した。


「やることもないのです。ここは全員で初経営を始めてみるのも面白いのでは? ……それに、無理な話ではないでしょう」


 役割分担を考えるのは簡単だ。

 五人それぞれの得意分野は自分のことのように覚えている。

 誰がどの仕事に適任かを知るのは容易く、いざ始めてみれば適応もすぐにできるだろう。


「……じゃあ私が経営監督ね」

「調理は我に任せるがいい。人間どもの腹を最も容易く掴んでみせよう」

「僕は接客ですかね?」

「配膳やる」


 ──それでフィーナは?

 全員の視線が集まる。それで察したのだろうフィーナは笑顔満点でこう言った。


「マスコット!」

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